2016.08.23 Tuesday

朝日人の様々な死とお別れ会

 朝日新聞のトップが今年にはいって相次いで亡くなっている。最初は上野尚一社主で2月29日に79歳で亡くなった。次いで元主筆の若宮啓文氏が4月28日に北京のホテルで死去しているのが見つかった。68歳であった。次いで一柳東一郎元社長が6月7日に91歳で死去した。朝日新聞ではそれぞれ大きく報じられたが、ほかの新聞では単なる死亡記事として報道されただけだった。

 上野社主は身内で通夜・葬儀を済ませたのち、東京・大阪本社に記帳所を作った。社内外から約450人が弔問に訪れた。そのあとで4月2日に帝国ホテル孔雀の間でお別れの会を開いたがグループ企業、関連団体、取引先などから約千人が訪れた。お別れの会では渡辺雅隆・朝日新聞社社長が追悼の辞を読み上げた。次いで友人代表として渋谷教育学園理事長の田村哲夫氏が「君と出会ったのは麻布の中学時代で校庭で野球をしているときでした。君は大学卒業後すぐに英国に留学し戻って朝日新聞社で活躍しました。私は住友銀行に入り、ほどなく父の残した教育の仕事を受け継ぎ教師となりました。君は教育の仕事に関心を持ちよく話をしました」と弔辞を述べた。次いで京都国立博物館館長の佐々木丞平氏が「評議員として長く勤めていただきました」と述べた。

 一柳社長のお別れ会は8月5日に帝国ホテル孔雀の間で開かれるが、社内報では6月10日の都内杉並区の長明寺会館での告別式の時に桑田弘一郎・元テレビ朝日社長が「剛毅果断決断力と最新緻密な心配り」と弔辞を述べた、ことを伝えている。

 北京で死去した若宮氏はシニアフェローを務めていた「日本国際交流センター」が中心になり、7月29日に帝国ホテル富士の間で「偲ぶ会」が開かれ各界から500人が参列した。

 

 新聞社の再編成が話題になる

 

 月刊文芸春秋7月号で「小説新聞社販売局」を書いた幸田泉氏が新聞社の再編成問題を書いており、それを受けて週刊ポスト7月8日号で「朝日VS読売・時事通信VS共同通信・産経・毎日 『全国紙3紙』時代がやって来る」と派手に報じている。

 これによると新聞は若者の新聞離れとともに新聞を好んで取っていた団塊の世代が死んでゆくとともに減り続けてゆく。2020年には読売で500万部、朝日で350万部と言う予測もある。新聞が減るとともに広告も減ってゆき、インターネットなどに流れている。こうした潮流の中で10年以上も赤字で苦しんでいる時事通信社が読売と統合して「読売新聞通信」となる。この通信は新聞発行とともに通信社機能を持つメガメディアになる。読売は共同が流している地方の新聞社に対して安い情報料を提示して、共同離れを画策してゆく。

 こうした読売構想に対して共同は産経新聞、毎日新聞に対して手を差し伸べて統合する。朝日新聞は不動産に支えられて独立してゆけるとみており、新聞業界は全国紙は3つに統合されてゆくというのが幸田構想のようである。

 こうした構想に対して毎日新聞OBで「新聞社 破たんしたビジネスモデル」(新潮新書)を書いた河内孝氏は「中日新聞と毎日、産経が販売面で一緒になり、朝日、読売と競争する必要がある」と9年前に述べている。今回の幸田氏の業界再編成は通信社が絡んできていることが河内氏の新聞社だけとは違っている。このままでは新聞業界は立ち行かなくなるのは間違いないだろう。

 

 街づくりのコミュニティネットの快進撃

 生活環境づくりや地域再生のための研究、立案などのコンサルタント会社の「コミュニティネット」(本社東京、資本金約3億2千万円、高橋英興社長)が快進撃を続けている。6月17日に開かれた記者懇談会で高橋社長は「このたび、スポーツ施設や介護リハビリ事業をしているルネサンスや三菱総合研究所、あいおいニッセイ同和損保などと資本提携するとともに業務提携をしてゆきます」と述べた。

