2020.04.04 Saturday

コロナ禍で日本記者クラブも人数制限とマスク着用
新型コロナウイルスの脅威は4月初めでも衰えるどころかますます広がっている。思い
起こせば昨年11月ごろに中国の武漢でコウモリによりコロナウイルスが発生して大変な
ことになっている、というのが最初だ。1月の春節休みで中国からの観光客が日本に来て
ウイルスをばらまくのではないか、という噂が出始めていた。その頃はインフルエンザの
「サーズ」「マーズ」と同じで流行が終われば沈静化するという楽観的な見方が多かった

ところが横浜港にクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が停泊して、感染者が続
々と出始めてから連日の報道で騒ぎが大きくなっていった。クルーズ船を船籍のある英国
に返せばよいのではないか、という議論があり結局はたくさんの汚染者が出て、死者まで
出てきた。
このころはまだそれほどに深刻さはなかった。東京をロックダウン(封鎖)しなくては
いけないというように気配は出ていなかった。
3月に入ってからイタリア、スペイン、米国などの感染者の数と死者の多さにただ事で
は済まないという空気が政府に出てきた。安倍首相も突然に学級閉鎖を提案したり、マス
クを一人に2枚配るなど次から次に対策を記者会見で発表するようになった。米国のトラ
ンプ大統領のような危ないところはニューヨークのように人の出入りを禁止してしまうよ
うな激しい対策は出していない。


勉強会でも「いつ終わるかわからない」
こうした動きに合わせるように日本記者クラブでも2月13日に政府の感染症対策の専
門委員会の副座長をしている尾身茂氏が「新型コロナウイルスについての我が国がとるべ
き対策(私案)」を発表した。そのあと川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長など6人が
4月1日までにそれなりの見識を披露した。出席した記者が知りたいことは「いつこの問
題が解決するのか?」である。岡部所長は「来年夏ごろまでは収まらないのではないか」
と答えていた。
日本記者クラブも4月1日からはコロナ対策として人数を最大80人に制限するととも
に、マスクの着用を義務付けた。座る間隔をあけてコロナに感染しないようにしている。
こうしたことをするのはクラブでも初めてである。
企業の広報担当者も在宅勤務になった人も多い。通勤電車でコロナにでも感染したら大
変だ、ということである。記者会見なども開かずにメールで見てもらうやり方が出てきた
。大和ハウス工業の松田英次・広報企画室東京広報グループ長は「公示地価の反響をメー
ルで各社に送ったが、途中で切れたりしてまだまだだ。しかし、これからはこうした広報
のやり方が増えてゆくだけにコロナ禍をきっかけにデジタル化を進めていきたい」と前向
きだ。

| その他 | 19:13 | - | - | pookmark |
2020.04.04 Saturday

街路樹が都市をつくる
元都会議員だった立石晴康氏が1か月に1回の割合で築地本願寺伝道会館で開いている
都民塾がある。2月18日はコロナで中止する会が多い中で千葉大名誉教授の藤井英二郎
氏が「街路樹が都市をつくる」というテーマで講演した。スマートシティ(次世代型都市
)が言われる中で街路樹が都市をつくるという藤井氏は千葉大の造園学科の教授を務めて
いただけに街路樹については関心がある。

藤井氏によると東京など都市の変化に対して街路樹の管理が間違えている、という。強
剪定と植栽基盤不良で倒れやすくなっている。このままの状態が続くと東京などの街路樹
は温暖化の激化などに耐えられずに枯れる心配が出ている。予算を増やして街路樹の管理
をしっかりしないとこれからのヒートアイランドや温暖化に東京都の環境は悪くなる、と
警告している。

| その他 | 19:12 | - | - | pookmark |
2020.04.04 Saturday

日本のノーベル賞と科学技術の問題
日本記者クラブで毎日新聞の元村有希子論説委員が「ノーベル賞と日本の科学技術」の
テーマで講演をした。旭化成の吉野彰氏が2019年のノーベル化学賞を受けての講演に
なった。元村氏は毎日新聞で科学部長などをしており科学部門には詳しい。最初にノーベ
ル賞に絡んで3つの数字がある。「3人」というのは一つの賞には2人までで3人は認め
られない。「50年」というのは選考過程が50年間は非公開。「5%」というのは受賞
者の女性の比率。日本の受賞者は湯川秀樹以来24人になり今世紀だけでは18人と米国
に次いで世界で第2位。
これからの問題として/び悩む研究投資⊃び悩む論文数伸び悩む研究者の数、な
どを挙げた。さらに研究界を覆う問題として「成果主義」「若手を使い捨て」「研究費が
流行の分野に集中して多様性を失う」「大学教育の衰弱」などを挙げて将来への問題を指
摘した。

