2016.05.01 Sunday
観光立国を支える人たち
 福島県・郡山市長 品川萬里氏(しながわ・まさと)
 福島県白河市出身。福島県立磐城高校を経て67年東大法学部卒。郵政省(現総務省)入省、貯金局長、放送行政局長、郵政審議官(国際担当)を経て2000年に退官。13年4月に郡山市長に当選し現在1期目。
―福島県への観光で一番心配なのは放射能の影響ですが、どのような状態ですか?
 前の市長の時代に「東日本大震災 郡山市の記録」を出して郡山の現状を125ページにわたり記録しています。市民の人はみんな元気に生活しています。強靭(レジリエント)な都市づくりをしています。4月14,15日には郡山で「レジリエント・コミュニティ国際シンポジウム」を開きました。私は安心・安全とは言いません。データが出ていますからそれに即してそれぞれの人が判断してきていただきたい。放射能について基礎知識ぐらいは学んできていただきたいと思います。そうすれば今の郡山については全く心配ありませんよ。
 ―郡山への観光客はだいぶ増えていると聞いていますが。
 郡山への観光客の入込数は2010年度は400万人でした。それが2011年3月の東北大震災で半分近くの11年度は半分の211万人に落ちました。それが我々の観光キャンペーンなどの効果が出て14年度は震災前の90%の362万人まで増えてきました。あと一歩の状態です。郡山は福島の奥座敷ともいわれ磐梯熱海温泉など温泉地があります。「ビックパレットふくしま」「カルチャーパーク」などの観光地もあり、これから観光客が増えてくることを期待してます。今や中国人の爆買が話題になってますが、外国人の観光客は東京などに比べると少ないですね。インバウンド(外国からの観光客)を増やしていきたいと思います。
 ―観光についていろいろな考えを持っているようですが。
 日本の観光は1泊2日が多いですね。もっと長期に滞在していただきたいと思います。外国人のイサベル・バードやパーシバル・ローエルなどが明治時代に日本に来て良さを知って帰りました。貝塚を見つけたモースも科学的なツーリズムをしました。こうした人たちは日本に長期滞在して良さを発見しました。たくさんの人が来ることも必要ですが、観光の質を上げることも必要だと思いますね。日本人が気が付いていない素晴らしい点を観光で見つけてほしいですね。和食ブームなどは外国人が良さを見つけましたね。
 −ところで中央の役人をして郡山の市長をしてその違いは何ですかね?
 中央の行政は理論で済みますが、地方は実践ですね。医学でいえば中央は基礎医学で地方は臨床医学です。地を這いまわってやるのが市長です。
 
 
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2014.02.04 Tuesday
新党大地代表の鈴木宗男氏の話を聞く
 自民党の幹部であった北海道選出の鈴木宗男・新党大地代表とは、NHKの経済部の記者だった平岡潤六氏(現NHKインターナショナル)に紹介された。平岡氏も私も経済部時代に財界を担当していた。平岡氏は最初の任地が釧路だったので、鈴木氏と知り合った。平岡氏とは清水建設、鹿島などのゼネコンの広報の人たちが集まって作っていた「ゼネコンの広報をよくする会」の世話役をしていた。この席に鈴木氏を講師として招いた。当時、鈴木代表は自民党の幹部であり、収賄で逮捕される前だった。
 鈴木代表は話を終えて懇談になったら遠慮しているゼネコンの若手の人たちに「もっと前に来て飲みなさいよ」と一人ひとりにビールを注いだ。こうした気さくさが人気の秘密かと気がついた。
 その鈴木氏が自民党を追い出され歌手の松山千春さんと組んで新党大地を作り、北海道を中心に政治活動を続けている。野田・元首相の応援会である「政経倶楽部」の講師として11月7日に来た。朝8時から10時までの朝食会である。鈴木氏に挨拶して「鈴木宗男の挑戦―真の公平・公正な社会を実現するためにー」の話を聞いた。鈴木氏はサンドイッチとコーヒーを飲んだ後、元気に話を始めた。自分の貧しかった北海道の学生時代から、中川一郎代議士(故人)の秘書になったいきさつなどを話した。
 「皆さんはどうして私が逮捕されたか、知っていますか?知っている人は手を挙げてください」と言った。手を上げたのは私だけだった。鈴木氏は「あの人は有名な記者だから知っていますが、なぜ私が逮捕されたのか、知っている人は少ないです」とまずみんなの気を集めた。次いで外務省で田中真紀子大臣との確執で逮捕のいきさつなどを話していった。みんなをひきつける話しぶりはさすがである。
 「逮捕されたのは検察が世論などを考えてやった。世論を作るマスコミも権力の手のヒラである。権力が情報を持っており、その情報を取るために動かされている」と私にとって耳の痛いことをずばりと指摘した。逮捕されて刑務所に400日以上いたがそこでがんばれたのは家族や友人などが励ましてくれたことである、という。「今まで生きてきて必要なことはぶれないことだ。これからも権力の不正を正してゆきたい」と結んだ。鈴木氏に対しては色々な見方があるが、この日の約50人は鈴木氏の話に聞き入っていた。
 
