金岡君 どうして早く死んだの?
金岡隆さんが10月31日の夕刻に死去した。11月1日の午前中に昔、新橋で「庵」という飲み屋をしていた長越容子さんから「金岡さんが昨日死んだ。残念ね」という電話が来た。
私より2歳年下の76歳である。コロナのために葬儀は身内だけで4日に行った。
長女の智香子さんによると棺には楽譜やネクタイ、早稲田大学グリークラブの楽しい思い出の詰まった品を納め応援歌の「紺碧の空」を流して送り出した。
胃の全摘手術をして2年の予告金岡君は2年前に検査で胃がんが見つかり全摘手術をした。そのあとでもお酒は今まで通り飲み、早稲田大学のグリークラブの活動は続けてきた。我々の親しい連中の集まりの時には「放射線の手術で頭は丸坊主になっている。かつらをつけているのでわからないでしょうが」と話していた。
親しかった名井博明さんは「金岡さんからメールが来て歩くことができなくて車いすでないと外に出られない」という。
しばらく会っていない間に容態は悪くなっていた。長越さんからも「金岡さんが車いすでなくては出られなくて調子が悪いようよ」と話してくれた。
今年春に都内の世田谷で開かれた早稲田のグリーの演奏会に行ったら金岡君は出ていたが特別に椅子に座っていた。体調が悪いのだなあ、と思った。
富山県の名門富山中部高校出身でゼネコンの佐藤工業の幹部で出世する
金岡さんが佐藤工業の広報部長、秘書室長の時代は担当していなかった。朝日新聞の財界担当の時にゼネコンもカバーしたのでそれで親しくなった。「庵」の店で日本工業新聞の井上晴夫君に紹介されたのがきっかけである。井上君はゼネコンに食い込んでおり、この店にいろいろな人を連れてきては紹介してくれた。
このお店で28年前の5月の気候の良いときに井上君が金岡君に「ママさんも一緒に9月の風の盆の時期に富山に行こうよ」
と提案した。酒を飲んでの話でもあり、実現するかどうかわからなかった。
ところがしばらくして金岡君が8月31日8:45 ANAで羽田発小松行きの切符を取ってくれた。帰りは9月2日19:50富山空港発羽田着である。さすがに秘書室長をしているので手際がいい。メンバーは庵のママさん、講談社の今鉾さん、田中さん、日本
工業の井上さん、金岡さんと私の6人である。
最初の見学地は石川県にある北陸電力の志賀原発である。富山駅前のホテルに泊まり、県内をくまなく回った。金岡さんの親しい人が多くいるので氷見の大西家や富山の菅原家のエンジュマートなども見学した。
9月1日に風の盆の見学だが、福島家の座敷おわらに案内された。座敷で踊るのだ。黒部の黒四の見学では一般の人が見られないところまで案内してくれた。さらに名門の金岡家の生家も母親を紹介していただいて話を聞いた。
この旅で富山についていろいろなことがわかり、そのあとで金岡君の紹介で「富山ファン倶楽部」に入り、前の知事の石井氏などとも知り合った。
「いおり」の文集にグリーをめぐる縁を書く
長越さんの「庵」が開店10周年の91年3月に「記念誌集」と題して「いおり」を出版した。閉店する25周年まで10号を出した。この「いおり」の7号(02年1月)で金岡君は「庵とグリーをめぐる縁」と題して次の文を書いている。
「18年前に初めて庵に連れてきてくれたのは日本工業新聞の井上晴夫さんであるが、その井上さんが同じ頃に朝日新聞の阿部和義さんを引き合わせてくれた。阿部さんは建設省記者クラブに所属していたが、私が広報を担当した時期には既にほかのクラブに移っており、財界担当の大物記者として勇名をはせていた。怖そうな顔に似合わずに、人情が厚く、心憎い気配りができる人である。私が社長秘書に移つた時、自前で一席設けてくれた上に、朝日の社旗を立てたハイヤーを用意して『これで帰ってください』といい、自分はどうするかといえば『電車で帰る』のだという。
阿部さんの意外な点がいろいろあるが、日比谷高校時代にラクビ―に青春を燃やしたことがある。しかも東京都代表で全国大会に出場している。私たちのグリーの学年指揮者は丸山君である。丸山君も日比谷高校時代にラクビ―をやっており、一緒に活動していた、という」
丸山君が金岡君と一緒にグリーをしていることから金岡君の応援に力が入った。金岡君とは銀座の料理屋の「あきしの」で年に2,3回飲む会がある。この会には佐藤工業が倒産した時の管財人だった梶谷剛弁護士や金岡君の友人の公認会計士、警察の幹部などが集まり、焼酎を飲んで息巻くのである。
金岡君は幹事役として酒の手配から勘定まで面倒を見てくれた。
湯島にフクロウを集めた「ふくろう亭」という店があり長越さんや名井さんなどと一緒に飲んだ。金岡君はフクロウを集めるのが趣味で海外に出かける時にはお土産にフクロウを頼まれた。家にもたくさんのフクロウがあった。
ゼネコンの広報OBとマスコミOBとで正月の1月と夏の7月に集まる「サロンド・ムッシュの会」でも始めて2年目から参加している。出席率は良く、このところ集まるとみんなに「体調がだんだん悪くなってきている」と話し放射線で頭が丸坊主だと嘆いていた。
書けばいくらでも材料があるが、本当に残念である。天国でグリーの歌を歌いフクロウ
と楽しんで遊んでください。さようなら。
(阿部和義)