2012.05.12 Saturday
 

松川先輩とゴルフ

 日比谷高校のラグビー部の11年先輩の松川彰さんは、私にとって怖い人である。戦後、日比谷高校でラクビー部を作りラクビーに明け暮れた。卒業して当時の教育大学(現筑波大学)でラクビーをして、そのあとラクビーを続けたいということから自衛隊に入り幹部候補生になった。自衛隊でもラクビー一筋だった。

 私が2年の時に松川さんがいた自衛隊の松本駐屯地で合宿をした松川先輩が勧めてくれたからである。この合宿で我々のラクビーは強くなった、と言える。この年の夏は菅平で合宿をした。こうした訓練が功を通したのか、その年の東京都予選で勝ち抜いて、花園で行われた全国大会に出場できるようになった。

 松川さんは「松ぽっくりの会」というゴルフの会を続けている。る時「阿部君もこのゴルフ会に来ないか?」と誘われた。「それでは行きましょう」と言うことになり幹事の加藤泰樹さんから通知が来た。ところが火曜日で聖徳大学での講義がある日で欠席の通知を出し続けた。ある時「火曜日をはづしてください」と連絡したが、この会は火曜日にすることに決まっている、という。

 3月14日(水)にやるという知らせが来たので出席の返事を出した。第100回という記念すべき会という。富士国際ゴルフ倶楽部が会場である。電車でゆくので新宿の小田急に5時46分に乗らなくてはならない。朝、4時に起きて御殿場駅に7時55分に着き倶楽部バスで到着した。倶楽部でラグビー部の先輩の丸山昭一郎さんに会った。丸山さんはこの会に頻繁に出ている。「久しぶりですね」とあいさつした。

 5組19人で回った。私は松川さんと日比谷の先輩の海住嘉彦さん、松川さんの親戚と言女性の好口さんと一緒だった。この日は初出場なので優勝は無いということで気軽にできたためか、43で回った。昨年の舌がんの手術以来こうした高スコアで回ったのは初めてである。後半は50をたたき93だった。ハンディが20だったので1オーバーだった。

 2位という成績だった。松川さんは81歳だが元気で102で回った。夜は自衛他の近くの「大野路」という旅館で表彰式と懇談をした。料理は食べきれないほどあり、おいしかった。懇談の後はカラオケである。松川さんも歌ったが、自衛隊の時の部下は松川さんの命令で次々に懐かしの歌をうたっいた日比谷のラクビー部の後輩の共同通信にいた巽政明君も参加して、カラオケも歌っていた。母親の看護があると言うので途中で帰った。

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2012.05.12 Saturday
 

 京都の御室の桜に感動

 女房がガンの治療に良い先生がいるという情報を聞いてきた。京都にある岡崎病院で行こうという事になった前回行ったところが先生が学会でいないというので、また行く事になった。4月21日に娘夫婦と一諸に行く事にした。京都から病院にタクシーで行ったところ、受付で「予約なしではダメです」という。「東京から来たのですから何とかして欲しい」といったがダメ。それでは予約をといったところ「10月までは一杯ですので東京の病院を紹介します」という事になった。なんともいえない気持ちになった。女房を責めてもしょうがないので、受付の人に「医は仁術ではないのか?といういやみを言って諦めた。断わるにしても言い方があるものだ、とつくづく感じた。

 この日は「おつな寿司セミナー」で知合った後藤喜兵衛さんと午後2時に会う約束だったので、昼飯は錦市場のアナゴ丼を食べた。この店は人気があるようだがそれほどおいしいとは思わなかった。午後2時過ぎに南座の前で会った。同じセミナーで知合ったインドネシアのガルーダを研究している山本悦夫さんと一緒だった。京都の桜を見たいという私の希望でタクシーで御室の仁和寺に行った。この桜は「御室桜」として有名のようである。東京では桜は終わっていたが、桜は見事に咲き誇っていた。低い桜、緑色の桜など東京では見られないものだった。後藤さんが盛んにシャッターを押してくれた。

