環境問題に本格的に取り組む三井不動産
2010.07.28 Wednesday
環境問題に本格的に取り組む三井不動産
不動産業界のトップ企業である三井不動産は国内だけではなく海外での事業にも環境問題を第一にして取り組んでいる。他の不動産業者も環境には力を入れているが、三井不動産ほどではない。岩沙弘道社長が日本経団連の副会長を務めていることもあって環境問題には業界の先頭に立ってさまざまな事をやっている。マンションだけではなく戸建て、商業施設などでも環境に配慮した商品を出している。
三井不動産は環境コミュニケーションワードとして「&EARTH」(アンド・アース)という言葉を使って環境への取り組みの理解を深めていっている。そのメッセージは
「街をつくることは地球の一部をつくること。そして地球の未来をつくること。だから私たちはあなたのことを想いながら地球のことを考える。あなたの明日を想いながら地球の明日を想像する。三井不動産グループはつづけています。その豊かさと潤いが50年先、100先の幸福な未来へとつながっていく新しい街づくりを。「共生・共存」という理想のもとで、そこで暮らす人、働く人、そこを訪れる人とともに」
さらにアンド・マークの理念として「都市と自然」「経済と文化」「働く事と学ぶ事」という概念を「あれかこれか」という「OR」ということでなく「あれもこれも」という形で共生・共存させ、価値観の相克を乗り越えて新たな価値観を創出してゆくもの、としている。
具体的なものは「二酸化炭素の削減」「水環境の保全」「有害物質削減」「省資源・廃棄物削減」「生物多様性の保全」と5項目を挙げている。
具体的な取り組みでは東京ミットタウンで屋上緑化による遮熱、雨水の再利用、複層ガラスによる窓からの熱の削減、太陽光発電、照度センサー付天井照明などを上げている。柏の葉キャンパスシティでは次世代環境都市に向けて先進的な取り組みをしている。
「六本木一丁目南地区第一種市街地再開発事業」では都内の超高層マンションとして初めての長期優良住宅の認定を受けている。商業施設では7月8日にグランドオープンした「三井アウトレットパーク滋賀竜王」では環境共生型のアウトレットモールとして評判になっている。「世田谷区中町3丁目計画」(総戸数43戸)は国土交通省の「住宅・建築物の省CO2推進モデル事業」として採択されている。
海外事業についても中国・天津で行っている35万人が住む大規模環境都市開発プロジェクト「天津エコシティ」に参画している。このプロジェクトも「環境共生」「省資源・資源環境効率化」をコンセプトにして進めている。
くらしのリサーチセンター副会長・専務理事 工藤芳郎(くどう・よしろう)
2010.07.28 Wednesday
観光立国を支える人たち
沖縄の観光立国を訴える
沖縄の普天間基地の移設問題で、鳩山首相は名護市の辺野古にする事を沖縄県の仲井真知事に伝えた。沖縄の人たちは公約違反と怒っている。こうした軍事で無く観光で復活させようとしている。
くらしのリサーチセンター副会長・専務理事 工藤芳郎(くどう・よしろう)
大分県日出町生まれ。58年中央大学法学部卒業。59年から日本国際貿易促進地方議員連盟で働く。その間に中国国際貿易促進委員会の招きで北京、上海に行き北京市長とパンダの交換の約束をする。71年に全国消費者団体連絡会代表幹事。89年に現職。75歳。
−NPOの「Japan Now情報協会」の観光立国セミナーで沖縄の観光振興を話しました。くらしのリサーチセンターとどんな関係があるのでしょうか?
くらしのリサーチセンターは企業、行政、国民生活者で構成されており、3社が話し合っていろいろな事を解決しようとしています。そこには和の精神があります。観光は平和だから成り立つ産業であり、沖縄で観光振興を図るという目的でいろいろなところで訴えてきています。沖縄には4回ほど行っており、仲井真知事とは副知事の時から付き合っており話し合っています。沖縄の米国の海兵隊が抑止力になっているといいますが、沖縄を平和な観光地にする事で抑止力になります。
―具体的にはどのようなプランを持っていますか?