 コミュニティネットは18年前に高橋社長が資本金5千万円で子供から高齢者までが共に暮らせる街づくりを目指して作った。市町村や老人の施設や保育園などからの要望があるとじっくり調査をしてプランを作る。そのために時間がかかるほかに資金も必要である。そうした中で同社が作ってきたのはサービス付高齢者住宅(サ高住)で09年10月にゆいまーる伊川谷(神戸市)をはじめとして現在は17年3月に完成する桜美林ガーデンヒルズまでゆいまーるシリーズは10棟になる。

 このほかに地方創生ということで各地方辞自体からの地域包括ケアの街づくりの注文も来ている。現在、鳥取県湯梨浜町、北海道・厚沢部町,都留市、秩父市などから街づくりなどの依頼が来てプラン作りをしている。

 こうした実績を見てこれから老人施設などの経営をしてゆく考えのある会社がコミュニティネットと提携をしようという申し込みが増えている。高橋社長は「私の会社は現場に行って問題がどこにあるかを調べて解決策を打ち出す。このためには反対する議員を説得することもします。だから時間がかかるんです」と話している。

 

 小城社長の経歴は生かされるのか?

 

 都会にいる有能な人材を地方に移して地方の活性化をしようという安倍政権の目玉である「日本人材機構」が苦闘している。6月24日に日本記者クラブで会見した小城武彦社長は「設立して1年になりますが、一ケタの人を探しただけです。地方の会社について都会の人は知らないことが多く、行くことに躊躇しています。地方の活性化のためには良い人材がいなくてはならないのは間違いないので解散が決まっている23年3月末までには希望を現実のものとしてゆきたいですね」と語った。

 この会社は政府(地域経済活性化支援機構)の全額出資25億円で15年8月に作られた。社長には通産省(現経済産業省)OBの小城氏(55)が就任した。小城氏は84年から13年間働いたが、日本の大企業の人材が活用されていないことに疑問を持ち、「人材の活性度を上げること」を人生のミッション(使命)と定めて退官した。その後、カルチャ・コンビニエンス・クラブ(CCC)に平社員で入社してオーナーのかばん持ちでスタートした。ディレクTVなど失敗の経験をして代表取締役2年を経験した。そのご、産業再生機構に入りカネボウ社長などを務めたが「優秀な人材を抱えていながら破たんしたこと」を実感した。丸善CHIホールディングス(旧丸善)の社長を6年務めた。

 プリンストン大学ウッドローウイルソン大学院、東京大学大学院経済学博士課程を修了して東京大学から経済学博士授与されている。

 こうした華やかな経歴を持つ小城氏だが疲弊している地方に人材が行って活性化することには疑問がある。

 「地方が活性化すれば自然に人は集まる。今のようにシャッター通りの地方には人を行けというのは無理だ。その点をどう考えるか?」の質問には小城氏は「そうした考えもあるが素晴らしい人材が行けば活性化はできる。何とかしてゆきたい」と答えたが、果たして思うようになるかどうか。

 

 

 マスコミの関心高いが答えはあいまい

 

 4月に熊本で起きた二つの地震を巡りいろいろな議論が起きているが、いつ首都圏で起きるかに注目が集まっている。そうした中で日本記者クラブで6月29日に地震の予知では権威のある東大地震研究所の平田直教授(防災教育普及協会会長)が「熊本の教訓と首都の備え」というテーマで講演をした。この問題の関心の高さを示すように100人近くの記者が集まった。平田教授は熊本地震については「震度7が観測された二つの熊本地震は異例のことである。しかし、熊本、阿蘇地方ではM6程度の余震が発生する可能性は低下した」と述べた。また、首都直下地震については「南関東での大地震は必ず起きる。首都直下地震が起きたら、甚大な被害になる」と述べた。

 そのあと、質問があり「それではいつ首都直下地震があるのか?この点が聞きたい」と言うことには「いつということは言えない。今の地震学では予測が困難である。20年以内に70%の確率ということをいうのがせい一杯です」という。

