神津・連合会長が1万2千人が失業と話す
神津里季生連合会長は5月27日の記者クラブでの講演で「4月以降5月までにコロ
ナによる失業者は合計で1万2千人になった。生存権が認めている憲法25条、勤労者の
団結権が認められている憲法28条からもこの失業者について連合として何とか救済した
い」と述べた。
パレスチナ副首相が米国トランプ大統領を非難
5月25日から29日まで来日したトランプ大統領に合わせるようにパレスチナのナビル・アブルディネ副首相が来日した。ナビル副首相は28日に日本記者クラブで会見して「トランプ大統領の中近東政策はおかしい。イスラエル寄りである。日本はランプ大統領に反対してほしい」と述べた。同氏は河野外務大臣に会い、日本は米国の政策に反対してほしいを訴えた。
外食産業の中でも栄枯盛衰が激しい居酒屋について外食産業のジャーナリストの中村芳
平氏が「居酒屋チェーン戦国史」(イースト・プレス)が昨年10月に出版し19年1月
21日に日本記者クラブで出版記念会が行われた。この業界では先駆けである「つぼ八」
の創業者で居酒屋の神様と言われた石井誠二氏が発起人になり日本フードサービス協会
(JF)のの会長であった菊池唯夫ロイヤルホールディングス会長も発起人になった。石
井氏は「よく中村さんが居酒屋につい書いてくれた。居酒屋はこれからも繁栄してゆき永
遠である」とあいさつした。また菊地氏は「奇人変人が多いこの業界をよく書いた。これ
から居酒屋が続くにはマスコミ人にも奇人、変人が出て来なくてはならないだろう」と述
べた。
誰がテレビを殺すのか
刺激的なタイトルの本が角川新書から出版された。著者はテレビでコメンテーターとして人気のある夏野剛さんである。夏野さんはNTTドコモの執行役員でiモードを立ち上げた功労者であり、現在は慶応大学の特別招聘教授のほかドワンゴなどネット会社の役員を勤めている。テレビやネットメディアについては一番よく知っている人である。その夏野さんがテレビは新聞と同様に見られなくなってゆき、なくなるテレビ局も出てくるだろうと厳しい見方を書いている。
ネットフリックス、アマゾンプライムビデオ、ニコニコ動画、YouTube,Hulu、U・NEXTなどのネットの配信サービスがテレビを殺すことになる、というのが夏野さんの第一の要因になっている。
17年10月に発表されたデロイトトーマツ・コンサルティングの調査によると33歳までの若者たちはニュース・情報を得る手段としてテレビが一番の情報源になっているが、次はネットを利用するSNS(ソーシアル・ネットワーク・サービス)を上げている。今やテレビは見るもののネットの配信サービスで情報を得ていることがわかる。この調査によると51歳以上の人たちはテレビが第一位であることは変わらないが、二番目に来るのは新聞である。若者たちは新聞は一番低い手段で読んでいないことがはっきり出ている。
夏野さんによるとテレビを一番熱心に見ているのは定年になり暇な60歳以上である。この人たちは若い時に安保騒動などででもデモに参加した人であり、今の権力者たちに批判的である。
この老人が朝から昼のニュース、情報番組を熱心に見ている。このために政府に対して批判的なニュースを流している。安倍首相に対しても身内が絡んだ森友学園や加計学園について熱心に報じた。コメンテーターなどについてもこうした問題に厳しい人を選んでいる。テレビ朝日のニュ−スステーションをはじめTBSのサンデ―モーニングなどは批判的な発言をする人が多く使われている。宣伝ンも若者は相手ではなく老人向きの製品が宣伝されている。
夏野さんはテレビは情報を流すにしてもドラマなど創るにしても一番力がある、という。しかし、豊富な資金のあるネットフリックスなどは番組を作るのに民放の同じ番組でも20倍の金を投じることができるという。米国ではハリウッド映画のスターもネットフリックスに出演している。こうしたことから日本でもこうしたことが起きてくるだろうと予測している。
テレビ局は番組制作力を強化してゆき、この番組を配信サービス会社に流してゆくようになるのがこれからの課題、と書いている。昔、映画会社が自社の俳優をテレビに出ないようにしたこともあるが、テレビ会社が配信サービス会社の製作に協力しなくては共存していけない時代になってきている。