待ちの観光から攻めの観光にする事を目指します。沖縄は地政学的には西南アジアの中心であり、自然ではきれいな海、亜熱帯林、サンゴ礁、ジュゴンなどがあります。文化では民謡、織物、泡盛、長寿などの特性がある。こうした特性を生かすために具体的な課題として、ハブ空港の設置、国際間鉱泉が接岸できる港湾の整備、鉄道を島に作る、国際会議場の設置などを急がなくてはならないでしょうね。こうしたことが実現するためには沖縄の基地問題を解決しなくてはなりません。私は基地を撤廃して、観光を盛んにして抑止力にすべきだと訴えています。鳩山首相が訴えている「東アジア共同体構想」の中に沖縄地域の観光を位置づければ良いと思います。
―具体的な沖縄観光の話をお願いいたします。
私は沖縄の特性を生かしてもらいたいと思います。自然が優れており北部の山林には希少価値のある動物、植物がいます。海はサンゴ礁でジュゴンがいます。道路にはイリオモテヤマネコなどもいます。食べ物は豚肉料理がおいしく、飲み物はなんといっても泡盛でしょう。音楽は三線(さんしん)で踊りもありますね。沖縄の人は長寿で人間的にぬくもりがあります。泣き言は言わずに我慢強いです。人の前ではいつも朗らかで明るい顔をしています。私は沖縄に行くといつもホットします。癒されます。
―カジノを作ったらよいという話しがありますが。
私は賛成できません。沖縄に金融街を作ったりカジノを作ったりすれば本来の良さが失われてしまう心配がありますよ。それよりも立派な国際会議場を作って、世界中から人を呼ぶ事でしょうね。
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観光立国 |
07:20 | - | - |
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朝日新聞の仲間と石巻漁港
2010.07.28 Wednesday
ちょっと一休 朝日新聞の仲間と石巻漁港へ
朝日新聞の経済部で後輩の高成田亨君が60歳で定年になって、宮城県の石巻支局長として08年1月から仕事をしている。3年の契約なので11年1月には東京に帰ってくる。その前に石巻に行きたいと思っていた。というのも高成田君は魚記者になりたいという希望があって日本でも有数の漁港がある石巻を希望した。石巻では魚の記事を定期的に宮城県版に書いたり、全国版に載せたりしていた。時々、そうした記事を見て「元気で仕事をしているなあ」と思っていた。そうしたところ09年4月に「こちら石巻 魚記者奮闘記―アメリカ総局長の定年チェンジ」(時事通信社)という本を出した。関係者が出版祝いをする事になり私も出席した。
その時にもらった本はあっという間に読んで一度は石巻に行かなくてはならないだろうと心に決めた。ところがバタバタしているうちに時間だけが経っていった。そうした時に経済部の先輩の香月さんが「一度、皆で石巻に行かないか?」と誘われた。私もかねてから行きたいと思っていたので「私がみんなに呼びかけて行きましょう」ということになった。早速、高成田君に連絡したところ、こういう列車で来て、この店で食事をしてここで泊まれば良い、という案がメールで流れてきた。行く日は7月9日の夕方で翌日に東京に帰る、ということになった。
この案を高成田君と親しく行きそうな人に連絡したところ代表取締役専務で大阪代表をした浜田さん(元東京経済部長)や県立宮城大の教授だった粟田さんなど7人が行く事になった。朝日以外では朝日生命で広報を長くやり最後は専務で退任して現在は子会社の会長をしている三枝稔さんが一緒に行く事になった。三枝さんは高成田君と同じ小山台高校でラクビー部で一緒に活動して親しい。三菱地所で広報部長をし、現在は三菱地所設計の小田川社長も小山台高校出身で、私が3人に呼びかけて一緒に飲んだこともある。今回も小田川さんにも呼びかけたがあいにく、出張が入ってゆけない、という。14時56分の「はやて23号」で仙台に着きそれから仙石線に乗り換えて石巻に18時13分に到着する。仙台の駅で6人と会い、粟田さんは先に石巻に行くというので全員無事にそろった。石巻駅には高成田君が迎えに来ており、ホテルまで歩いて行った。次号は石巻のおいしい魚の話などを書く。
