2011.12.01 Thursday
 

NHK大河ドラマの五十年

 「舌がん」を患って、いろいろな会合は休んだ。土曜日の午後3時からプレスセンターで開かれる「おつな寿司セミナー」も欠席していた。会場を私が予約していたので、この会をしている後藤喜兵衛さん(元徳間書店)も、私に連絡が取れなかったので心配したようだった。その間は日本新聞協会の吉沢さんに頼んでいたので、続いていた。2011年9月10日は読売新聞の鈴木嘉一編集委員員が「NHK大河ドラマ五十年」というテーマで話しをした。鈴木氏は文化部関係の担当で、マスコミの事を解説面などで書いているので名前は知っていた。

 この日は日ごろ来ない人も来て30人ぐらいいた。私と親しい料理研究家の白鳥早奈恵さんも来ていた。この会では最初に毎回自己紹介をするが私は「舌がんをして40日ほど入院してました。皆さん、久しぶりです。健康がいかに大切であるかがわかりました」と述べた。この会では日本気象協会の富沢勝さんが舌がんを経験しているが、40日も入院してはいない。手術は大変ではなかったようである。

 鈴木氏は最初にクイズをした。「日本で3英傑といわれている織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のうち一番ドラマに登場しているのは誰か?」という問題である。私は秀吉と思ったが家康が長生きしたという事もあって一番出ている、という。大河ドラマは東京オリンピックの前の年の63年に始まった。最初舟橋聖一の「花の生涯」であり、主演は尾上松緑で視聴率は20・2%であった。

 大河ドラマを始めようと言い出したのは当時の長沢泰治・芸能局長だったという。報道畑が永かった長沢氏が大河ドラマを始めようといって制作畑の人はビックリした。当時は映画会社が5社協定を結んで俳優をテレビに出さないようにしていた。そうした中でドラマを作るという。鈴木氏によると50回も続いてきたのは3回目の「太閤記」が成功したことだ、という。この演出はまだ無名の吉田正哉氏を起用した。吉田氏は新幹線を最初に走らせ、名古屋駅をアップするなど今までの手法をがらりと変えた。俳優にも当時、新国劇で売り出し始めた緒方拳や無名の高橋幸治を主演に登用した。こうした新しい手法が成功して、視聴率も31・2%を取った。鈴木氏は今やっている「江−姫たちの戦国―」は、時代認識がでたらめであり評価しないという。来年は「平清盛」であるが、成功するのかどうか?

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2011.12.01 Thursday
 

50年を迎えた朝日新聞経済部のゴルフ会

 QKG(旧経済部ゴルフ会)というゴルフ会が続いている。現役だけでしていたTKG(東京経済部ゴルフ会)と区別してこうした名前になっている。毎年4月29日と9月23日の休日に行われている。場所は小田急線の本厚木にある「厚木国際カントリー倶楽部」である。今年(2011年)も4月29日に例年のように行われた。今回はこの会が始まって50年になるというのでOBの香月浩之さんを中心に何か記念品を出そうという事になった。いろいろな案が出たようだが(私はこの企画会議には出られなかった)ゴルフバッグにつけるタグに決まった。発足20周年の時に作ったタグを参考にした。

 この時に今までの成績表をまとめようという事になり幹事の安井孝之編集委員が私の所に来ていろいろ聞いていった。今までのデータを出した。それによると今回の会は50周年だが回数は72回という事で、昔は今のように年2回でなく1回のときが多かったようだ。この成績表では優勝者の中には広岡知男さん、石原英雄さん、三宅正也さんなど歴代の経済部長が名を連ねている。優勝回数が多いのは中島善範さん、伊藤三郎さん、加納隆さんなどで3回である。私は93年9月の会でグロス84のベストグロスで優勝した1回だけである。

 この優勝した時は、父が入院していて危ないといわれていた。しかし、朝、病院に聞いたら「今日は大丈夫でしょう」と言われたので出た。寒い日で雨も降っていた。上がって表彰式が終わったときに女房から電話で至急病院に来て欲しいという。急いで東京駅のロッカーにクラブを入れて病院に駆けつけた。親父の死に水を取るのには間に合った。