 夜は広東料理の「平安」という店に行く事になった。その前に案内するところがあると京都の祇園の町を案内してくれた。まだ明るい中で先斗町の舞妓さんが芸を習う「歌舞練場」をみた。京都の鴨川踊りなどはここで芸を磨いた芸子さんが踊るという。その後、「北野天神」に行った。電車でどこにでも200円で行ける。タクシーなど乗るよりも京都が良く分かる。『常夜灯』という塔楼(とうろう)が立っていた。

 山本さんの先祖は九州の大宰府で牛を飼っていたというので、北野天神に来ていろいろな講釈をたれていた。菅原道真の「心だに 誠の道にかないなば いのらずとても 神や守らん」という歌が出ていた。

 「天安」の料理は後藤さんが自慢するだけ会っておいしかった。店も満員だった。その後で山本さんが、「後は私に任せてください」ということで「フランボー」という店で酒を飲んだ。翌日は東京の異業種交流会の「縁尋会」で幹事をしていた後藤健夫さんと昼飯を「十二段家」で一緒にした。泊まっていた東急ハーベストクラブから直ぐ近くであっさりとしておいしい店であった。病院はダメだったが、京都には知り合いが沢山おり、旧交を暖めた。

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2012.05.12 Saturday
 

3・11以降は観光客は激減で手の打ちようがなかった。安心・安全な観光地をどう作ってゆくのがこれからの勝負です。

 ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル社長 窪山哲雄(くぼやま・てつお)

 東京都出身。71年3月慶応大学法学部卒、75年5月コーネル大学ホテル経営学部卒。ヒルトンホテルズ・コーポレーション入社、78年11月ホテルニューオータニ東京本社入社、89年10月東京ベイヒルトン副総支配人、91年1月NHVホテルズインターナショナル(現ハウステンボス)社長。97年1月から現職。63歳。

 −08年夏に開かれたG8の北海道洞爺湖サミットのメイン会場に指定されて世界中で評判になりました。このホテルを経営するようになったいきさつを教えてください。

 この場所を持っているのが警備保障会社のセコムです。それまでは北海道拓殖銀行が融資していたカブトデコムという会社がホテルを経営していたのですが失敗して、その後を引き受けました。私はそれまでに日本興業銀行現みずほコーポレート銀行)などが出資していた長崎のハウステンボスのホテルを経営していました。ハウステンボスは経営が大変でしたが、ホテルは5年連続黒字で経営状態が良かった。私はそのために3間は休みなしで働きました。こうした実績が認められてホテルをやってみないか、セコムの飯田亮相談役から誘われたのです。

 −それにしてもホテルの経験をいろいろしていますね。

 米国のコーネル大学でホテルの勉強をしてヒルトンに入り、ウォルドルフ・アストリア(ニューヨーク)に配属になりました。昭和天皇が訪米した時はこのホテルの担当になりました。ニューオータニではハワイのカイマナビーチホテルの副総支配人、同じホテルのロサンゼルスの副支配人などの経験をしました。その後はニューオータニのコーポレートマーケティング総括支配人になって辞めました。日本のホテルについていろいろなことを感じますが、一番の問題はホテル教育ができていない事でしょうね。ホテルはサービス業ですから人なのです。私もホテルマンを教育するためにウィンザーホテル洞爺ホテルスクールを02年6月から作っています。

 −昨年起きた東日本大震災ではホテル業は被害を受けました。どうでしたか?

 地震の時は北海道で30人ぐらい集まった会議をしてました。地震についてはそれほど大きいとは感じませんでした。しばらくして東京都の事務所と連絡が取れなくなり大変な地震だと思い始めました。2011年度はリーマンショックから立ち上がり始めてこれからというときにこの地震でキャンセルが相次いで手の打ちようがありませんでした。外国人の依存率の大きいところは大変でした。幸いに私のところは5%ぐらいに依存度なので被害は少ないほうだったのでしょう。福島第一原発の放射能漏れの影響が外人観光客に影響しました。安があれば日本に観光に来ませんよ。

 −これからの観光業に何が必要ですか?