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その他 |
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西安で餃子料理を満喫
2010.07.05 Monday
ちょっと一休 西安で餃子料理を満喫
西安の研修旅行の最後は食べ物について書く。外国に行って楽しみは素晴らしい観光施設を見る事と3度の食事である。1年半前の9月のウズベキスタンの旅行では焼肉と果物がおいしかった。今回の西安の旅では朝食はホテルのバイキングで、和食から洋食、中華まであり、苦労しなかった。昼と夜の食事は中華料理である。毎日、中華料理だがいろいろなものがあり、飽きなかった。西安の名物料理は餃子料理である。30日夜に12種類の餃子を食べた。
餃子というと約2年半前に日本で中国製の餃子を食べて千葉、兵庫の人が中毒を起こした。餃子に毒が入っていた。中国側は日本で入れられたものだ、と主張して解決しないままであった。ところがわれわれが西安に着いた時に、この犯人が中国の行員だったと中国政府が発表した。こうしたことがあってか、なんとなく餃子はおいしいとは感じなかった。食べ物は安心、安全が無ければおいしくない、ということを感じた。
西安のお土産は絹製のじゅうたんにした。最後の食事の後に絹からじゅうたんを作っている土産物屋に行った。軽くて肌触りも良いので6畳ぐらいに敷ける大きさのものを買った。日本円で20万円ほどの買い物だったが、清水の舞台から降りる気分で買った。お店の人が「このじゅうたんは素晴らしい。安くしますから」という誘いに乗った。このじゅうたんのほかに小さなじゅうたんをサービスしてくれ、荷物を引く新しいカートに入れくれた。これもサービスである。それをもって飛行場に行き、上海で乗り換えるときに事件が起きた。
3つの荷物になったので、この新しいカーとの中身を別室で調べる事になった。鍵で開けようとしても開かない。お店では鍵が開いておりおかしい、ということになった。氷鉋(ひがの)団長が心配してきて「この鍵ではない」という。仕方がないのでバックをナイフで切ってあけてみたら私のじゅうたんは無くほかの人のものだった。ビックリして付き添いの中国の李楊さんが私のカートを飛行場に手配して持ってきてくれた。このカートにかぎをいれたら開いてじゅうたんが出てきた。上海で2時間待ちだったので、皆に迷惑をかけないで済んだ。私のカートが来て無事だった事がわかると皆が拍手をしてくれた。4泊5日であるが皆が一体感を持った、と感じた。もし、検査が無かったらじゅうたんはどこに行ったのだろうか?旅は怖いと思った。このじゅうたんの生活は快適である。
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その他 |
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梅屋庄吉さんの「富貴在心」に感激
2010.07.05 Monday
ちょっと一休 梅屋庄吉さんの「富貴在心」に感激
日本記者クラブでは「著者と語る」という講演会を催している。本の筆者にその本の意図や背景を語ってもらう。6月8日は日比谷松本楼の常務取締役の小坂文乃さんが「革命をプロデュースした日本人」(講談社、税別で1700円)という本について話した。記者クラブの前が日比谷公園で日比谷松本楼はその中にあるのでなんとなく親しみを感じている。カレーがおいしくて月に1度サービスデーがあることでも話題になっている。