 「30年前に伊豆で大島が爆発した時に東海沖地震が20年にないにあるという予測を出して避難させたが地震はなかった。こうした予測は一般の人を不安にするだけで出さないほうが良いのではないか?」ということには「大規模地震防災法(大震法)という法律でこうした予測を出している。できるだけ正しい予測をしているが早めの準備をするほうが良いと いうので前向きになってしまう」と答えた。平田氏は防災教育不況協会の会長の立場から「東日本大震災でも釜石東中学の防災教育がたくさんの命を救った。こうした日ごろからの訓練が必要な時である」と話を結んだ。

 

 

 外国人記者クラブが泡沫候補16人を招いて記者会見

 

 日本外国特派員協会(FCCJ)は都議選の投票日(7月31日)前の7月29日に泡沫候補と言われる16人を招いて記者会見をした。この会見は7月8日に有力な候補者の小池ゆり子氏を招いたのことに泡沫候補と言われる谷山雄二郎氏が「私にも記者会見をさせろ」と申し入れたのに、断られたことから「不平等だ」と抗議されたことから全候補に招待状を出してこの日の会見になった。有力候補の増田寛也(自民党・公明党推薦)、鳥越俊太郎(民進党などが推薦)などは出席しなかった。16人は英語でしゃべったマック赤坂氏などそれぞれが主張を2分間の中で展開した。

 

 

 

| - | 08:56 | - | - | pookmark |
2016.08.22 Monday

外国人記者クラブが泡沫候補16人を招いて記者会見


日本外国特派員協会(FCCJ)は都議選の投票日(7月31日)前の7月29日に泡沫候補と言われる16人を招いて記者会見をした。この会見は7月8日に有力な候補者の小池ゆり子氏を招いたのことに泡沫候補と言われる谷山雄二郎氏が「私にも記者会見をさせろ」と申し入れたのに、断られたことから「不平等だ」と抗議されたことから全候補に招待状を出してこの日の会見になった。有力候補の増田寛也(自民党・公明党推薦)、鳥越俊太郎(民進党などが推薦)などは出席しなかった。16人は英語でしゃべったマック赤坂氏などそれぞれが主張を2分間の中で展開した。

 

 

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2016.08.22 Monday

マスコミの関心高いが答えはあいまい


4月に熊本で起きた二つの地震を巡りいろいろな議論が起きているが、いつ首都圏で起きるかに注目が集まっている。そうした中で日本記者クラブで6月29日に地震の予知では権威のある東大地震研究所の平田直教授(防災教育普及協会会長)が「熊本の教訓と首都の備え」というテーマで講演をした。この問題の関心の高さを示すように100人近くの記者が集まった。平田教授は熊本地震については「震度7が観測された二つの熊本地震は異例のことである。しかし、熊本、阿蘇地方ではM6程度の余震が発生する可能性は低下した」と述べた。また、首都直下地震については「南関東での大地震は必ず起きる。首都直下地震が起きたら、甚大な被害になる」と述べた。

そのあと、質問があり「それではいつ首都直下地震があるのか?この点が聞きたい」と言うことには「いつということは言えない。今の地震学では予測が困難である。20年以内に70%の確率ということをいうのがせい一杯です」という。

「30年前に伊豆で大島が爆発した時に東海沖地震が20年にないにあるという予測を出して避難させたが地震はなかった。こうした予測は一般の人を不安にするだけで出さないほうが良いのではないか?」ということには「大規模地震防災法(大震法)という法律でこうした予測を出している。できるだけ正しい予測をしているが早めの準備をするほうが良いと いうので前向きになってしまう」と答えた。平田氏は防災教育不況協会の会長の立場から「東日本大震災でも釜石東中学の防災教育がたくさんの命を救った。こうした日ごろからの訓練が必要な時である」と話を結んだ。

 

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2016.08.22 Monday


小城社長の経歴は生かされるのか?


