2016.11.10 Thursday

外国人記者クラブで「ピコ太郎」が会見

10月28日午後3時にの外国人記者クラブは今人気の「ピコ太郎」の会見に来たたくさんの記者やカメラマンであふれかえった。代表的な短い曲である「PPAP(ペンパイナツポーアッポペン)がギネスに世界で一番短い曲として認定され、その伝達式が行われた。21台のカメラと100人以上の記者がピコ太郎氏に質問した。ピコ太郎はペンとパイナップルをもって軽いギャグをしゃべったのがユーチューブなどに流れて世界場の話題をさらった。ユーチューブの全世界の再生回数は6700万回で動画サイトの累計再生回数は約4億5千万回に上り、海外で話題になった。この日の会見でも最初に軽いノリでPPAPを披露した。質問では「NHKの紅白に出たいか?」については「狙っています」と語った。年齢は53歳で結婚について聞かれて「2年前に結婚しました」と答えた。レコードを出すことについては「1曲はせいぜい1分であり20曲でも20分でレコードになりますか?」と答えた

 

| その他 | 07:09 | - | - | pookmark |
2016.11.10 Thursday

死刑廃止で記者会見
亀井静香衆院議員は10月6日に外国人記者クラブで記者会見をした。会見の内容は「死刑廃止を推進する議員連盟」の会長としてである。亀井氏は「日本弁護士連合会(日弁連)が死刑廃止の宣言をするのでそれに合わせて会見をした。世界中で米国など死刑廃止の動きが出ている。日本も日弁連が廃止を打ち出したのでその流れに沿って行うべきである。人間が死刑を宣言するなどということはあってはならない。日本では昔から閻魔大王がさばいてくれるということで人が死刑などということは決めなかった。無抵抗な状態で絞殺するなどということはありえない」と述べた。

 

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2016.11.10 Thursday

支部の独走に困惑する日本介護連
日本介護事業連合会(会長・愛知和男・元防衛庁長官)は、介護の問題を介護施設、民間会社などと一緒になって解決してゆこうと2年前に設立された。大阪、名古屋などにも支部を作り組織を拡大している。そうした中で東海支部が介護の仕事をすれば利回りが80%にも回るという知らせをインターネットなどで流している。老人ホームやグループホームなどを加盟店に入れば土地や建物は本部が用意し、運営もするという。しかし、こうしたうまい話は実現するのは難しい。
このために東京の本部はこうした営業は中止してほしい、と申し入れたが東海支部は聞かない。そのために日本介護事業連では今までは野放しになっていたのを改めて新しく支部の規定を作ることにした。新しい規定では支部の設立や廃止は本部理事会の決議によリ行う。支部の設立には3人以上の本部理事からの賛同がなければ支部を創れないようにする。
こうした支部規定に対しては「こんなに本部がOKしなければできないのはおかしい。もっと支部は自由に作ったほうがよいのではないか」という反対意見が出て、支部規定はできていない。
介護では今まではお泊りサービスなど事業者にとっておいしい話が多かった。そのために東海支部の会社のように加盟店方式でお客を募集するところが出てきてその信用のために日本介護連を使をうとしている業者も多い。

 

| その他 | 07:08 | - | - | pookmark |
2016.11.10 Thursday

作家の終活
75歳からの「信長の棺」で作家デビューして加藤廣氏が「昭和からの伝言」(新潮社 初版16年8月)を書いた。加藤氏の生まれてから現在までの履歴書と若い人たちへのお願いを書いている。それによると加藤氏は東大法学部を卒業した時にホンダに行くか日本中小企業金融公庫に行くかの選択があった。新しくできた公庫に興味をもってそちらに進んだ。作家になる夢もあったことも公庫を選んだ理由でもある。公庫では大蔵省、通産省から来た幹部との摩擦を感じながら仕事をしてきた、と書いている。
加藤氏が公庫の審査について企画部時代に早くするやり方を通産から来た幹部に見せたところ、それが日本興業銀行から来た幹部に見つけられて「君はどういう考えなんだ。今までやってきた興銀方式の審査にもんだいがあるのか?」とつるし上げられてこのやり方がほうむられた。
ところがそのあとに大蔵省から来た吉岡総裁が加藤氏の案を採用して審査が早くなった。加藤氏は「サラリーマンというのはトップ次第ですね」と書いている。
一方、企業作家の高杉良氏は「小説新潮」の16年2月号から「小説・めぐみ園の夏」の連載を始めた。この小説は高杉氏の少年のころのことを書いており、自叙伝である。作家になるまでのことを書き綴ってゆくことになる。老齢化時代になり作家も高齢者になるとともに自分の来た道を書いて終活する。

