2020.08.31 Monday

追想「一柳東一郎」が4年たって出版
沖縄のサンゴに朝日新聞の写真部の記者が傷をつけたことで社長を辞任した一柳東一郎の追想記が死去した4年後の20年6月にできた。(16年6月7日死去)。

この本を早く出版したいと家族の咲子夫人にお願いしたいところ「サンゴ事件でやめた夫なのでそうしたことは遠慮したい」と断られた。18年の3回忌が過ぎたときに秘書を務めた羽原清雅氏が頼んだところOKが出た。
追悼集の刊行委員会が作られて中江利忠・元社長や浜田隆・元専務、桑田弘一郎・元テレビ朝日社長などの長老の下に、羽原氏など若い政治部OBが集まり作業をした。朝日新聞の後輩43人と家族の3人の一柳社長への思い出が綴られている。政治部が長く政治部
長や編集局長など歴任したので政治部の出身者が多い。その中で経済部出身の浜田氏は「確かなリーダーシップ」という中で「31年前、一柳社長はいわゆるサンゴ事件で退任した。

あの時、ご本人にも申し上げたが、私はいまだに納得できていない」と書いた。
このほか論説主幹を務めた松山幸雄氏は「度胸のよい指揮官」と一柳社長の行動をほめている。

| その他 | 18:48 | - | - | pookmark |
2020.08.01 Saturday

広報ソルーション懇話会が協賛会社に送っている不祥事データのコメント


7月9日 夜の街個別に休業要請
東京都協力金50万円で調整


この記事は私にとって興味がある。事務所が新宿にあるために歌舞伎町の夜の街でコロナが蔓延していることで新宿の街のイメージが日に日に悪くなっている。そうした時に小池知事がこうしたことをやってくれることに一安心した。
7月20日に外国人記者クラブで「日本水商売協会」の甲賀香織代表理事が記者会見をした時にも私は甲賀代表理事に「新宿に住んでいるので『小池知事が歌舞伎町の夜の街が蔓延の原因になっている』というのは街のイメージを悪くするので小池知事に抗議すべきではないか」という質問をした。甲賀代表理事は「小池さんは夜の街をコロナの感染源と決めつけている。困ったことであり私たちもこうしたことがないように改めてゆき小池知事に言うことは言いたい」と冷静に答えていた。50万円の調整金でコロナの蔓延が防げればこれに越したことはない。甲賀代表理事に頑張ってもらいたい。
 

| その他 | 12:12 | - | - | pookmark |
2020.08.01 Saturday

朝日新聞が社主制度を廃止
朝日新聞社を有名にしてきた村山家、上野家の社主制度が6月24日に開かれた朝日新聞の総会で定款変更されて社主制度が廃止された。

最後の社主である村山美知子が2020年3月3日に亡くなってからすぐに会社がとった手段である。この日の総会には
上野家の5代目の聖二氏(現在朝日新聞デジタル・イノベーション本部勤務)が「社主制度の廃止には反対である。渡辺社長はもう一度考え直してほしい」と述べたが、会社側は採決で廃止を決めた。
この会場には村山美知子さんに仕え現在はジャーナリストの樋田毅・氏(元朝日新聞記者)が出席して事の詳細をFACTA8月号に書いている。樋田氏は講談社から「最後の社主」という本を3月に出版している。

| その他 | 12:09 | - | - | pookmark |
2020.07.04 Saturday

松下電器の山下跳びの元社長の思い出
日経新聞の4月2日の夕刊の読書欄で経営学者の中沢孝夫氏が「神様とぼく 山下俊彦
伝」(梅沢正邦著 東洋経済新報社刊)を紹介していた。山下には46年前になるが私が
大阪経済部にいる時に会ったことがあり、懐かしさのあまりハードカバーの500ページ
の本を読んだ。
私が東京経済部から大阪経済部に異動したのは第一次石油ショックの1973年10月
である。最初に担当したのは家電を含めた機械である。
大阪経済部の機械担当としては松下電器、三洋電機、シャープの家電3社を中心にその
ほかに農機具のヤンマージーゼルや久保田鉄工などを取材した。大阪の家電メーカーは東
京のメーカーをしのぐ勢いがあり、東京の経済面にも大きく載っており私は張り切ってい
た。
当時、松下電器は取締役に就任した人を記者クラブで披露していた。74年1月に取締
役になった山下が記者クラブに来た。私は山下がはっきりものをいうのに「なかなかなひ
とだな」という印象を受けた。