| その他 | 19:12 | - | - | pookmark |
2020.04.04 Saturday

追悼録
村山美知子・朝日新聞社社主
3月3日肺炎のために死去。享年99歳。
創業者の村山龍平の孫で、前社長の父の長挙の死去で1977年に社主についた。しか
し、持っていた40%以上の株は20%近くをテレビ朝日に譲渡しており、10%台しか
もっていない。朝日新聞の経営も実質赤字続きで不動産を売って取り繕っており、村山家
も一時ほどには朝日新聞には関心を持っていない。講談社が出している週刊現代の記者が
電話で取材があった。「朝日新聞の経営に美智子の死去で影響があるのか?」と聞いてき
たので「今や村山家でも朝日に関心がないので、問題にはならないだろう」と答えた。


絹村和夫・元TBS(現TBSホールディングス)副社長
3月19日老衰で死去。享年90歳。
絹村さんは私が電波報道局にいたときにはスポークスマンで取材に行って話を聞いた。


城所賢一郎・元TBSテレビ副社長
3月14日すい臓がんのために死去。77歳。
城所さんも新聞記者などが取材に行き丁寧に応対してくれた。


原田和明・元三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)理事長
パーキンソン病のために死去。享年88歳。
原田さんは三菱銀行と統合した三和銀行の調査部次長だった。私が大阪経済部で銀行担
当の時に三和銀行が調査報告の会見に出てきた。原田さんがレクチャーをして明快な説明
をしてくれた。そのあと、東京でも三和銀行の調査報告で原田さんと会い親しみを感じた
。原田さんは九段高校(旧制市立一中)で私の九段中学校の恩師の秋山和義先生と同期だ
ったことも原田さんとの縁を感じていた。

 

宮城まり子さん ねむの木学園園長
3月21日死去。享年93歳。
宮城さんを東京中央ロータリーの講話をしてくれるように招いた。誰か忘れたがねむの
木学園に寄付してほしいというのでいくばくかの金を出した。そうした縁で宮城さんに頼
んだところ快く来てくれた。宮城さんは足腰が不自由で会場の帝国ホテルの人が苦労した
ことを思い出す。


鶴田卓彦・元日経新聞社長
3月13日心不全のために死去。享年92歳。
鶴田社長が日経子会社の役員の不正支出の問題や赤坂の飲み屋へ入り浸って碁を打った
りしていることを当時のベンチャー企業部長の大塚将司氏(元証券部次長)が株主総会で
追及して、解雇された。私は大塚氏とは財界クラブで一緒に働いたこともあり解雇された
大塚氏の支援に立ち上がった。励ます会などを開いて応援した。双方で訴訟を出して争っ
たが、最終的に大塚氏と鶴田氏は和解した。私も鶴田派の社員に恨まれたが、一方で「よ
く大塚君を応援してくれた」と励ましてくれた人もいた。

| 追悼録 | 19:11 | - | - | pookmark |
2020.04.01 Wednesday

勝負はスマホで読まれること
「二水会」という会がある。第二水曜日に朝日新聞の経済部のOBが現役の記者から最
近の動きを聞いて勉強する。2か月に1回の割合で開かれている。定年退職しても実際の
経済の動きを知っておきたいということから始まったようである。私は5年ほど前から参
加した。2月12日に80歳を超える長老から60歳台の若手(?)まで14人がプレス
センターに集まった。講師は医療や介護を担当している浜田陽太郎・経済部編集委員であ
る。
浜田氏は自分が書いた記事を中心に今の貧しくなった社会の断面をいろいろと話した。
びっくりしたのは浜田氏は書いた原稿を新聞に載せるよりも「いかにヤフーニュースに載
せるかが勝負で書いている」と話す。浜田氏はデジタル編集部デスクにいたこともありデ
ジタルには関心がある。
新聞の一面トップに書いても若い読者は
読んでなくヤフーニュースに載れば反響が大きい。朝日新聞にとってもヤフーニュース
に載ればヤフーから金が入る仕組みになっている、ようである。スマートフォン(スマホ
)でニュースを読む若者が多くなっている。電車の中でも新聞を読んでいる人よりもスマ
ホを見ている人が圧倒的でありことでもわかる。
新聞社も紙からインターネットでニュースが読まれることでいろいろ取り組んできた。
朝日新聞でもかなり早い段階で「アサヒコム」を立ち上げて読めるようにした。新聞各社
もそれなりで始めた。しかし、無料で始めたこのサイトは新聞記事をインターネットでも
読めるという域を出なかった。
そうしたなかでヤフーは新聞社や通信社からニュースを集めて「ヤフーニュース」を流
した。新聞社は最初の段階ではヤフーにニュースを流すことに抵抗した。強い新聞社ほど
自分のところのニュースは流さなかった。こうした苦労は19年10月に出版された
「2050年のメディア」(文芸春秋、下山進慶大総合政策学部招聘教授)に詳しい。
ヤフーニュースを作っている「ヤフージャパン」と新聞社、通信社との戦いも詳しく書
かれている。96年にスタートした「ヤフージャパン」は05年3月期には売上は5年前
の20倍となりポータルサイトとしては成長した。これを見て朝日、読売、日経は08年
1月に「あらたにす」を作りニュースを流したが、4年足らずで閉じた。
08年にアイホンが発売されスマホでニュースが見られるようになってから、ヤフーニ
ュースがますます読まれるようになった。今や朝日をはじめいかにヤフーニュースに売り
込むかが勝負になってきている。
新聞社や通信社との戦いは今やヤフーニュースとの戦いになっている。新聞記者も変わ
らざるを得なくなって来ている。