 

| 追悼録 | 07:08 | - | - | pookmark |
2016.11.10 Thursday


住友銀行秘史に登場する人たち
「住友銀行秘史」(講談社、初版16年9月)という本が出版されて金融業界では話題になっている。著者は住友銀行の取締役をした国重敦史氏(現在ミックスポイント会長兼社長)である。住友銀行で安宅産業の崩壊とともに大きな問題になったイトマン事件についての当時の動きをメモに基づいて書いている。当時、国重氏は大蔵省や日銀などの窓口としていろいろな情報を集めていた。そうした中でイトマンがやくざまがいの男たちにいいようにされて金が出てゆくことに危機感を感じた国重氏が何とかしなくてはいけないというので内部告発の文章を伊藤萬従業員一同ということで土田正顕銀行局長に送っていた。それとともに日銀やマスコミにも手をまわしている様子がすべて実名で出てくる。日銀では当時の考査局の溝田泰夫・管理課長と相談している。マスコミでは日経新聞の大塚將司記者と情報を提供するとともに、イトマンの記事を紙面にする様子が書かれている。読売は山口記者の名前が出てくる。
一方、住友銀行の中では磯田一郎会長と西貞三郎副頭取、河村良彦イトマン社長が伊藤寿永光、許永中と組んで金をふんだんに取られてゆく。このことに危機感を持った国重氏が「このままでは住友銀行はつぶれてしまう」と玉井英二副頭取、松下武義常務、西川善文常務などと組んで磯田会長を何とかやめさせようという動きが実名で出てくる。
最終的にはコーリン産業のトップの小谷光浩に当時の青葉台支店長が迂回融資をして逮捕されたことで、磯田会長は責任を取って辞任し、イトマン問題も河村社長の辞任などで収束してゆく。
国重氏は「メモを取っていたことから、講談社の編集者が25年たったので本にしたらどうだ、と勧められて書いた。迷惑している人もいるだろうが許してほしい」とあとがきに書いている。

 

| 本・その他 | 07:08 | - | - | pookmark |
2016.11.10 Thursday

藤森さんへ10月29日 コンフィデンシャルです
(経済編)
石川六郎・日商会頭の妻ヨシ子さん死去
石川六郎・日商会頭の妻のヨシ子さんが9月25日に87歳で死去した。ヨシ子さんは。鹿島建設のドンだった鹿島守之助と卯女の次女。長女は伊都子、三女は三枝子の女3人で弟は昭一の4人兄弟。長女の旦那は渥美健夫氏で通産省の役人。三女は平泉渉氏で外務省の役人だった。伊都子、三枝子はすでに死去しており、華麗なる一族の姉妹の最後の死去だった。
ヨシ子さんは守之助夫妻がイタリアに外交官として勤務していた時にローマで生まれ画家を志した。日本女子大美術史科を卒業した後、画家の倉田三郎氏(春陽会)に師事して日本画の道を歩んだ。 52年には日展に入選するともに個展も日本だけではなくローマやミラノなどで開いた。日動画廊での個展は02年までに10回開いている。画集「華」を出版するとともにフィレンツェで個展「華」、日本では彫刻の森美術館で同じ個展を開いている。
こうした画家として活動するとともに鹿島建設の社長、会長を務め、日商会頭として活動する六郎氏の妻として陰で支えた。
鹿島建設の社長はこのところ生え抜きが務めており、鹿島一族からは石川氏以来出ていない。ヨシ子さんの長男の洋・副社長(営業本部長)がいつ社長になるのかが注目されている。
当初、ヨシ子さんのお別れ会を開く予定だったが「諸般の都合で中止します」ということになった。鹿島家の中で三姉妹の中でヨシ子さんだけお別れ会を開くことに批判が出たために中止することになったようだ。ヨシ子さんと親しい画家の関係者は残念がっている。