6月に日本民間放送連盟(民放連)の会長に就任した大久保好男会長(日本テレビ社長)は7月23日に日本記者クラブで記者会見して当面の課題としてネットへの対応をどうするかを上げた。その中で大久保会長は「ネットのニュースはまだ信頼性に欠けている。テレビのニュースは正確である、ということで対応してゆきたい」と語った。
住友銀行秘史に登場する人たち
「住友銀行秘史」(講談社、初版16年9月)という本が出版されて金融業界では話題になっている。著者は住友銀行の取締役をした国重敦史氏(現在ミックスポイント会長兼社長)である。住友銀行で安宅産業の崩壊とともに大きな問題になったイトマン事件についての当時の動きをメモに基づいて書いている。当時、国重氏は大蔵省や日銀などの窓口としていろいろな情報を集めていた。そうした中でイトマンがやくざまがいの男たちにいいようにされて金が出てゆくことに危機感を感じた国重氏が何とかしなくてはいけないというので内部告発の文章を伊藤萬従業員一同ということで土田正顕銀行局長に送っていた。それとともに日銀やマスコミにも手をまわしている様子がすべて実名で出てくる。日銀では当時の考査局の溝田泰夫・管理課長と相談している。マスコミでは日経新聞の大塚將司記者と情報を提供するとともに、イトマンの記事を紙面にする様子が書かれている。読売は山口記者の名前が出てくる。
一方、住友銀行の中では磯田一郎会長と西貞三郎副頭取、河村良彦イトマン社長が伊藤寿永光、許永中と組んで金をふんだんに取られてゆく。このことに危機感を持った国重氏が「このままでは住友銀行はつぶれてしまう」と玉井英二副頭取、松下武義常務、西川善文常務などと組んで磯田会長を何とかやめさせようという動きが実名で出てくる。
最終的にはコーリン産業のトップの小谷光浩に当時の青葉台支店長が迂回融資をして逮捕されたことで、磯田会長は責任を取って辞任し、イトマン問題も河村社長の辞任などで収束してゆく。
国重氏は「メモを取っていたことから、講談社の編集者が25年たったので本にしたらどうだ、と勧められて書いた。迷惑している人もいるだろうが許してほしい」とあとがきに書いている。
サウジアラビアのアルシャスリ博士が講演
外国人記者クラブでサウジアラビアのサード・ビン・ナーセル・アルシャスリ博士が8月18日に講演した。博士はサウジの上級宗教学者会議メンバーであり王室顧問になっている。ISISについて詳しいということからISISについての質問があったが、アラビア語から英語への通訳が良くなく、博士の真意は伝わらなかった、と記者の感想である。
「震災復興―どうなるこの地域、あの企業」(洋泉社MOOK)
住宅
地震や津波にあったときには最初に必要なものは住宅である。
その後、この件数は6万2千戸に増えた。岩手、宮城、
住団連によると災害救助法により1戸は238万7千円になる。
住宅業界の幹部によると東日本大震災と阪神淡路大震災と性格が違
住団連の矢部広報部長は「住宅業界は特需が起きて良いですね、
土木・建設・道路業界
民主党政権になってから公共事業費は毎年減らされてきた。
土木・建設
11年4月に新しくなった日本建設業連合会(会長・
建設特需は3年間で11兆円から17兆円
総合人材サービスを提供するインテリジェンス(本社・
原発の処理で鹿島と大成、清水が協力
今回の地震で原発からの放射線が出ていることが復旧工事を妨げて
道路や河川や港湾の復旧工事
建設業団体と国交省の災害協定に基づいての活動が始まって成果を
日本埋立浚渫協会でも国交省からの要請で12船団を9港に出した
砂原さんとは、日銀の記者クラブでは一緒ではなかったが、建設・不動産で付き合いが始まった。当時はバブルの時代の始まりであり、内幸町のNHK跡地が、坪1千万円で三菱地所が買って評判を落とした。菅原さんはその取材をして、不動産業界では名前を挙げていた。その後で不動産業界の広報部の人たちとマスコミがゴルフを年2回する会に出てきてよくあった。ゴルフはそれほど熱心ではなかったが、酒は仲間と飲んでいた。
砂原さんは日銀の時代に三重野康・総務部長と親しくなり、三重野さんを囲む会を主宰していた。朝日新聞社からは私に声が掛かり、出ていた。夫婦ずれの時もあり、女房は今でもその会のことを覚えている。三重野さんはそのあとに日銀総裁になり、お祝いの会も都内のホテルでした。