 「ゴルフが好きな親父が応援してくれて優勝できた」と挨拶をした事を覚えている。優勝はこれだけでベストグロスの回数は11回と戸引和夫さんの15回、浜田隆さんの12回に次いで11回である。

 この日は中島さん、久保田泉君、加藤裕則君と回った。中島さんとは毎年、千葉にあるエンゼルカントリークラブでの忘年ゴルフで一緒なので気安い関係だ。久保田君は朝日新聞の広告担当の常務からテレビ朝日の専務に出る事が内定している。中島さんが100で回りハンディが39なので10アンダーで4日目の優勝をした。私は85で12回目のベストグロスになった。

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2011.12.01 Thursday
 

産地偽装続出で供給者と消費者がシンポジウム

 うなぎだけでなく脂が乗った寒ぶりの「氷見ブリ」や牛肉、ハチミツなどに産地を偽って販売しているケースが続出している。このため消費者は食品関連事業者や行政に対して不信を呼び、食品全般に対する不安の原因になっている。こうした消費者の不安を少しでも解消しようと「食の安全・安心財団」(田沼千・理事長)が2011年3月22日午後2時から「ホテルアジュール竹芝」で第一回のシンポジウムを開く。テーマは「食のリスクコミュニケーションの現状と課題」で東京大学の唐木英明・名誉理事長の基調講演のあと安部修仁・吉野家ホールディングス社長、作家の吉永みちこさんなどがパネルディスカッションを行う。

 10年の年末から正月にかけて富山県の氷見港で水揚げされる「氷見ブリ」の産地偽装が問題になった。最初に声をあげたのは東京都水産物卸売業者協会である。東京・築地市場で氷見ブリが例年に比べて「身がやせている」と産地を疑問視する声が出た。このため協会が氷見漁協に適正な産地表示など要望書を出した。こうした中で富山県警は1月27日に氷見市の仲買業者の「浅吉」の事務所など数カ所を不正競争防止法違反(誤認させる行為)の疑いで家宅捜査した。浅吉は福井県産のブリを氷見産と偽って出荷していた。

 浅吉は「産地表示に対する認識が甘かった」と話している。

 うなぎの偽装はイトーヨーカ堂の元社員が中国から輸入したかば焼きを日本の業者の箱に入れて転売した。元社員は1月11日に食品衛生法違反で懲役1年執行猶予3年の判決が出た。また、外国産のハチミツを国産と表示して販売した加工食品会社「ほくと蜂舎(ほうしゃ)」に対して神奈川県警は2月15日に事務所などを「不正競争防止法違反」(原産地を誤認させる行為)で家宅捜査した。このほか百貨店の「井筒屋」(北九州市)は10年12月に精肉店「岡崎商店」が九州産の肉を松阪牛と偽って販売した、と発表した。農林水産省と福岡県の抜き打ち検査で明らかになった。

| その他 | 08:40 | - | - | pookmark |
2011.10.25 Tuesday
 

「お祝状+感謝状」に感激

   毎月、日本プレスセンター10階のレストラン「アラスカ」で昼に食事会を開いている。名前は「OA会」と称している。農林省時代に赤城宗徳大臣の秘書官をしていた大石良徳さんと私の名前を取っている。大石さんは秘書官をした後、民間企業で仕事を続けて私や政治部の佐田正樹君などと食事をしていた。そうした事が続いている時に外務省でソ連にいて、漁業交渉などで大石さんと知っていた古川清さんが一緒になった。古川さんとは今里広記さん(故人、元日本精工社長)の家に取材に行っている時に会ったこともあり知っていた。

   東宮大夫をしたり、ルーマニア大使をした古川さんが参加してから、話しが政治外交問題に広がった。この会には銀座で「対鶴館」というビルで仕事をしている亀岡幸子さん、三菱商事にいた山崎哲男さんなどがメンバーである。幹事役は不動産業の小野山武男さんが勤めている。