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2014.02.04 Tuesday
開業30周年を迎え、ワンランク上の宿泊主体型ホテルチェーンとして、記憶に残るホテルにしてゆきます
 石田健(いしだ・たけし)三井不動産ホテルマネジメント社長
 東京都出身。75年3月東京工業大学社会工学部修士課程終了、同年4月三井不動産入社。96年名古屋支店、99年4月開発事業本部事業推進室、02年関西支社開発事業部、04年情報システム部。10年4月現職。63歳。
 −三井ガーデンホテルズは来年1月に設立から30年になると聞いています。これからの事業展開はどのようにしてゆきますか?
 三井不動産ホテルマネジメントが運営する三井ガーデンホテルズは現在、北は札幌、南は熊本まで全国で15ホテル(客室数4037室)運営しています。出張利用などビジネス目的はもちろん、観光・レジャー目的として女性のお客様、ファミリー、アクティブシニアなど多様な目的を持った人たちに利用してもらうことを考えて、客室のデザインや備品、アメニティなどの充実を図っています。また、訪日外国人のお客さんの数では今年4月から9月で前年同期比50%増と増加しました。そのためにロビーアテンダントとして多言語対応が可能なスタッフの増強やWiFi対応など、より日本滞在を楽しんでいただけるように努めてゆきます
 −30周年を期にひとつ上のランクのホテルを作ってゆき、客室数を5千超にすると聞いています。どこに作るのでしょうか?
 新しいホテルは三井ガーデンホテル大阪プレミアム(14年3月オープン、客室271室)、三井ガーデンホテル京都新町別邸(14年3月オープン、客室129室)、三井ガーデンホテル柏の葉(14年7月オープン、客室166室)ミレニアム三井ガーデンホテル東京(15年新春オープン、客室329室)、三井ガーデンホテル名古屋(仮称、17年春オープン、客室300室)を予定しています。ミレニアム三井ガーデンホテル東京は銀座5丁目に位置し、歌舞伎座にも程近く東京観光の拠点としても最適な場所です。こうした三井不動産グループとしてのホテルの価値を高めるために世界24カ国・100件以上のホテルを所有・運営するシンガポールのホンリョン・グループのホテル運営会社である「ミレニアム・アンド・コプトーン・ホテルズ」と提携してWebサイトの相互リンクやパンフレットの相互掲載などを行ってゆきます。 −30周年を迎え、今後どのように展開してゆく予定ですか?
 今後とも積極的に新規出店を行うとともに、本年4月1日に「三井ガーデンホテル銀座プレミアム」をリニューアルしてオープンするなど既存のホテルの更なる魅力付けを行ってゆきます。「記憶に残るホテル」「お客様の五感を満たすホテル」を目指して、ぬくもりのあるサービスの提供に努めてゆく覚悟です。
 
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2011.08.09 Tuesday

日本の観光業のコーディネーター役でありプロデューサー役を果たしてゆきたい


溝畑宏(みぞはた・ひろし)観光庁長官

 京都市出身。85年3月東京大学法学部卒、同年4月自治省に入省。91年5月大分県文化振興室長、93年4月同県財政課長。2000年4月大分県企画文化部参事・08年ワールドカップ組織委員会実行委員。02年企画文化部長。10年1月現職。50歳。

 ―東日本大震災で観光需要が冷え込んでいますが、海外に日本が安全だという事をどのように宣伝してゆきますか?