この日の会は三重野さんが中心になり日銀関係者と不動産・建設業界のおえら方が呼びかけ人になった。その中には三菱地所の高木丈太郎・相談役や今村治輔・清水建設相談役などの懐かしい人がいた。
最初に三重野さんが挨拶して「菅原さんが来て本を出すという報告があった。今までの経済の難しい本でなく柔らかい本だという。それでは仲間内でお祝いをしようと話したところ、こんな盛大な会になった。この本は私はすでに読んだが爽やかで後味が良いです」と話し、乾杯をした。司会は日OBの松嶋さんが行った。
本の内容は破たんした日本長期信用銀行のエリート行員が、陶芸家になる、という筋である。長銀のOBも佐藤孝靖・元常務などが来た。佐藤さんとはよく会合で会うので「この本はどうですか。良い出来ですか?」と聞いた。「モデルを知っていますが上手に書いてありますね」とほめていた。70歳に近い砂原さんがこれからこうした小説を書いてゆくのは楽しみである。
砂原さんとは、日銀の記者クラブでは一緒ではなかったが、建設・不動産で付き合いが始まった。当時はバブルの時代の始まりであり、内幸町のNHK跡地が、坪1千万円で三菱地所が買って評判を落とした。砂原さんはその取材をして、不動産業界では名前を挙げていた。その後で不動産業界の広報部の人たちとマスコミがゴルフを年2回する会に出てきてよくあった。ゴルフはそれほど熱心ではなかったが、酒は仲間と飲んでいた。
砂原さんは日銀の時代に三重野康・総務部長と親しくなり、三重野さんを囲む会を主宰していた。朝日新聞社からは私に声が掛かり、出ていた。夫婦ずれの時もあり、女房は今でもその会のことを覚えている。三重野さんはそのあとに日銀総裁になり、お祝いの会も都内のホテルでした。
この日の会は三重野さんが中心になり日銀関係者と不動産・建設業界のおえら方が呼びかけ人になった。その中には三菱地所の高木丈太郎・相談役や今村治輔・清水建設相談役などの懐かしい人がいた。
最初に三重野さんが挨拶して「砂原さんが来て本を出すという報告があった。今までの経済の難しい本でなく柔らかい本だという。それでは仲間内でお祝いをしようと話したところ、こんな盛大な会になった。この本は私はすでに読んだが爽やかで後味が良いです」と話し、乾杯をした。司会は日OBの松嶋さんが行った。
本の内容は破たんした日本長期信用銀行のエリート行員が、陶芸家になる、という筋である。長銀のOBも佐藤孝靖・元常務などが来た。佐藤さんとはよく会合で会うので「この本はどうですか。良い出来ですか?」と聞いた。「モデルを知っていますが上手に書いてありますね」とほめていた。70歳に近い砂原さんがこれからこうした小説を書いてゆくのは楽しみである。
名古屋本社と東京本社で経済部長を務めたあと、東京の編集局長をやり常務で総務・労務担当、編集担当の後、専務で国際担当をして89年6月に社長になった。その忙しい中でカメラはいつも持っていて写真を撮っていた。
今回の写真展には65点の作品が飾られていた。「学業・記者時代」「海外の旅」「国内・家族」と分かれていた。「国内・家族」の写真の中には新潟県・長岡での花火の写真もあった。私も今年の8月に行ったので懐かしかった。「一高最後の日」という門札を外す麻生校長と安倍前校長の写真は珍しい。
初日の9日午後3時過ぎに行った。会場には経済部の先輩の沼口好雄さんや戸引和夫さんなどが写真を見ていた。
中江さんは05年6月に顧問から社友になったときに「75Declics カメラで綴る回想」という85ページの本を配った。その本の巻頭に「学業生活18年、朝日新聞社の生活52年3カ月を振り返って75歳余のわが身を静かに振り返ってみる。私の年齢と同じ75点の写真を原則として1ページ1点の形で掲載する」と書かれている。
中江さんは「長い間公私ともお世話になり感謝に堪えません。ささやかなお礼のしるしに、小冊子をお届けしますので、ご照覧ください」という紙が着いていた。。
この本では「学生時代」「地方支局時代」「経済部時代」「マネジメントの合間に」という構成になっている。経済部の時代の写真はソ連取材、都市問題取材、中国取材などがある。この本の写真と今回の写真展はダブっているものも多いが、78歳の中江さんがこうした写真展をするのは素晴らしいことである。
Declicsというのはフランス語でカメラのシャッターという意味である。中江さんの学識に遠く及ばないことを感じる。