 

| その他 | 11:20 | - | - | pookmark |
2020.07.04 Saturday

エアコンの値上げをはっきり言う
当時、私は松下の工場をなるべく多く見学するようにしていた。当時、大阪に大小50
近くの工場があり訪ねるのも大変だったがモノづくりの現場を見て、そこの責任者に会う
のは勉強にもなった。私の記憶では74年10月にエアコンを作っている滋賀県・草津市
にある「草津工場」を見学した。大きな工場で整理整頓されておりきれいな工場だった。
見学を終えてエアコン事業部長の山下に会った。山下は片方の目が悪いのか、いわゆる「
がちゃめ」だった(差別用語になるか?)。
当時、石油ショックの後で原材料が相次いで値上げしていた。私もエアコンの値上げが
いつ行われるか、取材していた。トップメーカーの松下の動向は注目されていた。しかし
、企業にとっては値上げを決めるのは営業担当であり、事業部長では発言できない。しか
し、せっかく会ったのだから山下に「エアコンもこの原材料費が値上げしている中では値
上げするのでしょうね?」と聞いた。
松下の役員はこうした微妙な質問には言葉を濁すことが多かった。ところが山下は「こ
んなにいろいろな原材料が値上がりしているのだから値上げしますよ」とはっきり答えて
くれた。
「それではどのくらいいつから上げるのですか?」とたたみかけて聞くと「できるだけ
早く上げますよ。20%ぐらい上げなくてはだめでしょうね」と話してくれた。
そばにいた広報部の人に「エアコン値上げで書きますよ」というと「山下部長がああい
うのですからいいんではないですか」という。
朝日新聞の74年10月2日の紙面に「ルームエアコン 新製品で来月から値上げへ約
20%」という特ダネ記事を書いた。東京、大阪はべた記事だったが、名古屋は3段の記
事になった。企業にとっては値上げの記事は他社の記事の後にそっと書いてもらいたい。
率先して上げると書くと企業イメージが悪くなるのと駆け込みの需要が出て、値上げした
製品が売れなくなる心配がある。こうした中での山下さんの発言は勇気のいることでもあ
った。
 

| その他 | 11:20 | - | - | pookmark |
2020.07.04 Saturday

山下社長で東京に電話がかかる

 

76年10月に大阪経済部から東京経済部に3年ぶりに帰ってきた。大阪では機械クラ
ブに2年いて、そのあとは金融・財界を担当した。住友銀行、三和銀行、大和銀行などの
銀行と日本生命保険、住友生命保険、大同生命保険などを取材して東京の日銀クラブに変
わった。当時、住友銀行が安宅産業で巨額な損失を出して頭取が伊部恭之助から磯田一郎
に交代することが記者の大きな問題でありこの取材に追いまくられていた。
こうした報道合戦のさなかの寒い、77年1月17日の夕方に大阪の経済部の富岡隆夫
ダスク(後のAERA編集長。死去)から「あべちゃん、山下俊彦という取締役、知ってい
るか?」という電話がかかってきた。「山下さんがどうしたんですか?」というと「山下
が社長になるんだ。大阪の経済部はだれも山下のこと知らないんだ。あべちゃんなら知っ
ていると思って電話した。知っていることを教えてほしい」と話す。
そこで私は「なかなかの人物ですよ。エアコン事業部長の時に値上げを堂々と話したん
ですから。度胸がありますよ」と答えた。
山下さんは26人いた取締役の下から2番目で24人抜きで社長に選ばれた。この本によ
ると、さすがの度胸のある山下も1月10日に松下幸之助から「社長になってほしい。ど
や」と頼まれた。「先輩方がたくさんいるのにとても務められない」と断った。ところが
幸之助はあきらめない。山下の周辺にいる正治社長や谷村博蔵副社長などを通して社長就
任を執拗に頼んできた。さすがの山下もあきらめてOKした。その代わりに社長就任の記
者会見の時に「(松下幸之助)選んだ方にも責任があります」という名文句を言いはなっ
た。