 世界に安心、安全という事を政府はもとより世界原子力機関(IAEA)などを使って情報を流さなくてはいけません。また、政府観光局(国際観光振興機構)も世界中にある事務所から放射線の現状、水や食べ物の状況などのほかに高速道路、新幹線、飛行機の運行状況などを知らせています。こうした事だけではなくトップセールスもしなくてはいけません。私も4月10日に中国で観光局長、4月22日には観光部長官などに会って日本への協力を感謝するとともに、観光客を送って欲しいと頼みました。このほか4月終わりから5月にかけて中国、韓国、台湾のメディアの人たちに日本に来てもらって日本観光の情報発信をしてもらいました。

 ―国内でも自粛という事で観光に出ませんが、夏のシーズンに向かってどのようなキャンペーンを展開してゆきますか?

 4月12日付で県、市町村に過度の自粛は止めて、観光の活性化を図るように通達しました。4月21日には観光振興の決起集会をしました。テレビ局は全部来ましたし、新聞や雑誌も取材してくれました。私もあらゆるメディアに出ています。外国人特派員協会の記者会見にも出ました。私は大分県にいた時にサッカーのワールドカップを誘致した経験があります。ビジネスとして売上げを上げるために広告塔になったり、経理や総務を担当しました。こういうときには元気を出すようにスピーディーにいろいろな事をやらなくてはいけませんね。

 ―2010年の外国人観光客の1千万人誘致の目標は出来ませんでしたが、ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)はどのように変えてゆきますか?

 2010年の目標はリーマンブラザーズ・ショックなどがあり世界的な不況で実現しませんでした。しかし、2020年の2500万人の目標は変えるつもりはありません。日本には底力があります。3・11から時間が過ぎてゆくにつれて観光客も徐々に回復しています。観光には夢と感動があります。楽しくなければ観光ではありません。国民一人ひとりが元気になって観光に出かけられるように観光庁と政府観光局がコーディネート役をして盛り上げてゆきます。

 ―長官になって1年3ヶ月ですが感想はいかがですか?

 3.11は想定外でしいたが、日本の観光を世界的な規模にしなくてはなりません。この半年、1年が重要です。そのためには私は体を張ってゆきます。日本の観光業のためにはプロデューサーでありコーディネーターの役割を果たしてゆきます。やれる事は何でもします。是非協力をお願いいたします。