 今までホテル業一筋で来ましたが、値段が高いホテルの方が人が集まるという事だと思います。良い施設、安心・安全、ヒューマンウエア(人材)の3つが必要です。特に日本のホテルについては安ければ人が集まるという考えが根強くありますが、それは違います。値段が高くてもサービスが良いホテルがこれから勝つということです。そのためには何度も言いますが、ホテルマンの教育が必要ですね。

| 観光立国 | 02:59 | - | - | pookmark |
2012.05.12 Saturday
 

 朝日新聞 相次ぐ不祥事

 記事の信用を売りにしている朝日新聞で相次ぐ不祥事が続発している。4月12日の朝日新聞の夕刊社会面で「四国電力の火力発電所が自主点検を怠っている、という記事は誤りがあり全文を見出しを含めて削除する」というお詫び記事を掲載した。阿部圭介・大阪編集局長は「四国電力や関係者などに深くお詫びいたします」という談話を発表した。この記事は原発停止で電力が不足になり四国電力の橘湾火力発電所(徳島)で「電気事業法で定められた自主点検を1年間怠っている」と指摘している。これに対して四国電力は「年2回チェックするという取り決めはなく、法令または保安規定などに違反するような事実はない」とホームページに載せるとともに朝日新聞に抗議した。

 こうした抗議に対して朝日はあっさり誤りを認めて全面記事を削除する事になった。大阪本社では一昔前に共産党幹部の伊藤律の架空の記者会見で全面記事の削除をしたがそれ以来の不祥事という声も出ている。

その一方で東京本社では東大卒のエリート社員の文化くらし報道部記者の新谷祐一が覚せい剤取締法違反(使用)で逮捕、起訴されて3月9日に懲戒解雇処分された。4月には国際編集部の永田篤志記者が妻を殴ったとして千葉県警に傷害の疑いで逮捕されている。現場の不祥事だけでなく朝日新聞社で3月30日には「所得を5年間にわたり4800万円隠した疑いがあると東京国税局に指摘されて約8600万円追徴課税された。販売奨励金のうち販売経費として認められずに寄付金として認定された。

こうした相次ぐ不祥事に朝日新聞は秋山社長が新聞協会の会長をしているだけに社内でかん口令を引くなどの締め付けをしているが効果がないようである。

 

秋山社長に退任し木村氏が昇格

 

朝日新聞の相次ぐ不祥事に絡んで秋山社長が12年6月に退任して相談役になり、後任には政治部出身の木村伊量・取締役が就任する。秋山社長は05年6月に箱島信一社長のあとを継ぎ、今年で7年になる。就任当初に長男が大麻を所持していた疑いで調べられなどの不祥事があったが、乗り切って広告費や部数が減る中でリストラを進めてきた。昨年、読売新聞社の内山社長の退任で日本新聞協会長になった。こうしたことから秋山社長は退任して新聞協会長に選任すると見られている。

従来の慣習としては政治部の後は経済部出身者が就任するが、取締役の中では経済部出身は和気靖・経営企画・出版事業担当しかいない。そうした中で木村氏を10年6月に西部本社代表で取締役にした。木村氏は05年6月に東京本社編集局長のなった時に田中長野県知事の虚偽メモ事件で責任を取って辞任した。09年6月にゼネラルマネジャー兼東京本社編集局長にカンバックしていた。

 

論説主幹に外報部出身の大野氏

 

 21年4月付で朝日新聞の大軒由敬・論説主幹が論説顧問になり、モスクワ支局長など歴任した外報部出身の大野博人・東京本社編集委員が論説主幹になった。大軒主幹は2年前に同じ経済部出身の船橋洋一・主筆の指名で論説副主幹から主幹になり異例の人事といわれた。船橋主筆が当時の政治部出身の論説主幹とそりが合わないので、気心が通じる大軒副主幹を登用したと見られた。