この社長は小坂哲瑯さんで、日本フードサービス協会(JF)の会長を務めたことがある。JFの会ではたびたび会って顔見知りになっている。08年5月に日比谷松本楼に中国の胡錦涛・総書記が来た事がある。小坂さんにあるパーティーでこのことを聞いたところ「母の関係に孫文さんを応援した梅屋庄吉さんがいて、そうした関係で胡総書記が来たのですよ」と話してくれた。その時に梅屋庄吉の名前を知ったが、どのように孫文を支援したかは知らなかった。
小坂文乃さんは自分の曽祖父である梅屋について書いた。梅屋は長崎県の生まれで香港で写真館を経営して成功する。その店で孫文を紹介されてそれから資金援助を続けた。梅屋氏は活動写真で利益を上げて、現在の日活などの映画会社も作った。資金援助は今の額では2億円ほどになる。孫文からの資金援助の手紙なども小坂家にあり、こうした資料を下に書いた。
「中国革命ニ関シテ成セルハ孫文トワレトノ盟約ニテナセルナリ」という書もある。小坂さんによると孫文が最初の奥さんと離婚して有名な宋慶齢と再婚するのをセットしたのも梅屋であった、という。辛亥革命が成功した後で孫文が袁世凱に追い出されて日本に亡命していた時に慰めるとともに宋慶齢との結婚の段取りをした。梅屋はスパイ容疑で憲兵隊に逮捕された事もある。そうした事もあって梅屋は「孫文との関係などは一切口外してはならず」という文も残している。
孫文が辛亥革命を起こし中華民国を作ったのは1911年11月10日である。来年は辛亥革命から100年になる。そうした事もあって小坂さんは「梅屋と孫文との話を映画にしようとしています。面白いものが出来れば良いと思ってます」と話していた。現在上海で開かれている万博に梅屋と孫文に関する展示会を開いている。梅屋は「富貴在心」というのが座右の銘であり、小坂さんも記者クラブの講演記念帳にこの言葉を書いた。
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その他 |
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沖縄の観光立国を訴える
2010.07.05 Monday
観光立国を支える人たち
沖縄の観光立国を訴える
沖縄の普天間基地の移設問題で、鳩山首相は名護市の辺野古にする事を沖縄県の仲井真知事に伝えた。沖縄の人たちは公約違反と怒っている。こうした軍事で無く観光で復活させようとしている。
くらしのリサーチセンター副会長・専務理事 工藤芳郎(くどう・よしろう)
大分県日出町生まれ。58年中央大学法学部卒業。59年から日本国際貿易促進地方議員連盟で働く。その間に中国国際貿易促進委員会の招きで北京、上海に行き北京市長とパンダの交換の約束をする。71年に全国消費者団体連絡会代表幹事。89年に現職。75歳。
−NPOの「Japan Now情報協会」の観光立国セミナーで沖縄の観光振興を話しました。くらしのリサーチセンターとどんな関係があるのでしょうか?
くらしのリサーチセンターは企業、行政、国民生活者で構成されており、3社が話し合っていろいろな事を解決しようとしています。そこには和の精神があります。観光は平和だから成り立つ産業であり、沖縄で観光振興を図るという目的でいろいろなところで訴えてきています。沖縄には4回ほど行っており、仲井真知事とは副知事の時から付き合っており話し合っています。沖縄の米国の海兵隊が抑止力になっているといいますが、沖縄を平和な観光地にする事で抑止力になります。
―具体的にはどのようなプランを持っていますか?