| この人に聞く | 14:09 | - | - | pookmark |
2010.08.09 Monday
千賀さん この人に聞く ポーラ・オルビスホールディングス取締役・CSR担当 藤井彰さん
 ふじい・あきら 兵庫県出身。79年関西学院大経済学部卒。ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)入社。秘書室、アート事業開発室長、多角化企画部長、大阪ポーラ社長を経て05年執行役員、07年取締役になり08年1月から現職。53歳。
 ―会社としての理念や経営倫理綱領はどのようになっていますか?
 世界中の人々に笑顔と感動を届けたい、というのが理念になっています。ポーラの歴史が精神的な支柱になっています。わが社は1929年が創業の年になっています。世界の大不況の時代に静岡県で鈴木忍が作りました。昨年80周年を迎えました。忍は妻の手が荒れているのを見て何とかしたいと化粧品を作りました。それを量り売りで細々と売っていました。一人ひとりに合った最上の商品を届けたい、というのが創業者の理念でした。喜ばれる事に喜びをということで訪問販売で販路を拡大してきました。創業の時には男性が多くいました。女性は後から増えてきました。地方の雇用機会が少ない中で女性を販売員として、採用して80年来ました。
 −CRS憲章はどのようになっていますか?
 06年9月にホールディング(持ち株)体制になって26社を抱えるようになりました。その時にCSR推進室が出来て、憲章を作りました。よき企業市民として、社会に対して責任を果たし、貢献してゆく、と定めています。これを実現してゆくのがCSR活動としています。お客様、お取引様、従業員、株主、環境、社会という企業を取り巻く関係者(ステークホルダー)とともに実践してゆこうというものです。
 −ポーラの化粧品を売っている人は多いので、こうした人に対するCSR教育はどのようにしているのですか?
 わが社は首都圏に集中しているのではなく、北海道から九州にまで広がって12万人います。営業所は4500あります。この所長に対して2週間研修をして徹底するようにしています。会社は社会に対する公器だということを教え込んでいます。
 −アトピーなど皮膚に障害のある人が増えていますが、どのような商品で対応していますか?
 10人に5人ぐらいは肌に対して敏感に感じる人がいます。こうした人にはポーラレディーがきちんと話をして最高の品質のものを使うようにしています。最近ディセンシア(DECENCIA)という商品を出して、肌に敏感な人が使っています。たくさんの商品を売ってゆくマルチブランド戦略をとっています。
 −3・9プロジェクトという事をしている、と聞いてますが具体的に何をしているのですか?
 3は日本、デザイン。経済という事に役立つ9のプロジェクトを展開してます。わが社は地方に展開しているので地方に役立つ事をしてます。佐渡島では深層水を使って化粧品を作りました。沖縄ではサンゴを使って製品を作り、江戸きり子を容器にした化粧品も出しました。疲弊している地方に少しでもお役に立てばということです。このほかわが社はポーラ伝統文化振興財団、ポーラ美術振興財団などを作り、神奈川県・箱根にポーラ美術館を作り、美術愛好家に喜ばれています。二代目の鈴木常司が集めた美術品を出展しています。
 
| この人に聞く | 07:17 | - | - | pookmark |
2010.04.08 Thursday
日本の自動車メーカーで始めて公聴会に呼び出される



 トヨタ自動車は2月23、24日に米下院、3月2日に米上院の公聴会に呼び出されて、豊田章男社長、佐々木真一副社長と米国トヨタ販売会社のジム・レンツ社長が議員の厳しい質問に答えた。米国でフロアマットがアクセルブレーキに引っかかる事故とプリウスでリコール(改修・無償修理)をしたことが原因である。この米国の公聴会には08年11月にGMのワゴナー会長らビック3のトップが自家用のヘリコプター乗りつけたことで批判を受けたところである。ビック3は米国政府から資金援助を受けることから、公聴会に呼び出されたもの。日本の自動車メーカーのトヨタが世界中のマスコミが集まったところで米国の議員に答えるようになったのはグローバル化の象徴でもあるが、トヨタの品質に対する評価が世界的に落ちたことでもある。

 日本のメーカーではブリジストンがフォード車に載せたタイヤの事故で公聴会に出たことがあった以来のことである。自動車メーカーでは初めて。

 トヨタは04年に熊本県でハイラックスによる5人の負傷事故を起こして、33万台のリコールを届け出た。しかし、熊本県警は06年7月に業務上過失傷害罪で品質保証部長ら3人を書類送検して、問題になった。部品が問題であるにもかかわらず改善をしないで販売したためにこうした事故を起こした、という容疑である。04年には熊本の件を含めてトヨタは9件189万台のリコールをしており、品質については問題になっていた。(表2を参照)

 熊本県警が送検した時にトヨタは「その時点での3人の判断に誤りは無かった」という1枚の紙を記者クラブに配っただけであった。

 この当時、トヨタはGMやフォードを生産量で追い抜き世界一になるという時で、マスコミでは「トヨタのおごりが出た」と言われた。国土交通省は「トヨタ自動車は社内でのトラブル情報の共有などが不十分だった結果、リコールが遅れた」と判断して、当時の岩崎貞二自動車局長がトヨタの滝本正臣副社長(品質担当)を呼んで業務改善命令書を手渡した。滝本副社長は「このことを真摯(しんし)に受け止め、早急に改善策を報告する」と述べて、8月4日に「社内の意思疎通を良くする」という報告をした。