 今回の人事は政治部出身の若宮啓文・主筆が大野氏を指名してといわれている。朝日新聞では「政治部にあらずば人にあらず」という声まで出ている。

 

| その他 | 02:57 | - | - | pookmark |
2012.03.27 Tuesday
 

観光立国を支える人たち

 観光客は東日本大震災の前までに戻った。これからは韓国からの観光客の誘致に力を入れて2016年に1800万人を目指す。

 国土交通相観光庁国際交流推進課長

 亀山秀一(かめやま・しゅういち)

 岐阜県関市出身。88年東大法学部卒、4月に運輸省(現国土交通省)入省。大臣官房総務課国会連絡室長、総合政策局総務課企画官などを経て日本政府観光局ニューヨーク事務所長。2011年7月から現職。46歳。

 ―昨年3月11日の東日本大震災が起きてから原発事故もあり日本への観光客は減っていますが、実情はどうなっていますか?

 2012年1月は前年度に比べて4・1%減と減り方が減ってきています。地震の後の11年4月は前年に比べて70%の減り方ですから、観光客は戻ってきたと思います。地域的に見ると春節で休みだった中国は4割も延びているのに韓国がマイナス35%と相変わらず悪いのです。韓国は日本への訪日観光客数では毎年トップですから、韓国からの観光客を増やす事が最大の問題です。この原因は福島原発の放射能の影響がネットで書かれているのが事が大きいですね。韓国は日本以上にネット社会ですから。ウォン安円高の影響もありますが。中国や香港、台湾は11年11、12月は単月で過去最高になってますから大震災の前の状態を超したといってよいでしょうね。

 ―大震災以降に溝畑長官などはあらゆるメディアに出て日本は安心・安全と宣伝してましたですね。

 いろいろな手段で情報を伝えました。現地説明会を100回以上しました。トップの働きかけとして日中韓観光大臣会合でも安全を強調し、日本での会合(MICE)のキャンセルはしないように書く方面に働きかけました。海外のメディアや旅行会社の人たち1000人を日本に呼んで、見てもらいました。記事も書いてもらい反響がありました。こうした努力が実を結んできたと思います。

 ―ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)はこれからどのようにしてゆきますか?

 今までの12の重点地域にマレーシア、インド、ロシアを入れて15にしていましたが予算の関係もあってロシア、インドは外しています。今年は日本・インド国交60周年なのでいろいろな行事をしますのでそれに合わせて観光客の誘致をします。13の重点市場の上に最重要市場して中国、韓国、台湾、香港、米国に力を入れてゆきます。特に韓国ですね。

 ―大震災から1年経ちますが、攻めのキャンペーンをしますか?

 「ジャパン・サンキュー」運動を展開します。世界へ感謝の気持ちを伝えて日本への観光誘致をしていきます。特別なロゴをつくって特別なポスターを空港や主要な観光地に張り出します。東京マラソンなどでは「サンキュー・カード」を配りました。桜の季節には銀座、丸の内、秋葉原などで「サンキュー」の桜を咲かせる。米国のニューヨークにもタイムズスクエア周辺に桜を咲かせる予定です。世界旅行ツーリズム協議会」(WTTC)のグローバルサミットが日本で初めて12年4月16日から19日まで仙台と東京で開かれますが、この席でサンキューキャンペーンを展開して世界の人たちに感謝します。

| 観光立国 | 06:08 | - | - | pookmark |
2012.03.27 Tuesday
 

ちょっと一休 鈴木先輩とのお別れ

 寒い冬を頑張って越した人たち、ここへきて力尽きて死去する人が増えている。寒い冬と暑い夏に死去する人が多いというのは事実のようである。東京大学時代の大石泰彦ゼミの1年先輩である鈴木孝雄さんが3月7日に膵臓がんで亡くなった。太陽神戸銀行のOBである。この木さんとは大石先生の会を開こうと2年前に久しぶりに日本記者クラブで会った。その時には鈴木さんと同期の日本興業銀行OBの平木俊一さん、日銀OBの塚越孝三さん、山下直家さんなどが来た。私同期銀OB関口重雄君が集まった。