   5月16日にこの会をした時には23日に入院する事を小野山君には言っていたが、「舌がん」とは思わなかったので直ぐに出てくると思ったようだ。6月22日にやる事で予約を取っていたが、私は欠席だった。7月26日に会があったときに入院した事を説明した。

   9月15日にOA会があった。30分ほど遅れていったところ、古川さんが「お祝状+感謝状」を突然に読み上げた。

   「貴殿は十数年来、知的交流任意団体であるOA会の盟主として議長兼代表世話人として会の運営に差配を振るわれるとともに気鋭のジャーナリストとして今日的なコントロヴァーシャルな話題を提供され、会員一同を知的興奮の坩堝に陥入させるなど数々の功績を立てられました。本年6月、検査入院され、暫くは治療に専念されること相成りましたが、8月には、またお元気な姿で復会され、誠に喜ばしい限りです。つきましては、ここに、阿部様の日頃のご尽力の感謝とともに快気の祝意を申し上げます」 OA会名誉会員代表 古川清。

   この会では夏や冬には暑気払いや忘年会などを開いているが、こうした感謝状などは初めてのことである。文章は古川さんらしく外国語が混じったり、難しい漢語が出てきたりしたが有難かった。皆さんにお礼を言って次の10月14日に再会する事になった。 

| その他 | 10:50 | - | - | pookmark |
2011.10.25 Tuesday
 

5年間は要観察

 手術をどのようにしたかは、前回にも書いたが覚えていない。おぼろげに目が覚めたら首の両側にマクラが置かれて首が動かせなかった。看護師が直ぐ来られる部屋に移されていた。その段階では尿も食事も自分で取れないので管をつけていた。管がはずれてからは、今までとは違って自分で食事をし尿も出した。夜は9時ごろから寝てしまうので、2時間おきぐらいに起きて尿をした。この癖が今でも続いている。

 毎朝は5時ごろ起きてテレビを見る。偶然に625日にNHK見ていたら知り合いの講談師の神田松鮎さんが古典の「無策の出世」を演じていた。夕方までテレビを見るか、本を読むかである。テレビは昼間から見ていたのでいろいろなことが分かった。ニュースを各局が放送している。バラエティー番組でもニュースを取り上げているので、主婦が政治に関心を持つのは分かった。

 大学病院では教授の回診があるが、この病院でも行われた。週に一度ほど山口先生が診て、担当の道先生が説明をする。山口先生は口の中を見て「よくなっていますね」で終わる。夜は8時ごろに21組で部屋に来て「今日の担当なので何かあったら知らせてください」と若い先生が来る。私は世話にならなかったが患者にとっては安心できる。看護師さんも午後3時ごろに「今日の担当ですのでよろしく」と来る。こうした手厚い看護体制は患者を安心させるだろう。

 この病院も独立行政法人になっているので「医療機関認定機構」の検査の結果が、井原哲夫理事長名で出ていた。問題がないということである。こうした認定のそばにこの病院の「理念」「こころざし」「医療診察方針」が書かれていた。いまや病院もこうした理念や方針を書かなくては患者に認めてもらえない時代になったのであろう。CTなどの検査でも患者に対して「アルコール湿布のアレルギーはないか?」「苦しかったら直ぐに手を上げて下さい」などとくどいくらいに聞いてくる。

 「舌がん」についての情報は他のがんに比べて少ない。患者が少ない事と基本的に歯科医が担当しているからだろう。そうした中で東京医科歯科大歯科病院は安心して診てもらえる。道先生とともに、担当の高橋先生は「5年間は要観察でしょうね」と言う。退院したからといってまだまだ安心は出来ない。長期戦である。

 これでがんの話は終わり次からは普通の話に戻る。

| その他 | 10:50 | - | - | pookmark |
2011.10.25 Tuesday

大震災で女性の力を見直す 

 ガス業界の事を書いている「ガスエネルギー新聞」というメディアがある。この新聞で7月27日に「東日本大震災と都市ガス業界の女性たち」という特集をした。稲嶺誠二記者が東日本大震災にあった9事業所の女性たちに取材した。