都会にいる有能な人材を地方に移して地方の活性化をしようという安倍政権の目玉である「日本人材機構」が苦闘している。6月24日に日本記者クラブで会見した小城武彦社長は「設立して1年になりますが、一ケタの人を探しただけです。地方の会社について都会の人は知らないことが多く、行くことに躊躇しています。地方の活性化のためには良い人材がいなくてはならないのは間違いないので解散が決まっている23年3月末までには希望を現実のものとしてゆきたいですね」と語った。

この会社は政府(地域経済活性化支援機構)の全額出資25億円で15年8月に作られた。社長には通産省(現経済産業省)OBの小城氏(55)が就任した。小城氏は84年から13年間働いたが、日本の大企業の人材が活用されていないことに疑問を持ち、「人材の活性度を上げること」を人生のミッション(使命)と定めて退官した。その後、カルチャ・コンビニエンス・クラブ(CCC)に平社員で入社してオーナーのかばん持ちでスタートした。ディレクTVなど失敗の経験をして代表取締役2年を経験した。そのご、産業再生機構に入りカネボウ社長などを務めたが「優秀な人材を抱えていながら破たんしたこと」を実感した。丸善CHIホールディングス(旧丸善)の社長を6年務めた。

プリンストン大学ウッドローウイルソン大学院、東京大学大学院経済学博士課程を修了して東京大学から経済学博士授与されている。

こうした華やかな経歴を持つ小城氏だが疲弊している地方に人材が行って活性化することには疑問がある。

「地方が活性化すれば自然に人は集まる。今のようにシャッター通りの地方には人を行けというのは無理だ。その点をどう考えるか?」の質問には小城氏は「そうした考えもあるが素晴らしい人材が行けば活性化はできる。何とかしてゆきたい」と答えたが、果たして思うようになるかどうか。

 

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2016.08.22 Monday

街づくりのコミュニティネットの快進撃

生活環境づくりや地域再生のための研究、立案などのコンサルタント会社の「コミュニティネット」(本社東京、資本金約3億2千万円、高橋英興社長)が快進撃を続けている。6月17日に開かれた記者懇談会で高橋社長は「このたび、スポーツ施設や介護リハビリ事業をしているルネサンスや三菱総合研究所、あいおいニッセイ同和損保などと資本提携するとともに業務提携をしてゆきます」と述べた。

コミュニティネットは18年前に高橋社長が資本金5千万円で子供から高齢者までが共に暮らせる街づくりを目指して作った。市町村や老人の施設や保育園などからの要望があるとじっくり調査をしてプランを作る。そのために時間がかかるほかに資金も必要である。そうした中で同社が作ってきたのはサービス付高齢者住宅(サ高住)で09年10月にゆいまーる伊川谷(神戸市)をはじめとして現在は17年3月に完成する桜美林ガーデンヒルズまでゆいまーるシリーズは10棟になる。

このほかに地方創生ということで各地方辞自体からの地域包括ケアの街づくりの注文も来ている。現在、鳥取県湯梨浜町、北海道・厚沢部町,都留市、秩父市などから街づくりなどの依頼が来てプラン作りをしている。

こうした実績を見てこれから老人施設などの経営をしてゆく考えのある会社がコミュニティネットと提携をしようという申し込みが増えている。高橋社長は「私の会社は現場に行って問題がどこにあるかを調べて解決策を打ち出す。このためには反対する議員を説得することもします。だから時間がかかるんです」と話している。

 

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2016.08.22 Monday

新聞社の再編成が話題になる


月刊文芸春秋7月号で「小説新聞社販売局」を書いた幸田泉氏が新聞社の再編成問題を書いており、それを受けて週刊ポスト7月8日号で「朝日VS読売・時事通信VS共同通信・産経・毎日 『全国紙3紙』時代がやって来る」と派手に報じている。

これによると新聞は若者の新聞離れとともに新聞を好んで取っていた団塊の世代が死んでゆくとともに減り続けてゆく。2020年には読売で500万部、朝日で350万部と言う予測もある。新聞が減るとともに広告も減ってゆき、インターネットなどに流れている。こうした潮流の中で10年以上も赤字で苦しんでいる時事通信社が読売と統合して「読売新聞通信」となる。この通信は新聞発行とともに通信社機能を持つメガメディアになる。読売は共同が流している地方の新聞社に対して安い情報料を提示して、共同離れを画策してゆく。