 場所も鈴木さんが新宿の三井ビルの中の倶楽部に決めた。ところが大石先生が皆を煩わせることになるので、遠慮したいということで流れた。その後、鈴木さんは一度会おうということで二人で会った。鈴木さんは顔色は良くなかったが元気で秋にゴルフをしようとことで鈴木さんのホームコースの鎌ヶ谷カントリー倶楽部でプレーすることになった。私は同期で三菱信託銀行で専務をした宮下正利君を誘い、鈴木さんは塚越さんを誘ってすることに決まった

 ところが鈴木さんから「残念ながら体調が良くないので病院に検査入院する。ゴルフは中止にしてほしい」という連絡があった。このゴルフは流れた。それから連絡がないのでどうしたか、と心配していたところ3月9日に留守電に「鈴木の家内ですが、鈴木がなくなりました」と言うメッセージが入っていた。びっくりした。10日に電話したがつながらないのFAXで「葬儀のことを教えて欲しい」と伝えたところ、12日に告別式が横浜市の妙蓮寺で11時から行われるという。

 「急ですのでくれぐれも無理はなさらないように」という伝言メッセージが入っていた。告別式に参列した。東日本銀行の頭取の花輪などもありにぎやかであった。前日に通夜があったのでそこに大石ゼミの人が来ていたのかもしれないが、この日は誰にも会わなかった。奥様の里美さんはあいさつで「8年前に胃がんをしましたが回復して元気になりました。勉強が好きでフランス語の勉強を学校に通ってしてました。ゴルフ、マージャンと遊びもしており元気でしたが、1昨年秋に調子が悪くなり病院を出たり入ったりしてました。無口でしたが優しい主人でした」と話した。棺桶には愛読書の三島由紀夫の「春の海」とフランス語の辞書、鎌ヶ谷カントリークラブの帽子が入れられていた。私は菊をたくさん入れた。

| その他 | 06:07 | - | - | pookmark |
2011.12.01 Thursday
 

50年を迎えた朝日新聞経済部のゴルフ会

 QKG(旧経済部ゴルフ会)というゴルフ会が続いている。現役だけでしていたTKG(東京経済部ゴルフ会)と区別してこうした名前になっている。毎年4月29日と9月23日の休日に行われている。場所は小田急線の本厚木にある「厚木国際カントリー倶楽部」である。今年(2011年)も4月29日に例年のように行われた。今回はこの会が始まって50年になるというのでOBの香月浩之さんを中心に何か記念品を出そうという事になった。いろいろな案が出たようだが(私はこの企画会議には出られなかった)ゴルフバッグにつけるタグに決まった。発足20周年の時に作ったタグを参考にした。

 この時に今までの成績表をまとめようという事になり幹事の安井孝之編集委員が私の所に来ていろいろ聞いていった。今までのデータを出した。それによると今回の会は50周年だが回数は72回という事で、昔は今のように年2回でなく1回のときが多かったようだ。この成績表では優勝者の中には広岡知男さん、石原英雄さん、三宅正也さんなど歴代の経済部長が名を連ねている。優勝回数が多いのは中島善範さん、伊藤三郎さん、加納隆さんなどで3回である。私は93年9月の会でグロス84のベストグロスで優勝した1回だけである。

 この優勝した時は、父が入院していて危ないといわれていた。しかし、朝、病院に聞いたら「今日は大丈夫でしょう」と言われたので出た。寒い日で雨も降っていた。上がって表彰式が終わったときに女房から電話で至急病院に来て欲しいという。急いで東京駅のロッカーにクラブを入れて病院に駆けつけた。親父の死に水を取るのには間に合った。