 当時の渡辺社長は「量を追うことにより、質に対する手抜かりがあった」と記者会見で話した。さらに品質の悪化を防ぐために今までの品質担当の滝本副社長に加えた豊田章男副社長(当時)を指名して2人体制にした。さらに品質担当の専務を置きトヨタ・モータ・ヨーロッパの佐々木真一社長を指名した。

 トヨタは05年4月にリコールの増加に対処するために生産・開発などの担当者を集めて品質向上の専門組織を社内で発足させ、改善策の洗い出しを進めた。不具合情報の保存期間を5年から10年に延ばすなどをした。

 豊田副社長は「部品の生産をするうえで問題があれば、言ってきてほしい。無理な納期があれば直ちに報告して欲しい」という文書を出して活動を始めている。

この豊田氏は09年6月に社長になり、佐々木氏は品質担当の副社長になった。品質問題には力を入れてきている2人がいたにもかかわらず、どうして同じ間違いを起こしてしまった。



 米国での生産に問題があったのか?



 今回のアクセルペダルとフロアマットは米国の部品メーカーで生産している。トヨタは海外の部品ケーカーにも日本と同じようにトヨタ生産方式を教え込んでいる。ところがトヨタ式の生産方式を身に着けている外国の社員は少ない。日本の工場に来てもらい研修する余裕がなくなっている。そのために日本で研修した米国の社員を先生役にして、教える制度を作っている。しかし、こうしたやり方ではなかなかトヨタの生産方式について理解が出来ない海外の工員が多い、という。組み立て工場ならまだ目が行き届くが、下請けまでは目が届かない。 

アクセルペダルの問題について部品メーカーにどこが悪いのか、という把握が遅かった、といえる。日本なら直ぐに部品メーカーに飛んでいけるが、米国では生産のやり方の違いもある。  

フロアマットが引っかかるのは、運転者の操作の仕方が悪い、という声が最初にあった。

そうしているうちにレクサスのアクセルが元に戻らないということで4人の死亡事故が起きてしまった。9月になってフロアマットの問題で約380万台のリコールを発表した。



 豊田社長が日本記者クラブで会見

 

53歳の豊田社長は09年10月2日に日本記者クラブで講演した。私は体育会系で立って挨拶するのは慣れていると、最初に大きな声で「皆さん。こんにちは」と呼びかけた。その後で「経営学者のジェームズ・C・コリンズさんは企業が没落する5段階という説を唱えています。第一段階は成功体験から生まれた自信過剰、第二段階は規律なき規模の追求、第三段階はリスクと危うさの否定、第四段階は救世主にすがる、第五段階は企業の存在価値が消滅です。トヨタは第四の段階にいます。誤解なきように願いますが、私が救世主ではありません。ドン底であることには変わりはありません。復活の鍵を握るのは人材であり、トヨタにはこの人材がおり、誇るべき宝物です」とトヨタの復活に自信を見せた。

米国で販売している車でフロアマットがずれてアクセルペダルが戻らない疑いが発覚したことについてはNHTSA(米道路交通安全局)と協力して解決に取り組んでおり、リコールするかどうかについては明言しなかった。4人が死んだことについては「なくなった方にはお悔やみ申し上げます」と述べた。しかし、その後7車種380万台のリコールを米国で発表した。

トヨタは、11月にレクサスの暴走事故を防ぐために「レクサス」の一部と「カムリ」「プリウス」など8車種を対象に2010年4月から形状を改良したアクセルペダルの交換に応じる、と発表した。表1で見られるようにフロアマットの問題とアクセルペダルの部品の不具合などで米国、欧州、中国などでリコールを発表していった。こうしたリコールを実施するとともにその対象になった8車種の生産と販売を米国で中止した。異例なことである。

 