こうした読売構想に対して共同は産経新聞、毎日新聞に対して手を差し伸べて統合する。朝日新聞は不動産に支えられて独立してゆけるとみており、新聞業界は全国紙は3つに統合されてゆくというのが幸田構想のようである。

こうした構想に対して毎日新聞OBで「新聞社 破たんしたビジネスモデル」(新潮新書)を書いた河内孝氏は「中日新聞と毎日、産経が販売面で一緒になり、朝日、読売と競争する必要がある」と9年前に述べている。今回の幸田氏の業界再編成は通信社が絡んできていることが河内氏の新聞社だけとは違っている。このままでは新聞業界は立ち行かなくなるのは間違いないだろう。

 

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2016.08.22 Monday

朝日人の様々な死とお別れ会

 朝日新聞のトップが今年にはいって相次いで亡くなっている。最初は上野尚一社主で2月29日に79歳で亡くなった。次いで元主筆の若宮啓文氏が4月28日に北京のホテルで死去しているのが見つかった。68歳であった。次いで一柳東一郎元社長が6月7日に91歳で死去した。朝日新聞ではそれぞれ大きく報じられたが、ほかの新聞では単なる死亡記事として報道されただけだった。

 上野社主は身内で通夜・葬儀を済ませたのち、東京・大阪本社に記帳所を作った。社内外から約450人が弔問に訪れた。そのあとで4月2日に帝国ホテル孔雀の間でお別れの会を開いたがグループ企業、関連団体、取引先などから約千人が訪れた。お別れの会では渡辺雅隆・朝日新聞社社長が追悼の辞を読み上げた。次いで友人代表として渋谷教育学園理事長の田村哲夫氏が「君と出会ったのは麻布の中学時代で校庭で野球をしているときでした。君は大学卒業後すぐに英国に留学し戻って朝日新聞社で活躍しました。私は住友銀行に入り、ほどなく父の残した教育の仕事を受け継ぎ教師となりました。君は教育の仕事に関心を持ちよく話をしました」と弔辞を述べた。次いで京都国立博物館館長の佐々木丞平氏が「評議員として長く勤めていただきました」と述べた。

 一柳社長のお別れ会は8月5日に帝国ホテル孔雀の間で開かれるが、社内報では6月10日の都内杉並区の長明寺会館での告別式の時に桑田弘一郎・元テレビ朝日社長が「剛毅果断決断力と最新緻密な心配り」と弔辞を述べた、ことを伝えている。

 北京で死去した若宮氏はシニアフェローを務めていた「日本国際交流センター」が中心になり、7月29日に帝国ホテル富士の間で「偲ぶ会」が開かれ各界から500人が参列した。


 

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2016.08.22 Monday

追悼録 経団連と日経連の統合の裏方を務めた藤井義弘さん

 16年6月1日大阪の病院で死去。享年90歳。お別れの会は8月2日大阪市内のリーガロイヤルホテルで。

 戦後、経済同友会が設立されたのをきっかけに経団連、日経連などが設立され、戦前からあった日商を含めて財界4団体と言われてきた。ところがバブルがはじけた後、2000年に入り省庁再編が行われて、財界団体も再編成をすべきだという声が上がった。長期の不況で財界団体への負担が重くなりってきたこともあった。そうした中で豊田章一郎・経団連会長は日経連との統合を打ち出した。腹心の奥田碩氏を根本二郎氏の後任の日経連の会長に送り込んだ。豊田会長時代は実現せずに、後任の今井敬会長の時代の02年5月に統合した。

 この統合の裏方を務めたのが藤井さんで日経連の副会長だった。日経連の中には経団連と一緒になることで労働問題が軽視される心配があるという声が高まり、根本・前会長などは統合に反対していた。そうした中で2000年9月に経団連と日経連が合同の検討組織を作り、この座長に藤井さんがなった。日経連の抵抗が強く、12月までに6回にわたり会合を開いた。会合のあとで藤井座長が記者会見をしたが、「財界団体の初めての統合で難しい問題だが、なんとか実現するように持ってゆきたい」と話していた。この会見ではいつも明るい顔で記者に対していたが、日経連の抵抗には苦労していた、ようである。