 「ゴルフが好きな親父が応援してくれて優勝できた」と挨拶をした事を覚えている。優勝はこれだけでベストグロスの回数は11回と戸引和夫さんの15回、浜田隆さんの12回に次いで11回である。

 この日は中島さん、久保田泉君、加藤裕則君と回った。中島さんとは毎年、千葉にあるエンゼルカントリークラブでの忘年ゴルフで一緒なので気安い関係だ。久保田君は朝日新聞の広告担当の常務からテレビ朝日の専務に出る事が内定している。中島さんが100で回りハンディが39なので10アンダーで4日目の優勝をした。私は85で12回目のベストグロスになった。

| その他 | 08:42 | - | - | pookmark |
2011.12.01 Thursday
 

NHK大河ドラマの五十年

 「舌がん」を患って、いろいろな会合は休んだ。土曜日の午後3時からプレスセンターで開かれる「おつな寿司セミナー」も欠席していた。会場を私が予約していたので、この会をしている後藤喜兵衛さん(元徳間書店)も、私に連絡が取れなかったので心配したようだった。その間は日本新聞協会の吉沢さんに頼んでいたので、続いていた。2011年9月10日は読売新聞の鈴木嘉一編集委員員が「NHK大河ドラマ五十年」というテーマで話しをした。鈴木氏は文化部関係の担当で、マスコミの事を解説面などで書いているので名前は知っていた。

 この日は日ごろ来ない人も来て30人ぐらいいた。私と親しい料理研究家の白鳥早奈恵さんも来ていた。この会では最初に毎回自己紹介をするが私は「舌がんをして40日ほど入院してました。皆さん、久しぶりです。健康がいかに大切であるかがわかりました」と述べた。この会では日本気象協会の富沢勝さんが舌がんを経験しているが、40日も入院してはいない。手術は大変ではなかったようである。

 鈴木氏は最初にクイズをした。「日本で3英傑といわれている織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のうち一番ドラマに登場しているのは誰か?」という問題である。私は秀吉と思ったが家康が長生きしたという事もあって一番出ている、という。大河ドラマは東京オリンピックの前の年の63年に始まった。最初舟橋聖一の「花の生涯」であり、主演は尾上松緑で視聴率は20・2%であった。

 大河ドラマを始めようと言い出したのは当時の長沢泰治・芸能局長だったという。報道畑が永かった長沢氏が大河ドラマを始めようといって制作畑の人はビックリした。当時は映画会社が5社協定を結んで俳優をテレビに出さないようにしていた。そうした中でドラマを作るという。鈴木氏によると50回も続いてきたのは3回目の「太閤記」が成功したことだ、という。この演出はまだ無名の吉田正哉氏を起用した。吉田氏は新幹線を最初に走らせ、名古屋駅をアップするなど今までの手法をがらりと変えた。俳優にも当時、新国劇で売り出し始めた緒方拳や無名の高橋幸治を主演に登用した。こうした新しい手法が成功して、視聴率も31・2%を取った。鈴木氏は今やっている「江−姫たちの戦国―」は、時代認識がでたらめであり評価しないという。来年は「平清盛」であるが、成功するのかどうか?

| その他 | 08:42 | - | - | pookmark |
2011.12.01 Thursday
 

産地偽装続出で供給者と消費者がシンポジウム

 うなぎだけでなく脂が乗った寒ぶりの「氷見ブリ」や牛肉、ハチミツなどに産地を偽って販売しているケースが続出している。このため消費者は食品関連事業者や行政に対して不信を呼び、食品全般に対する不安の原因になっている。こうした消費者の不安を少しでも解消しようと「食の安全・安心財団」(田沼千・理事長)が2011年3月22日午後2時から「ホテルアジュール竹芝」で第一回のシンポジウムを開く。テーマは「食のリスクコミュニケーションの現状と課題」で東京大学の唐木英明・名誉理事長の基調講演のあと安部修仁・吉野家ホールディングス社長、作家の吉永みちこさんなどがパネルディスカッションを行う。