| その他 | 13:49 | - | - | pookmark |
2020.04.01 Wednesday

神田松鯉氏の人間国宝を祝う会
講談界の第一人者の神田松鯉氏が人間国宝(重要無形文化財保持者)になったお祝いの会
が1月26日に帝国ホテルで開かれた。発起人代表は神田松鯉講談教室の桑原一男会長、
発起人には春風亭昇太・落語芸術協会会長、日本講談協会の神田紅会長、日本ペンクラブ
の吉岡忍会長、俳人協会大串章会長、神田松鯉友の会の出崎克会長などが名を連ねた。
最初に桑原氏が「寒い中をご来場いただきありがとうございます。私たちが講談を教え
ていただいている先生の神田さんが人間国宝になってこんなうれしいことはありません。
本日は神田さんを祝って、また励ましてください」とあいさつした。日本ペンクラブの吉
岡氏や大串氏らがあいさつし、神田氏は夫婦で壇上に上り「今日は本当にありがとうござ
いました。これからも臆せず、たゆまずに進んでいきたい」とあいさつした。壇上には弟

子の神田松之亟,鯉栄、あぐりなどが並んだ。松之亟が2月には伯山を襲名することが披
露された。
最後は朝日新聞のOBである轡田隆史さんが三本締めで締めた

| その他 | 13:48 | - | - | pookmark |
2020.04.01 Wednesday

マスコミ編)
朝日新聞労組が渡辺社長に不信任
朝日新聞労組が昨年末に実施した「賃下げに関するアンケート」によると5年たった渡
辺雅隆社長に対して評価できるが1・4%、どちらかというと評価できると合わせても
15・2%と明確な不信任を突きつけた。しかし、渡辺社長は1月6日に開いた新年会で
は現在の中期経営計画(2916年度―20年度)を約1年残して打ち切り新計画を7月
からっスタートさせることを表明し、居座りを図った。朝日新聞は購読者と広告の減少で
大幅な減益になりそれを都内の世田谷工場、座間工場をゼネコンに売却して補っており、
あるOBは「不動産屋に成り下がってしまった」と渡辺体制を嘆いている。(雑誌
FACTAより)

| メディア研究会 | 13:48 | - | - | pookmark |
2020.04.01 Wednesday

追悼録
小林圧一郎・関西電力元会長
2月4日心不全のために 死去。享年97歳。
「こばしょうさん」といわれており、我々東京の財界記者にも好かれていた。東大経
済学部の卒業ということからか?特に東電の平岩外岩氏とはツーカーの仲だった。会長の
時代に87年2月26日に取締役会で当時の実力者の芦原義重名誉会長の退任決議を取り
付けて「関電2・26事件」といわれて経済界の関心を集めた。

 


高畑敬一・松下電器産業(現パナソニック)常務
2月8日老衰のため死去。享年90歳
高畑さんは私が46年前に大阪経済部で松下電器を担当した時には労働組合の委員長だ
った。当時は第一次石油ショックの後の不況の時で松下も半ドン制を行い不況対策を進め
た。そうした時に高畑さんに取材して特ダネを取った。高畑さんは松下幸之助さんの信頼
を得ておりこうした不況対策も松下さんと直接話をしていた。こうしたことから高畑さん
は突然、会社の取締役に選ばれて我々記者連中もびっくりした。組合のトップが経営陣に
なった背景には幸之助さんの考えがあった。経営者としての高畑さんは組合とは場違いの
ことも多く、やりにくいことが多かったようだ。

 


木村操・元名古屋鉄道社長
胆管がんのために2月8日死去。享年82歳。
広瀬貞雄・元富士紡績(現富士紡ホールディングス)社長
2月7日心不全のために死去。享年87歳。
朝日新聞出身で元テレビ朝日の広瀬道貞会長と大分県知事の勝貞氏の実兄。興銀にも
実弟がいたが早世した。父親は正雄氏で日田市長や郵政大臣を務めた。