 

| 追悼録 | 07:07 | - | - | pookmark |
2016.11.01 Tuesday

 石川六郎・日商会頭の妻ヨシ子さん死去

 石川六郎・日商会頭の妻のヨシ子さんが9月25日に87歳で死去した。ヨシ子さんは。鹿島建設のドンだった鹿島守之助と卯女の次女。長女は伊都子、三女は三枝子の女3人で弟は昭一の4人兄弟。長女の旦那は渥美健夫氏で通産省の役人。三女は平泉渉氏で外務省の役人だった。伊都子、三枝子はすでに死去しており、華麗なる一族の姉妹の最後の死去だった。

 ヨシ子さんは守之助夫妻がイタリアに外交官として勤務していた時にローマで生まれ画家を志した。日本女子大美術史科を卒業した後、画家の倉田三郎氏(春陽会)に師事して日本画の道を歩んだ。 52年には日展に入選するともに個展も日本だけではなくローマやミラノなどで開いた。日動画廊での個展は02年までに10回開いている。画集「華」を出版するとともにフィレンツェで個展「華」、日本では彫刻の森美術館で同じ個展を開いている。

 こうした画家として活動するとともに鹿島建設の社長、会長を務め、日商会頭として活動する六郎氏の妻として陰で支えた。

 鹿島建設の社長はこのところ生え抜きが務めており、鹿島一族からは石川氏以来出ていない。ヨシ子さんの長男の洋・副社長(営業本部長)がいつ社長になるのかが注目されている。

 当初、ヨシ子さんのお別れ会を開く予定だったが「諸般の都合で中止します」ということになった。鹿島家の中で三姉妹の中でヨシ子さんだけお別れ会を開くことに批判が出たために中止することになったようだ。ヨシ子さんと親しい画家の関係者は残念がっている。

| 追悼録 | 00:01 | - | - | pookmark |
2016.09.26 Monday

追悼の記 小林惣一郎・元不動産流通研究所所長 6月25日多機能不全のため死去。76歳。

 

ああ、悲しいかなコバちゃんの死去

 

小林さんに対して我々は「コバちゃん」と言っていた。コバちゃんとは私が朝日新聞経済部で不動産・建設業を担当した時に知り合ったので36年の付き合いになる。当時、月刊不動産流通の編集長であり取材の場でよく会った。こうした取材の場では発言などはしないが、懇談会やパーティなどではよく会い、当時のトップを紹介してくれた。國學院大學を卒業した後、「週刊住宅」、「不動産経済研究所」などの記者をしていたので、業界のトップはほどんと知っていた。

酒の会だけでなくゴルフなどでも一緒のこともあった。ある時に不動産会社の広報と記者のゴルフの集まりがあるので来ないかと言われ「かすみ会」に入った。半年に一度、三井不動産、住友不動産、三菱地所、東急不動産などが幹事になってプレーする。この会に入って広報の人たちと親しくなった。コバちゃんはこうした会などでは世話役として面倒を見ていた。この会は今でも続いており、「OBかすみ会」と名前を変えている。7月22日にこの会が「川崎国際生田緑地ゴルフ場」で15人が集まった。ところがこの日は台風が来たために雨でプレーは中止になった。全員集まったので朝から酒を飲んでコバちゃんの追悼会になった。不動産協会の専務理事だった松本隆正さんが「小林さんは私より誕生日が10日遅いのに早く逝ってしまい、痛恨の極みです。奥さんの話では病気を発症してから2年半になりますが、最後はみんなに『ありがとう』と言ってました」という話が披露された。そのあとはそれぞれが思い出を話しました。私は「コバちゃんはみんなの面倒を良く見てくれました。ここにいる人たちもお世話になった人も多いと思います。私も朝日新聞を辞めようと思って相談したところ金のことは心配しないでいいよ、と言われ心強く思いました。私は結局辞めずに最後までいましたが」と話した。