 10年の年末から正月にかけて富山県の氷見港で水揚げされる「氷見ブリ」の産地偽装が問題になった。最初に声をあげたのは東京都水産物卸売業者協会である。東京・築地市場で氷見ブリが例年に比べて「身がやせている」と産地を疑問視する声が出た。このため協会が氷見漁協に適正な産地表示など要望書を出した。こうした中で富山県警は1月27日に氷見市の仲買業者の「浅吉」の事務所など数カ所を不正競争防止法違反(誤認させる行為)の疑いで家宅捜査した。浅吉は福井県産のブリを氷見産と偽って出荷していた。

 浅吉は「産地表示に対する認識が甘かった」と話している。

 うなぎの偽装はイトーヨーカ堂の元社員が中国から輸入したかば焼きを日本の業者の箱に入れて転売した。元社員は1月11日に食品衛生法違反で懲役1年執行猶予3年の判決が出た。また、外国産のハチミツを国産と表示して販売した加工食品会社「ほくと蜂舎(ほうしゃ)」に対して神奈川県警は2月15日に事務所などを「不正競争防止法違反」(原産地を誤認させる行為)で家宅捜査した。このほか百貨店の「井筒屋」(北九州市)は10年12月に精肉店「岡崎商店」が九州産の肉を松阪牛と偽って販売した、と発表した。農林水産省と福岡県の抜き打ち検査で明らかになった。

| その他 | 08:40 | - | - | pookmark |
2011.10.25 Tuesday
 

5年間は要観察

 手術をどのようにしたかは、前回にも書いたが覚えていない。おぼろげに目が覚めたら首の両側にマクラが置かれて首が動かせなかった。看護師が直ぐ来られる部屋に移されていた。その段階では尿も食事も自分で取れないので管をつけていた。管がはずれてからは、今までとは違って自分で食事をし尿も出した。夜は9時ごろから寝てしまうので、2時間おきぐらいに起きて尿をした。この癖が今でも続いている。

 毎朝は5時ごろ起きてテレビを見る。偶然に625日にNHK見ていたら知り合いの講談師の神田松鮎さんが古典の「無策の出世」を演じていた。夕方までテレビを見るか、本を読むかである。テレビは昼間から見ていたのでいろいろなことが分かった。ニュースを各局が放送している。バラエティー番組でもニュースを取り上げているので、主婦が政治に関心を持つのは分かった。

 大学病院では教授の回診があるが、この病院でも行われた。週に一度ほど山口先生が診て、担当の道先生が説明をする。山口先生は口の中を見て「よくなっていますね」で終わる。夜は8時ごろに21組で部屋に来て「今日の担当なので何かあったら知らせてください」と若い先生が来る。私は世話にならなかったが患者にとっては安心できる。看護師さんも午後3時ごろに「今日の担当ですのでよろしく」と来る。こうした手厚い看護体制は患者を安心させるだろう。

 この病院も独立行政法人になっているので「医療機関認定機構」の検査の結果が、井原哲夫理事長名で出ていた。問題がないということである。こうした認定のそばにこの病院の「理念」「こころざし」「医療診察方針」が書かれていた。いまや病院もこうした理念や方針を書かなくては患者に認めてもらえない時代になったのであろう。CTなどの検査でも患者に対して「アルコール湿布のアレルギーはないか?」「苦しかったら直ぐに手を上げて下さい」などとくどいくらいに聞いてくる。

 「舌がん」についての情報は他のがんに比べて少ない。患者が少ない事と基本的に歯科医が担当しているからだろう。そうした中で東京医科歯科大歯科病院は安心して診てもらえる。道先生とともに、担当の高橋先生は「5年間は要観察でしょうね」と言う。退院したからといってまだまだ安心は出来ない。長期戦である。

 これでがんの話は終わり次からは普通の話に戻る。

| その他 | 10:50 | - | - | pookmark |
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