 稲嶺記者は取材の感想を「女性たちは健気であった。苦難によく立ち向かったという印象が強い。男性にはとても勤まらないと、その奮闘ぶりを称えたい」と書いている。

 福島県いわき市にある「常磐共同ガス」では4人の女性が震災の中で仕事を続けた。営業事務担当の国井りえさんは「見えないお客様との戦いでした。『お前ら、俺を殺すつもりか、料理も出来ずに、風呂も入れないんだぞ』といわれ続けて、謝り続けました」と話していた。経理担当の薗辺晃子さんも「『ガスが出ない』『いつ出るのか』といったおしかりの電話がほとんと。復旧の日程が決まっているところには予定日をお知らせしますが、遅れることが多い。『昨日が予定日だが、まだガスが使えない。どうしたんだ。約束が違うではないか』『もうしばらくおまちください』とひたすら謝るしかなかった」と言う。

 こうした女性の働きに早川修次業務部次長は「女性は強いですよ。電話は顔が見えないだけに言葉がきつくなる。それに良く耐えた。男手は耐えられない大変な仕事。良く頑張ってくれた」と褒めている。

 宮城県・石巻ガスの菅松周恵さんは津波が来て会社の搭屋で一夜を過ごし、生きている事に感謝している。いつもならショールームの運営、ガス料金庶務、イベントの企画立案などだがそうした仕事はなくなった。保安閉栓の仕事をしなくてはならず、基礎作りから始めている。宮城県・古川ガスの総務部係長の佐々木文子さんも「『小さい子供がいるから風呂に入れたい』。『年寄りがいる』という電話が次々に入ってきた。修理用の部品が間に合わないので、順番に回りますからしばらくお待ちください、と納得してもらうしかなかった。中には怒鳴るお客さんもいました」と話している。

 仙台市ガス局の女性は東京など全国から来る復旧応援部隊の宿舎の確保で、仙台市内では見つからずに山形県天童温泉にやっとの事で決めた。布団130組、毛布300枚を社員のために確保した。

 こうしたガス会社の女性の苦労だけではなく、土木会社に勤めている女性たちも今回の東日本大震災では苦労したのであろう。社員の食糧や宿泊場所の確保や取引先へのお見舞いの手配などやることがたくさんある。自分の家族の安全を心配しなくてはならない中で、会社にも出てこうした仕事もする社員は多いだろう。「どぼじょ」といわれている大学や大学院の工学部を出て建設会社に入る女性が増えて、注目されているが、現場で下積みの仕事をしている女性の力も正しく評価する必要があるだろう(阿)

 
| その他 | 10:49 | - | - | pookmark |
2011.08.29 Monday
 

恐ろしい顎顔面外科の名前

 「舌がん」という「がん」はどこで治療するのか、わからない人は多い。歯科医で発見されたので歯科で治療すると思うがそうではない。紹介状に書かれているのは大学病院の「口腔外科」である。口腔外科のない病院では「耳鼻咽頭科」が担当する事、との事である。

 私が行った東京医科歯科大の歯科病院では外来では「顎(がく)顔面外科」となっている。顎というのは「あご」という意味であり、昨年秋に常用漢字に追加された。なじみのない漢字という事もありなんとなく恐ろしいところという印象を持った。

 5月23日に入院した。入院に必要なパジャマや歯ブラシ、タオルなどは女房が準備してくれた。部屋は8階の20号室である。4の番号の部屋はなくて全部で27部屋ある。20号室は40平方Mで手洗いと風呂も着いている。女房は長期の入院になるという見通しから特別室を予約した。部屋代は1日3万円である。相部屋よりも気が楽である。テレビのほか電話とファクシミリがついていたが、電話とファックシミリは入院している間は故障していて使えなかった。

 入院して直ぐに「入院治療計画書」に署名捺印をした。担当医は道泰之グループで男女5人で構成されている。外来は別な女性の先生が着いた。病名は「右側舌癌」で26日に手術という事になった。手術についても詳しく書かれており、入院期間は術後4から6週間となっていた。45日の入院だったので予定通りといえようか?