 藤井さんは三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)を副会長まで40年務め、88年6月日立造船の社長になった。日立造船は長引く造船不況とプラサ合意後の円高で2千億円の実質赤字になっていた。この立て直しに派遣された。日立造船は私が40年前に大阪経済部で担当した時には松原興三松氏の後の永田敬生氏が社長であった。創業以来の好決算で臨時ボーナスを出していた。造船業界は好況、不況の波に洗われていた。

 藤井さんは人減らしに手を付けるとともに新規事業の環境や産業廃棄物処理などの事業を次々に分社化して成功させた。中でも杜仲茶(とうちゅうちゃちゃ)の販売には力を入れてポットを用意して来客に飲んでもらった。こうした努力が実り日立造船は黒字転換した。

 藤井さんは銀行時代は営業が長くお客と付き合うことが多かった。営業が長い同じ大阪に本店を置く住友銀行の樋口廣太郎氏とは親しかった。ある時、新幹線に乗って寝ているときに樋口さんに起こされて「アサヒビールを飲んでくれよ」と言われた。藤井さんはその時に杜仲茶を飲んでもらおうと思ったが残念ながら手元になかった。二人に共通なのはせっかちということだろう。「サイレンサー」「張り切りボーイ」「突貫小僧」などの異名を持っていた。藤井さんは相手の話を聞かずに一方的にしゃべって終わることが多かった。藤井さんが三和銀行名古屋支店長の時代に部下として仕えた原田和明・元三和総合研究所理事長は部下の評価についても藤井さんはじっくり考える熟考型を低くしていた。将棋に詳しい原田さんがある時に藤井さんに「将棋界の升田名人と大山名人は対照的で、升田名人は言語が派手で即妙なのに大山名人は熟慮しじっくり型です。最後は大山名人のほうが勝ちました。熟慮型の人の評価を上げてください」と言ったところ藤井さんは「忙しい時代にそんなじっくりしていてはだめだ。ぱっぱと処理する部下のほうが良い。おまえの言うことは受け入れられない」と怒った。その後、原田さんは必要なことだけしか話さないようにしていたが、ある時「おい、昼飯を食いに行こう」と言って「お前の言ったことも一理あるからこれから考えるわ」とぽっりと言った。藤井さんの人事考課のスタンスは変わった。

 (月刊誌リベラルタイム)

| その他 | 06:28 | - | - | pookmark |
2016.08.22 Monday

コキタナバルの旅ず能回

 

 最悪のスコアで回る

 

 5年前に舌がんになってから健康回復のためゴルフは週1回の割でしている。15年は60回やった。16年になっても週1回の割合でプレーしている。そうした中でのコキタナバルへの旅行だけにゴルフの参加をオプションでした。2月20日の土曜日にやることになった。費用は土曜日なので約15000円だ。

 当日まで誰とプレーするかわからなかった。ゴルフの幹事は京都から来た平野仁智君がした。平野君は父親の仁壽(ひろとし)さんと一緒に来ていた。平野君は毎日ゴルフをしていたので私とはそれまでほどんと会っていない。当日ゴルフ場はホテルのそばの「ステラハーバーゴルフクラブ」である。歩いて行った。この日は10人がプレーした。私は花岡紀夫さん、新道雄さん、雨宮為男さんと一緒である。

 借りクラブなのでクラブを選んだが、ウッドは1番だけしかなく、あとはアイアンだけである。ほかの人たちが良いクラブを選んでしまったので残り物である。パターはさび付いていた。私は歳をとるとともにアイアンよりもウッドを使うことが多く困ったな、と思ってスタートした。日差しが強いのでサングラスをしていたこともあり距離感がつかめずにLAKESでは59、GARDENでは56を打って115である。今年最悪のスコアになった。同じく回った人たちもいずれも100を超していた。

 キャディーはついていたが、アイアンのクラブではどの程度飛ぶかわからずに、池に入れることが多かった。平野君などは毎日回っていたので80台という。

雨宮さんがスコアをまとめて表彰をするという。私は「事前にコンペならコンぺといってノータッチなのか、完全ホールアウトなのか言わないで、スコアだけを比べるのはおかしい」と言った。同じに回った3人も私はノータッチでプレーしたのにほかの人は動かしていた。