待ちの観光から攻めの観光にする事を目指します。沖縄は地政学的には西南アジアの中心であり、自然ではきれいな海、亜熱帯林、サンゴ礁、ジュゴンなどがあります。文化では民謡、織物、泡盛、長寿などの特性がある。こうした特性を生かすために具体的な課題として、ハブ空港の設置、国際間鉱泉が接岸できる港湾の整備、鉄道を島に作る、国際会議場の設置などを急がなくてはならないでしょうね。こうしたことが実現するためには沖縄の基地問題を解決しなくてはなりません。私は基地を撤廃して、観光を盛んにして抑止力にすべきだと訴えています。鳩山首相が訴えている「東アジア共同体構想」の中に沖縄地域の観光を位置づければ良いと思います。
―具体的な沖縄観光の話をお願いいたします。
私は沖縄の特性を生かしてもらいたいと思います。自然が優れており北部の山林には希少価値のある動物、植物がいます。海はサンゴ礁でジュゴンがいます。道路にはイリオモテヤマネコなどもいます。食べ物は豚肉料理がおいしく、飲み物はなんといっても泡盛でしょう。音楽は三線(さんしん)で踊りもありますね。沖縄の人は長寿で人間的にぬくもりがあります。泣き言は言わずに我慢強いです。人の前ではいつも朗らかで明るい顔をしています。私は沖縄に行くといつもホットします。癒されます。
―カジノを作ったらよいという話しがありますが。
私は賛成できません。沖縄に金融街を作ったりカジノを作ったりすれば本来の良さが失われてしまう心配がありますよ。それよりも立派な国際会議場を作って、世界中から人を呼ぶ事でしょうね。
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観光立国 |
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ちょっと一休 楽しかった西安の旅
2010.06.18 Friday
ちょっと一休 楽しかった西安の旅
日本不動産学会の三橋博巳会長は、われわれジャーナリストが作っている日本不動産ジャーナリスト会議の20周年の時に記念講演をしていただいた。「宇宙の不動産はどうなるか?」というテーマであった。三橋会長は南極の越冬隊員にもなっている。この学会が中国の西安への視察をする、という。大越武君が「阿部さんこの視察会に行きませんか?」と誘いがあった。大学も春休みでもあり、行くことにした。
3月27日から31日までの4泊5日である。成田の第二エアーターミナルに午前8時の集合である。そこに行ったら女性の人が「阿部さんですか?」といって西安までのチケットをくれた。1枚の紙である。「大丈夫なんですか」と聞いたら「大丈夫です」という。荷物の検査をしてチケットをもらった。19人のメンバーだが知っている人は三橋さんと大越君と不動建設にいた富永剛さんだけである。
まず、上海まで行き乗り継ぎで西安まで行く。夕方午後5時40分についた。飛行場には「歓迎、日本不動産学会視察団」という幕があった。ホテルは全日空が経営していた「長安城保大酒店」(Junle Castle Hotel X‘im)である。通訳は旅行会社の李強さんである。李さんは日本語がうまく到着して「おなかがすいたでしょうからこれからレストランに行きましょう」と直ぐにレストランに行った。そこで簡単な自己紹介をした。この視察団の団長は氷鉋(ひがの)揚四郎・筑波大学大学院教授である。学会の事業委員長であり、この視察を企画した。名前が変わっているので「私は初めてですがどこのご出身ですか?」と聞いたところ長野県という。
メンバーは学会員だけでなく不動産業者や司法書士や土地家屋調査士などいろいろな業種の人がいた。こうした視察団の参加は初めてでありどんなことになるか、興味があった。
最初の食事にはビールが出てこないので注文し、その後紹興酒を頼んだ。氷鉋団長は酒を飲まないのでこうしたことには気がつかない。われわれの会合などでは酒がつき物なので先が思いやられた。自己紹介ではいろいろな人が来ていることがわかったが、直ぐには誰がどの人だか、はわからない。夫婦連は三橋さんと山梨で司法書士をしている「竹野総合事務所長」の竹野満さんの二組である。この回を含めて4回にわたり中国の不動産のバブル状況や観光を事情を書いてゆく。
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その他 |
15:21 | - | - |
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菅総理誕生で米倉経団連会長との距離はどうなるのか?
2010.06.18 Friday
菅総理誕生で米倉経団連会長との距離はどうなるのか?