 この病院の6階が外来の受付で、7階が手術室で8階が病室である。広い部屋に一人で過ごす事になる。きれいな応接セットがありそのソファーで1日中座っている事が多かった。看護師さんが体温を測りに来たり、尿の回数などを記録するために来るので本を読んでいても中断する

 朝は8時から朝食で12時に昼食、夜は6時の食事時間である。エレベーターの前までワゴンで食事が運ばれてくるので毎食取りに行く。手術の前までは普通の食事だったが、そのあとはやわらかいもので、ご飯はおかゆかやわらかいものになった。手術のあとは点滴で食事を取っていた、半月ほど点滴だったが、便が出なくて苦しんだ。点滴が外れてほっとした。

| その他 | 04:25 | - | - | pookmark |
2011.08.29 Monday
 

日銀総裁の米寿の祝い

 新聞記者のOBは時々会って昔話をする。現役の時代に特ダネを取ろうと競争した仲だが、今では酒を飲みながら和気アイアイに時を過ごす。NHKで広報局長をした瀬下英雄さんとは、日銀のクラブで一緒だった事と電波メディアの仕事でNHKの記者会見に出たことなどから今でも時々会う。瀬下さんが「日銀にいた時の仲間で、三重野康・元日銀総裁の米寿(88歳)の祝いをするので出ないか?」という誘いがあった。瀬下さんや時事通信の藤原作弥さん(元日銀副総裁)とは一度、三重野さんが日銀総裁になった時に昔の仲間と夫婦連れでお祝いをしたことがある。今回も瀬下さんと藤原さんが幹事になって5月20日に東京・丸ビルの35階にある「いなば十四郎」という日本料理の店でやる事になった。事前に聞いたところではこの店は昔NHKのそばにあって瀬下さんなどがよく行ったという。

 誰が来るのかは事前に知らなかった。会場に行ったら幹事の瀬下さんと藤原さんが会費の徴収をして席に着いた。隣に着いた人は初めてなので名詞を出したところ藤原さんと同じ時事通信のOKで土肥一忠さんだった。中心の席が空いていてそこに三重野さんと日経のOBの新井淳一さんが来た。三重野さんが来て、皆で乾杯をして近況を話した。三重野さんが総裁になった時に集まったのは、瀬下さん、藤原さん、読売の中村仁さん、産経の砂原和雄さん、共同の米倉邦久さん、東京新聞の藤田さんなどで当時の話が出た。私は三重野さんが営業局長の時代に久保田晃キャップの下で粟田房穂さんと一緒に回った事などを話した。

 三重野さんは最近の生活について「5年前に女房をなくして不便な生活をしています。いまだに何がどこにあるか分からないのです。日銀総裁は歴代、秘書と車と部屋が就いていたのですが、日銀の職員の汚職事件があってからこれがなくなって車も出ません。ある時、タクシーで会合に出たらセコムの飯田亮さんが『総裁がタクシーでは気の毒だ』というので部屋と車を着けてくれました。ありがたいことです。酒飲み仲間の東映の岡田茂さんや電通の木暮剛平さんなどが死にさびしくなります。しかし、酒は昔より飲んでいるかもしれません」と元気に挨拶をした。

 そのあとにネクタイの記念品を贈った。長生きをする亀の模様が入っているものである。各社のOBが11人集まった。最後に三重野さんも「長生きするのも大変ですが、がんばります」と話した。  

| 経済・財界 | 04:24 | - | - | pookmark |
2011.08.29 Monday

「震災復興―どうなるこの地域、あの企業」(洋泉社MOOKより 
 

 住宅

 地震や津波にあったときには最初に必要なものは住宅である。住宅生産団体連合会(会長・樋口武男大和ハウス工業会長)にも国土交通省から応急仮設住宅の建設要請を受けた。このために住団連では緊急対策本部を作った。本部長には樋口会長がついた。応急仮設住宅はプレハブ建築協会、被災住宅修繕等支援は住団連が事務局になった。応急仮設住宅は3月14日には2ヶ月で3万戸の供給が可能になるように、という国交省からの要請であった。