 後味の悪いゴルフであったが、2時過ぎのは終わってホテルに帰り海岸べりを歩いた。ホテルの砂浜では結婚式をしておりそれを見ていた。面白い風景だった。花岡さんは海岸のデッキで本を読んでいた。

| - | 06:28 | - | - | pookmark |
2016.07.27 Wednesday

立花証券元社長 石井 久さん

 

時代を先読みした「兜町の風雲児」

 

 四十六年前の二月、私は朝日新聞社の東京経済部に異動し、証券担当記者となった。当時は「場況」といい、証券会社の株式部長や次長に動きを聞いて記事を書いていた。

 私が取材した中に、立花証券があった。野村證券等の大手の他、中小の証券会社の見方も聞いて回ったのだ。立花証券は、かつて「独眼流」というペンネームで株の動きを書いていた石井久さんが社長を務めていた。「兜町の風雲児」といわれていた石井さんはいつも社長室にいて、記者の相手をするのは株式部長の福園一成氏(故人)だった。福園氏はいつも強気に「どんなに下がっていても、これは一時の綾で、すぐに上がりますよ」といっていたので、「強気の福園」というニックネームがついていた。その福園氏がある時、「石井社長と一緒に一杯やりましょう」というので、料理屋で懇談した。そこで私は石井さんと初めて会った。

 石井さんは一九五三年二月、株式新聞の記者時代に「桐一葉・落ちて天下の秋を知る!」という見出しで株式の暴落予想を書いた。その後、株式市場は旧ソ連のスターリンの死去等の影響で暴落し、石井さんの見通しの正確さを示した。

 福岡県大野村(現大野城市)の農家に生まれた石井さんは、十三人兄弟の七番目の五男だった。小学校時代は子守りや家の手伝い、農作業等で勉強をする時間がなかったが、授業を集中して聞いて、試験に出るところが予想できるようになった。成績は音楽を除いて全て「甲」だった。成績が優秀だったため、小学校の先生からは中学校への進学を勧められたが、家庭の事情によって上京して働くことになった。

 石井さんは軍需工場の徒弟や、どら焼き屋、警視庁の巡査、かつぎ屋等をして、資金を貯めてから司法試験を受けるつもりだった。しかし証券会社で仕事を始め、証券新聞で記事を書くようになった。石井さんは、「株の見通し等を書く上で、経済学者の高橋亀吉さんに指導を受けたことが役に立った。私の恩人です」と話していた。

 株の見通しが当たり、石井さんも自らの財産を増やし、資金は潤沢となった。五三年三月に石井株式研究所を設立し、同年九月には江戸橋証券を創業した。そうした中、石井さんは買収する会社を探していたところ、オーナーが証券会社を手放したがっていると聞きつけて、五七年、東京証券取引所の正会員会社だった立花証券を買収し、江戸橋証券から社名を変えた。

 石井さんが十三人兄弟だったことから、立花証券は十三人の社員でスタートした。無借金の自己資金で始めたため、初年度から黒字を計上。石井さんは立花証券の社長を二十六年間務め、八八年、福園氏が社長に就任した。福園氏は十二年間社長を務め、二〇〇〇年に石井さんの長男・登氏にバトンタッチした。

 石井さんは酒も飲まず、勝負事もせず、仕事一筋だった。私が財界担当記者だった時、夜、東京・銀座で飲んでいる石井さんに会った。「珍しいですね」といったら「同じ九州出身の今里廣記さん(当時、日本精工会長)や松園尚巳さん(当時、ヤクルト本社社長)とは、時々やるんですよ」と話していた。石井さんの宴会は決まって一次会でお開きとなり、夜十一時には就寝していた。

 石井さんは五九年、健康のためにゴルフを始めた。三年半でシングルになり、ハンディは四までいった。石井さんは悪天候以外でゴルフを休んだことがなく、土曜の午後に千葉県の「我孫子カントリークラブ」に行って、翌朝一番で二ラウンド半プレイし、そのあともショットの練習をしていた。お別れ会の会場には、ゴルフをする石井さんの華麗なショットの写真が飾られていた。

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