枝野幹事長が日本経団連に最初に挨拶
民主党の菅直人副総理兼財務相が6月8日に総理になり、組閣を終えた。その前日の7日には民主党の幹事長に枝野幸男・行政刷新担当相が就任した。菅政権の下で米倉弘昌・日本経団連会長との関係はどうなるのか、が注目された。ところが枝野幹事長は8日に日本経団連に乗り込んで、米倉会長や中村芳夫・事務総長に挨拶した。10分間の会談であるが、この会談にほっとしたのは米倉会長だった。米倉会長は5月27日に御手洗冨士夫・キヤノン会長からバトンタッチを受けた時から、最大の課題は民主党政権とどのように意思疎通を図ってゆくかであったからである。
御手洗会長に時は鳩山由紀夫総理と小沢一郎・民主党幹事長とはまったくといって話し合う余地が無かった。というのも鳩山総理は民主党の幹事長時代に御手洗会長に対して国会の代表質問で「キヤノンの偽装請負の問題で国会に参考人として招致すべきである」と当時の自民党の福田康夫総理に質問した。さらに枝野氏も安倍内閣の予算委員会の野党の筆頭理事の時に、御手洗経団連会長の国会への参考人招致を要求した。さらに民主党など野党4党は福田内閣の時代に御手洗会長の予算委員会への参考人招致を要求している。こうしたいきさつもあって御手洗経団連は民主党とのパイプが無いままに終わってしまった。御手洗会長はいろいろなルートで民主党とのパイプ作りをしたが、キヤノンの偽装請負問題が何かと障害になって実現できなかった。
こうした中で日本経団連は政治献金について10年3月に中止することを決めた。御手洗経団連は自民党に対して約30億円の資金を出していたのに民主党には7千万円しか出していなかった。経団連の政策評価でこうした献金を決めていたが、民主党政権になってもこうした政策評価は変わらないままだった。経団連が鳩山政権に対して政策評価で問題にしたのは温暖化対策で2020年までに1990年対比で25%二酸化炭素を減らすという目標だった。例年なら9月に政策評価を出して、各企業に献金を勧めるが、09年には政策評価を延ばしてきていた。最終的にはこうした評価も中止して献金を中止せざるを得なくなった。
奥田碩トヨタ自動車会長が日本経団連の会長時代に復活した政治献金は自民党に偏っている事で御手洗経団連会長の手で中止した。そうした中で誕生した米倉会長だけに民主党政権との対話をどのようにしてゆくのかが注目されてきただけに枝野幹事長の経団連への挨拶周りは注目してよいだろう。しかし、これで民主党との関係がよくなるかどうかは予断は許せない。
御手洗経団連会長の誤算
06年5月に奥田会長から経団連会長を引き継いだ御手洗会長は小泉純一郎総理から交代した安倍晋三総理と親密な関係を築いた。06年9月に誕生した安倍内閣は70%の支持率で小泉内閣と同様に国民から歓迎された。御手洗会長は憲法改正や愛国心などを育てる教育改革を進めようとした自民党政権に全面的に協力をした。自ら経済財政諮問会議の民間のメンバーになり自民党政権の政策作りと一体になっていった。安倍首相のべトナム、中近東5カ国訪問、インドへの訪問などには100人以上の経団連のメンバーを引き連れて同行した。中近東には当時サウジアラビアで石油コンビナートを建設していた住友化学の米倉会長も同行している。
首相の海外訪問に経団連のメンバーがこのように大挙して同行するのは御手洗会長が初めてである。政局は変わりやすいということを忘れて御手洗会長は安倍首相に協力していった。そうした時に御手洗会長の出身会社であるキヤノンで偽装請負の問題が出て、厚生労働省栃木労働局から是正命令が出た。派遣労働者は製造業で3年以上働いたら正社員に昇格させなければならないのを、請負の形に変えてそのまま働かせていた、という。さらに御手洗会長はガソリンの暫定税率廃止の議論で経済財政諮問会議では廃止に賛成し、経団連に帰ってきたら、トヨタ自動車の張富士夫副会長に反対されてそれに同調するという事で朝日新聞に「二枚舌」と書かれた。これに怒った御手洗会長は朝日新聞にキヤノンの広告を1年間ほど停止した。
「悪口を書く新聞に広告を出さないのは当然である」という考えだからである。こうした考えは奥田・経団連名誉会長にもあり、年金問題の審議会の後の記者会見で「新聞が悪口をいろいろ書くなら、広告を止める事も考える」と発言している。