 その後、この件数は6万2千戸に増えた。岩手、宮城、福島県での必要戸数を積み上げると7万2千戸となり1万戸増える。樋口会長は「国交省からの要請はあくまでも6万2千戸であり我々としては、この完成を目指す。こうした住宅ではいかに損を出さないようにするかです。応急住宅は価格が抑えられていますからね」と話している。

 住団連によると災害救助法により1戸は238万7千円になる。2LDKにキッチン、バス、トイレを備えるのでこの価格におさめるのは各社とも厳しい。大和ハウス、積水ハウスが2千戸、積水化学が1千戸、トヨタホーム800戸などとなっている。

 住宅業界の幹部によると東日本大震災と阪神淡路大震災と性格が違うという。阪神淡路の応急住宅は4万8千戸だったが、今回は倍近くの戸数になっている。その上に阪神淡路の時には都市部の建物が壊れたので復旧も難しくなかったが、今回は岩手から福島まで範囲が広い。経済的にも阪神に比べると支払い能力が低い事から、どの程度の需要が出てくるのか、分からないと話している。

 住団連の矢部広報部長は「住宅業界は特需が起きて良いですね、という人がいるが特需などとんでもない。部材が値上がりしたり、注文された納期が今回の大震災で遅れるなどして、やりくりが大変なんです」と話している。仕事が増えたのは間違いないだろうが、特需までは行かないようだ。 

 土木・建設・道路業界

 

 民主党政権になってから公共事業費は毎年減らされてきた。10年度の建設工事受注は前年度に比べて0・1%減の41兆7千億円と過去最低になった。このうち公共機関からの受注は9・9%減の9兆円と過去最低だった。こうした中でも東北地方は36・1%減になり他の地域に比べて落ち込みが大きい。民間の受注額が岩手、宮城、福島が50%以上落ち込んでいるために今回の地震による復興需要に期待するところは多い。ある大手ゼネコンの幹部は「地元を優先するでしょうが大手の技術が必要になるのは間違いないでしょう。特需になれば良いのですが」と話している。 

 土木・建設 

 11年4月に新しくなった日本建設業連合会(会長・野村哲也清水建設会長)は合併に先立って「新日建連緊急災害対策本部」を設置した。さらに土木本部(旧日本土木工業協会)の東北支部(支部長・赤沼聖吾鹿島建設専務東北支店長)は地震発生と同時に「震災対策本部」(本部長・赤沼支部長)を作った。この本部では国土交通省と東北6県・仙台市と締結している「災害時における応急対策業務に関する協定」に基づき資機材の調達や復旧支援に対する貢献をする。対策本部は幹事会社8社(鹿島、大成、ハザマ、鉄建、西松建設、前田建設、清水建設、大林)で構成しており各社から人が出て常駐している。資機材の調達は当番会社が責任を持って用意するが不足する場合は支部の63社の協力を求めている。対策本部ではガソリンや軽油の確保に苦労したという。瓦礫の撤去などで各県と協力してゆく。

 

 建設特需は3年間で11兆円から17兆円 

 総合人材サービスを提供するインテリジェンス(本社・東京都千代田区、高橋広敏社長)グループの「インテリジェンスHTO総合研究所」の今回の東日本大地震の雇用への影響について発表した。建設業には3年間で11兆円から17兆円の特需が生まれ、労働力としては建設業だけで97万3千人から152万人必要になる。この試算は産業関連表などをもとにしたもので被害額を16兆円から25兆円という政府の試算をもとにはじいた。同研究所によると「被災地の就業者は84万人おり、充分に雇用を吸収できる。しかし、建設業は人あまりであり、必要な人材の測量士、土木施行管理士、とび工、大工、左官などの経験や技術を持った人材が必要でミスマッチが起きて、建設業だけで雇用を吸収するのは難しい」と解説している。 