 

| その他 | 11:19 | - | - | pookmark |
2020.07.04 Saturday

ダマレ!造反重役
松下電器を担当して山下のことも驚きだったがもっとすごい重役がいた。松下は7月に
恒例の取締役と記者クラブとの懇談をする。50年7月22日に大阪のプラザホテルで行
われた。松下は正治社長、佐伯広志専務など5人が出席した。松下社長は「操業低下が響
いてコストが上がり苦しいですよ。もう少し景気が良くなるように政府にお願いしたい」
と話し、佐伯専務も「夏物はよくなったが洗濯機などは相変わらず悪いです」と消費不況
の中で暗い話が続いた。
ところがショーケースやカーステレオ、視聴覚機器などの特機営業担当の浅田義雄取締
役だけは「カークーラーは全体で昨年昨年の3割減なのに松下だけは5割増。私が担当し
ている部門から見るとすでに景気は回復している」と威勢よくぶち上げた。ほかの役員は
あまり話をしたがらないのに再三調子のよい話をしたためについに発言途中で松下社長か
ら「もういい」とマイクを取り上げられてしまった。松下社長にすれば調子のよい話をす
ればするほど、松下社長の話と違ってくるので耐えられなかった。
会見の後で浅田取締役は「もっと業績を伸ばすために私を副社長にしてもらいたい。そ
うすれば売り込みのために得意先の知事など官公庁の首脳らに簡単に会えるようになる。
記者会見の席上で私を副社長にするように直訴しようとしたのにマイクを取り上げられて
残念だった」サラリーマン重役らしからぬ「造反重役」の元気の良さであった。
 

| その他 | 11:19 | - | - | pookmark |
2020.07.04 Saturday

山下社長のACTION61で特機部門強化へ
山下社長は松下が64年にコンピューター部門から撤退したことなどから、家電により
かかりすぎるとの考えを持っていた。そのために家電王国の体質を変えるために「戦略本
社」を作り、経営企画室長に腹心を連れてきて構造改革計画「ACTION61」を作った。
その中で総合エレクトロにクスへの変換を狙った。具体的に言うとOA,FA,ニューメデ
ィアなどの情報機器、デバイス、半導体である。
これらの部門は造反重役の浅田義雄が担当したところでもある。山下さんは浅田氏の部

門を強化する構造計画を作ったのである。面白い人が松下にはたくさんいた。

| その他 | 11:18 | - | - | pookmark |
2020.07.04 Saturday

お土産なしで株主減る

2020年6月の株主総会は異常な形で開かれた。コロナの感染予防ということで「できるだけ会場に来てくれるな」という予告と「お土産の用意はありません」という断りである。

6月25日に開かれたゼネコン大手の鹿島の株主総会に行った。会場は例年どうりに「ホテル イースト21東京」(江東区東陽町)である。10時からの開始に株主はわずか30人ぐらいで第二、第三には誰もいない。

昨年は200人ぐらいいたのに比べると寂しい限りだ。押味至一社長が議長になり報告事項、4つの決議事項を説明して質問を受け付けた。コロナ対策についての質問が4つほどあった。

押味議長などが説明して40分で終わった。コロナの感染の心配とお土産が出ないことが株主の少ない理由であろう。

| その他 | 11:18 | - | - | pookmark |
2020.07.04 Saturday

日本記者クラブのコロナ勉強会は34回
日本記者クラブは5月28日に再開された。コロナの勉強会は引き続き行われて7月6
日にNPO法人ほっとプラス代表の藤田孝典代表理事が34回目の「生活支援施策の在り方
」を話した。
2020年度のクラブ賞は青野由利・毎日新聞論説室専門編集委員と遠藤隆テレビ岩手
報道制作局シニア・報道主幹兼コンテンツ
戦略室長
日本記者クラブ賞は青野さんと遠藤さんに決まった。7月29日午後5時から記者クラ
ブ10階ホールでに表彰式と記念講演を行う。

| その他 | 11:17 | - | - | pookmark |
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