安倍首相は07年7月の参院選で自民党が民主党に大敗して9月に退陣に追い込まれた。次に総理になった福田首相は経団連との関係は安倍首相の時とは違って距離を置いた。余りにも御手洗会長が安倍首相に接近した事から自民党との関係もギクシャクした。御手洗・経団連名誉会長は「安倍さんに期待したんだが。あんなに早く退陣するとは思わなかった」と悔やんでいる。
米倉会長の誕生と民主党政権との距離
キヤノンの工場建設を巡り大手ゼネコンの鹿島からリベートを取って脱税で逮捕された会社社長が御手洗会長の大分県の高校の同級生の後輩だった事などもあり、不祥事が相次いだ。このために1期2年で退任するのではないか、といううわさも出ていた。御手洗会長は09年中に次の会長を決める、と記者会見などで発言していたがなかなか決まらずに10年1月に延びた。経団連の会長は副会長から選び、70歳未満というのが内規や不文律としてある。米倉会長は異例の形で選ばれた。経団連の評議会議長であり、年齢も72歳で、その上住友グループの会社である。経団連の会長は石川一郎・日産化学工業社長から始まり戦後12人いるが、三井、三菱、住友の旧財閥から出るのは初めてである。御手洗会長の苦心の末の選出といえる。
米倉会長は若い時に長谷川周重・経団連副会長について経団連活動や日米財界人会議などの事務方の経験をしている。長谷川副会長は日米財界人会議の日本側代表を務めていたので英語が堪能な米倉氏が選ばれた、といわれる。
米倉会長の最大の課題は民主党政権とどのように付き合ってゆくかである。御手洗会長の時代は鳩山・小沢体制で入り込む余地は無かった。菅・枝野体制で民主党がどのように変わってくるかである。そうした時に枝野幹事長が連合よりも先に挨拶に来た事でほっとしたのは事実だろう。しかし、菅首相は市民運動から政治家になり財界とはほどんと付き合いはない。枝野幹事長も弁護士出身で財界とのパイプは出来ていない。民主党との財界のパイプはまったくないといっても良いだろう。そうした中で京セラの稲盛和夫名誉会長が小沢・前幹事長や前原誠司・国土交通相との関係でJALのCEO会長になっている。稲盛氏は京都商工会議所会頭を義理で勤めたが、経団連活動はまったくしていない。
米倉会長は兵庫県にある甲陽学院から東大法学部を出て、住友化学に入社した。米国デューク大学に留学するなど英語には堪能である。東大のときの同級生の亀井静香・国民新党代表が知り合いという程度で政治家との付き合いは多くない。もともと住友化学は大阪を中心に活動してきた事から東京での知名度は低い。低い知名度を上げようと住友化学では広瀬博社長が広報部の経験を生かして米倉会長の売込みを図っている。しかし、豊田章一郎氏が経団連会長になった時の20人の人員を配置したトヨタ自動車の支援体制には及びもつかない。高尾剛正・取締役専務執行役員が財界活動の面倒を見るというが、積極的に動いているふしは見えない。御手洗名誉会長も「キヤノンとしてもう少し広報活動などをすればよかった。経団連に任せすぎた」と反省している。
民主党の25%削減の温暖化対策や成長戦略に伴う消費税のあり方など経団連としては民主党との話し合いが必要である。民主党も小沢・鳩山時代とは変わるとしても米倉経団連会長としてもいろいろなルートを使ってパイプ作りをしてゆく必要があるだろう。
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経済・財界 |
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渡辺さんへ10年4月17日のコンフィデンシャル
2010.06.18 Friday
米倉・日本経団連会長に早くも不安の声
日本経団連は5月下旬の総会で御手洗冨士夫・キヤノン会長から米倉弘昌・住友化学会長に交代する。御手洗会長は就任早々にキヤノンの偽装請負の問題や経済財政諮問会議の委員として経団連会長の発言と違うことを言って二枚舌などの批判を浴びせられた。2期4年は持たないのではないか?という声も出たほどである。しかし、経団連の中村芳夫事務総長の支援で何とか乗り切った。こうした支援に対して御手洗会長は中村事務総長を副会長に昇格させたほどである。花村仁八郎・事務総長以来のことである。
この満身創痍であった御手洗会長が選んだのが米倉新会長である。米倉氏が会長になったひとつの理由は中村事務総長と関係が良いということである。米倉氏は長谷川周重・元経団連副会長の秘書を務め海外などを回った。中村事務総長も経団連で国際経済部長など国際畑ということで米倉氏とは親しい。そうしたことも今回の人事に絡んでいる。