 原発の処理で鹿島と大成、清水が協力 

 今回の地震で原発からの放射線が出ていることが復旧工事を妨げている。この福島第一原発は鹿島が工事をした。このために鹿島は地震の後でも引き続いて後始末をしているが放射線の問題があり、1社では人員が間に合わない。そこで大成、清水に協力を求めて放射線の汚染した瓦礫処理は作業員の被爆を防ぐために遠隔で操作する重機で行った。作業員は現場から数百メートル離れた操作室で画面を見ながら油圧ショベルやダンプカー、ブルドーザーなどの重機を動かして瓦礫をコンテナに入れ原発敷地内の1箇所に集める。こうした3社の協力によるものは珍しい。 

 道路や河川や港湾の復旧工事 

 建設業団体と国交省の災害協定に基づいての活動が始まって成果を出している。東北建設業協会連合会は協定に基づいて道路の復旧に110チーム850人、機械を384台出した。一方、河川には6チーム89人、機械を52台出した。日建連の土木部は協定に基づいて仮設ハウス2300棟、仮設トイレを1500個を確保して被災地に出している。

 日本埋立浚渫協会でも国交省からの要請で12船団を9港に出した。船の種類は多目的起重機船や浚渫船、油回収船、パージ船(貨物を積んで航行する平底の船)など。各建設業団体は国交省と連絡しながら被災地の復旧工事に当っている。

| 本・その他 | 04:22 | - | - | pookmark |
2011.08.09 Tuesday
 

 3・11で続々と中止や延期

 東日本大震災の影響は3週間経った4月に入っても続いている。大災害にあった人への見舞いの気持ちとお気の毒という事から自粛しようという事だろう。それに交通機関が復旧しないということもあるだろう。石油ショックや昭和天皇のご病気の時の事を思い出す。私の身近な行事次々と中止になった。

3月に入れば気候もよくなりゴルフシーズンだ。ところが3月20日に予定されていた石岡ゴルフ倶楽部ウエストコースでの102回の「緑酔杯」が中止になった。まとめ役の別府秀喜から中止の連絡がありやむをえないと思った。今回は5組20人でやるために高校の同期の文化学園の相沢まきよさんや朝日新聞の同期の石井哲次郎君などを誘っていただけに残念だった。ついで4月1日に相模カンツリー倶楽部での95回東京朝日OBゴルフ会も中止になった。さらに4月9日に大月カントリークラブで旭化成ホームズが毎年行っている「15回へーベル杯」も地震の影響を鑑みて延期になった。4月13日に朝日新聞の仲間4人で「泉カントリー倶楽部」で行うゴルフが久しぶりのものになりそうだ。

勉強会も中止になった。日本記者クラブで行う予定であった3月16日の「13回の世界の新聞・メディア」、17日の黒田東彦・アジア開銀総裁の記者会見、同日の研究会「中東民主化サウジアラビア・バーレーン」はいずれも延期になった。記者クラブのラウンジやレストランの営業も臨時のメニューや臨時休業になった。27日に国立オリンピック記念青少年総合センター・大ホール予定されたNPO法人東京ジュニアオーケストラソサイエティの春の演奏会も無期延期になった。

そうした時に3月24日に千代田区倫理法人会経営者モーニングセミナーで知人の栄養学博士の白鳥早奈英(さなえ)さんが「食べあわせで元気にイキイキ」というテーマで講演するという。朝6時30分から学士会館で行うというので行った。30人ぐらいが来ておりこういう時期にしては多かった。このときの会長の挨拶で「今のように何でも自粛するようでは景気が悪くなる一方です。いろいろな会合はどんどんやった方が良い」と述べていた。ちじこまっていては元気も出ないし日本経済にも良いことはないと思った。白鳥さんの話は納得いくことが多く皆がうなずいていた。

| その他 | 14:10 | - | - | pookmark |
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