 


佐々木隆之・元JR西日本鉄道社長
2月20日病気のため死去。享年73歳。
05年の福知山線脱線事故で在宅起訴された山崎正夫社長の辞任に伴い09年に副

社長から社長になった。事故を受けて安全性向上や被害者、遺族の対応に当たった
。12−16年会長を務めた。

| 追悼録 | 13:47 | - | - | pookmark |
2020.03.04 Wednesday

藤森さんへ3月4日 コンフィデンシャルです
(マスコミ編)
勝負はスマホで読まれること
「二水会」という会がある。第二水曜日に朝日新聞の経済部のOBが現役の記者から最
近の動きを聞いて勉強する。2か月に1回の割合で開かれている。定年退職しても実際の
経済の動きを知っておきたいということから始まったようである。私は5年ほど前から参
加した。2月12日に80歳を超える長老から60歳台の若手(?)まで14人がプレス
センターに集まった。講師は医療や介護を担当している浜田陽太郎・経済部編集委員であ
る。
浜田氏は自分が書いた記事を中心に今の貧しくなった社会の断面をいろいろと話した。
びっくりしたのは浜田氏は書いた原稿を新聞に載せるよりも「いかにヤフーニュースに載
せるかが勝負で書いている」と話す。浜田氏はデジタル編集部デスクにいたこともありデ
ジタルには関心がある。
新聞の一面トップに書いても若い読者は
読んでなくヤフーニュースに載れば反響が大きい。朝日新聞にとってもヤフーニュース
に載ればヤフーから金が入る仕組みになっている、ようである。スマートフォン(スマホ
)でニュースを読む若者が多くなっている。電車の中でも新聞を読んでいる人よりもスマ
ホを見ている人が圧倒的でありことでもわかる。
新聞社も紙からインターネットでニュースが読まれることでいろいろ取り組んできた。
朝日新聞でもかなり早い段階で「アサヒコム」を立ち上げて読めるようにした。新聞各社
もそれなりで始めた。しかし、無料で始めたこのサイトは新聞記事をインターネットでも
読めるという域を出なかった。
そうしたなかでヤフーは新聞社や通信社からニュースを集めて「ヤフーニュース」を流
した。新聞社は最初の段階ではヤフーにニュースを流すことに抵抗した。強い新聞社ほど
自分のところのニュースは流さなかった。こうした苦労は19年10月に出版された
「2050年のメディア」(文芸春秋、下山進慶大総合政策学部招聘教授)に詳しい。
ヤフーニュースを作っている「ヤフージャパン」と新聞社、通信社との戦いも詳しく書
かれている。96年にスタートした「ヤフージャパン」は05年3月期には売上は5年前
の20倍となりポータルサイトとしては成長した。これを見て朝日、読売、日経は08年
1月に「あらたにす」を作りニュースを流したが、4年足らずで閉じた。
08年にアイホンが発売されスマホでニュースが見られるようになってから、ヤフーニ
ュースがますます読まれるようになった。今や朝日をはじめいかにヤフーニュースに売り
込むかが勝負になってきている。
新聞社や通信社との戦いは今やヤフーニュースとの戦いになっている。新聞記者も変わ
らざるを得なくなって来ている。
(文化編)

| その他 | 11:04 | - | - | pookmark |
2020.03.04 Wednesday

神田松鯉氏の人間国宝を祝う会
講談界の第一人者の神田松鯉氏が人間国宝(重要無形文化財保持者)になったお祝いの会
が1月26日に帝国ホテルで開かれた。発起人代表は神田松鯉講談教室の桑原一男会長、
発起人には春風亭昇太・落語芸術協会会長、日本講談協会の神田紅会長、日本ペンクラブ
の吉岡忍会長、俳人協会大串章会長、神田松鯉友の会の出崎克会長などが名を連ねた。
最初に桑原氏が「寒い中をご来場いただきありがとうございます。私たちが講談を教え
ていただいている先生の神田さんが人間国宝になってこんなうれしいことはありません。
本日は神田さんを祝って、また励ましてください」とあいさつした。日本ペンクラブの吉
岡氏や大串氏らがあいさつし、神田氏は夫婦で壇上に上り「今日は本当にありがとうござ
いました。これからも臆せず、たゆまずに進んでいきたい」とあいさつした。壇上には弟

子の神田松之亟,鯉栄、あぐりなどが並んだ。松之亟が2月には伯山を襲名することが披
露された。
最後は朝日新聞のOBである轡田隆史さんが三本締めで締めた。
(マスコミ編)

| その他 | 11:04 | - | - | pookmark |
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