蓼科カントリークラブで当時、まだ専務の田中順一郎夫妻と一緒にゴルフをしたり、三菱地所の高木丈太郎社長、東急不動産の安芸哲郎社長などと飲んだりしました。コバちゃんのいつも世話役でした。若手の広報担当者を集めて勉強会も続けていました。

いろいろな会で終わる時は必ずコバちゃんの「フレーフレー」がありました。

忘れられないのは蓼科に行った時に麻雀をしていた時に突然に怒り出した朝、一人で帰ってしまったことがあります。三井不動産の広報部長の永井啓介さんが困ったこともありました。

「怒りやすくなんで怒こっているかわからないことがありました」と尾留川功さん(元住宅新報)も話していた。いろいろな会で終わる時は必ずコバちゃんの「フレーフレー」がありました。

話は尽きませんが最後は伊豆田道雄さん(元高層住宅協会)の「フレーフレー小林」の応援歌で締めました。

| 追悼録 | 06:43 | - | - | pookmark |
2016.09.19 Monday

観光立国を支える人たち

 

 福島県・郡山市長 品川萬里氏(しながわ・まさと)

 福島県白河市出身。福島県立磐城高校を経て67年東大法学部卒。郵政省(現総務省)入省、貯金局長、放送行政局長、郵政審議官(国際担当)を経て2000年に退官。13年4月に郡山市長に当選し現在1期目。

―福島県への観光で一番心配なのは放射能の影響ですが、どのような状態ですか?

 前の市長の時代に「東日本大震災 郡山市の記録」を出して郡山の現状を125ページにわたり記録しています。市民の人はみんな元気に生活しています。強靭(レジリエント)な都市づくりをしています。4月14,15日には郡山で「レジリエント・コミュニティ国際シンポジウム」を開きました。私は安心・安全とは言いません。データが出ていますからそれに即してそれぞれの人が判断してきていただきたい。放射能について基礎知識ぐらいは学んできていただきたいと思います。そうすれば今の郡山については全く心配ありませんよ。

 ―郡山への観光客はだいぶ増えていると聞いていますが。

 郡山への観光客の入込数は2010年度は400万人でした。それが2011年3月の東北大震災で半分近くの11年度は半分の211万人に落ちました。それが我々の観光キャンペーンなどの効果が出て14年度は震災前の90%の362万人まで増えてきました。あと一歩の状態です。郡山は福島の奥座敷ともいわれ磐梯熱海温泉など温泉地があります。「ビックパレットふくしま」「カルチャーパーク」などの観光地もあり、これから観光客が増えてくることを期待してます。今や中国人の爆買が話題になってますが、外国人の観光客は東京などに比べると少ないですね。インバウンド(外国からの観光客)を増やしていきたいと思います。

 ―観光についていろいろな考えを持っているようですが。

 日本の観光は1泊2日が多いですね。もっと長期に滞在していただきたいと思います。外国人のイサベル・バードやパーシバル・ローエルなどが明治時代に日本に来て良さを知って帰りました。貝塚を見つけたモースも科学的なツーリズムをしました。こうした人たちは日本に長期滞在して良さを発見しました。たくさんの人が来ることも必要ですが、観光の質を上げることも必要だと思いますね。日本人が気が付いていない素晴らしい点を観光で見つけてほしいですね。和食ブームなどは外国人が良さを見つけましたね。

 −ところで中央の役人をして郡山の市長をしてその違いは何ですかね?

 中央の行政は理論で済みますが、地方は実践ですね。医学でいえば中央は基礎医学で地方は臨床医学です。地を這いまわってやるのが市長です。

 

| 観光立国 | 08:33 | - | - | pookmark |
2016.09.19 Monday


サウジアラビアのアルシャスリ博士が講演

外国人記者クラブでサウジアラビアのサード・ビン・ナーセル・アルシャスリ博士が8月18日に講演した。博士はサウジの上級宗教学者会議メンバーであり王室顧問になっている。ISISについて詳しいということからISISについての質問があったが、アラビア語から英語への通訳が良くなく、博士の真意は伝わらなかった、と記者の感想である。

 

| 本・その他 | 08:32 | - | - | pookmark |
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