72歳という年齢も経団連の内規に違反している。副会長で70歳以下という内規がある。そうした中で選出されているだけに支援体制がしっかりしなくてはならないが、今のところ見えてきていない。トヨタ自動車の豊田章一郎会長の時は20人近くの人員を経団連の仕事に当てた、といわれる。住友化学では広瀬博社長(当時は副社長)が米倉副会長の補佐役として務めていた。今回の米倉会長の補佐役は高尾剛正専務が陣頭指揮をとるといわれている。ところがサウジアラビアの石油コンビナートも担当しており、財界関係者には知られていない。御手洗会長は「キヤノンの支援が少なかったことが悔やまれる。経団連の事務局に頼りすぎた」と後悔している、という。
鹿島が海外事業で初の営業赤字
鹿島建設は2010年3月期の連結営業利益が90億円の赤字に転落する。営業赤字は1961年に上場して以来のことである。この赤字の原因は海外での工事である。一番大きいのはアラブ首長国連邦(UAE)ドバイ首長国の地下鉄工事「ドバイ・メトロ」の損失である。この工事は国内での公共事業が少なくなった05年に大林組と総額2280億円で共同受注したが建設資材費や労務費の高騰で採算が悪化した。こうした工事の損失が合計で300億円を超している。このは他、アルジェリアの工事でも工期が大幅に遅れており損失が出るのではないか、といわれている。
大林組もドバイの工事で700億円の営業損失を出している。このために当初は最終利益が75億円と見ていたのが540億円の赤字に転落する。
大成建設や清水建設も海外事業では多額の損失を出している。こうしたゼネコンの海外事業は不振を極めているのにもかかわらずに国土交通省は成長戦略の中で、観光振興とともに建設業の海外進出を入れている。ゼネコンのある幹部は「国土省が海外に出てシステムを売り込めといっても今までの惨憺たる赤字ではとても出られない。保険などの手厚い保護が必要ではないか」と反発している。ゼネコンにとっては海外事業は国内の公共事業が少なくなった時に進出するが円高などで再三に亘り痛い思いをしてきている。新しい方策が無ければ成長戦力になるとはいえないのではないか?
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その他 |
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混迷する朝日新聞人事
2010.06.02 Wednesday
朝日新聞社は6月24日の総会で秋山社長の留任と池内・代表取締役常務・グループ統括・大阪中之島新ビル建設担当、大狭常務取締役の体制を決めた。5年たった秋山社長は業績の低迷と初めての定期昇給だけの賃上げで辞任するのではないか、と見られていた。労組も秋山社長の経営責任を追及したが、新聞業界は読売新聞社も日経新聞社も最終利益で赤字になった、ということで留任しベア闘争も終わった。今回の人事で編集局が西村ゼネラルエディター兼編成局長と杉浦ゼネラルマネジャー兼報道局長のポストができた事である。朝日新聞社の説明ではゼネラルエディター兼編成局長が紙面の責任を見て、ゼネラルマネジャー兼報道局長は人事などの面を見ると、いう。その下の編集局の組織では今までグループ制で政治、経済、社会部が分割されていたのが、元に戻り政治部、経済部、社会部などになる。特に社会部は労働、生活、文化などに分かれて、どのグループが何を担当するか分からなかったのを、昔のように部制に戻す。新しい試みは数年で元に戻る事になった。
ある幹部は「秋山社長が何を考えているのか?分からない事が多い。新聞社機能を通信社機能に変えてニュースを発信する会社にしようとしているが中途半端な感じがする。役員人事も評判の悪い常務もいるのに変えていない。次に誰にするかが見えてきていない。下の幹部は右往左往する事になる」と話している。次の社長は経済部出身の久保田泉常務というのがもっぱらのうわさだが、担当している広告の低迷でどうなるのか。迷走する朝日はどこに行くのか?
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経済・財界 |
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