 新型プリウスでもリコール



2010年2月に入ってトヨタの自慢の環境対応車である「プリウス」(09年5月発売)のブレーキについての苦情が米国で100件超、日本で13件寄せられていることが分かり国土交通省はトヨタに調査を指示した。この問題について2月2日に記者会見した佐々木副社長は「フィーリングの問題であり、欠陥ではないと思う」と発言して、対応がおかしいということになった。プリウスに対する苦情が次々にトヨタに寄せられてくるため4日に開いた緊急記者会見で横山常務役員は「ブレーキが利きにくいという苦情は09年11月に連絡が入り、12月から急増した。このためにトヨタは1月に電子制御プログラムの設定を変えるなどの改善策を打った」と発言した。ブレーキが瞬間的に利かなくなる30万台については無償で改修する、と5日に方針を決めた。こうした利用者の不安を解決するために5日に豊田社長、佐々木副社長は名古屋市内で緊急の記者会見して「多くのお客様にご心配をかけたことを心からお詫び申し上げます」と発言した。09年夏から米国で起きているリコール騒動で初めての記者会見だった。名古屋で行ったことで「何故、東京で行わなかったのか?」という声が出て、9日に豊田社長は東京で記者会見をして、新型のプリウスのブレーキ問題でリコールをすることを発表した。リコールは4車種22万3千台でこのうちプリウスは19万台である。

2月17日には東京で豊田社長と佐々木副社長が記者会見をして「品質関連の取り組み」について公表した。レクサスなどの国内のリコールの進み具合とともに電子スロット制御の安全性について「決して加速の方向に動くものではない」という安全性を訴えた。さらに品質向上の具体的な展開として各地域にお客の声を聞くために品質特別委員を任命して「グローバル品質特別委員会」を作り、第1回を10年3月30日に開く。米国では技術分室の増強により情報収集の網の目を細かくして24時間にない現地に着き一件一件調査できる体制を目指す、という。



 何故、こうした問題が起きたのか?



 2月17日の記者会見でこうした問題が起きたのかを聞かれた豊田社長は「トヨタ生産方式を越えて実需以上のものを作った。在庫を持たないということも守られずにつくりすぎていた。ジャストインタイムというやり方に戻したい」と述べた。世界一を目指して余分なものまで作ってしまった、ということである。米国の公聴会では豊田社長は「生産現場が増えたことで人の育成が間に合わなくなってしまった。トヨタの生産方式についてしらない社員が多くなって、品質についても問題が起きてしまった」と述べている。

また、会社が大きくなったことから組織が縦割りになり、その間の意思疎通が出来なくなってしまった、ということも公聴会では指摘されていた。

GM,クライスラーが09年に相次いで破産したことで、米国人のトヨタに対する反感も出ている。ある自動車メーカーの幹部は「米国の産業の柱である自動車が日本のトヨタやホンダに追い出されてしまったところに今回のフロアマットとアクセルペダルの問題が出て、騒ぎが大きくなった。中間選挙が10年秋にあることも公聴会をにぎやかにした。運が悪いことが重なった」と話していた。

また、あるトヨタ自動車を使っている人は「最近、トヨタの車は故障が多く、販売店に行っても不親切だ。傲慢になっていた」と言っており、こうしたことが今回のリコールの元になっているのかもしれない。



 トヨタはどこに行くのか?



トヨタは米国での10年1月の新車の売上げは16%減と全体では増加しているのに対照的な業績になった。内外でプリウスは環境に良いということもあり売れ行きは良かった。プリウスのリコールの影響で10年3月での決算は税引き後利益で赤字になるのではないか、と見られている。豊田社長は10年1月の時点で「嵐は嵐でも暴風雨に近い。それでも11月の時点では2千億円の赤字で8月の予想の4500億円よりよくなってきている。早期の黒字化を目指す」と話していたが、相次ぐリコールで赤字は増えるだろう。

今後の広報や海外戦略を見直すために「BR(ビジネスリフォーム)コミュニケーション改善室」を2月17日に新設した。担当は永田理・常務役員になる。豊田社長に09年6月になって広報や渉外担当を総入れ替えしたことが今回の広報体制などの遅れになった、という反省からである。

豊田社長は09年10月の日本記者クラブの記者会見のときに「心想事成」と記帳した。心に思ったことは必ず実現してゆく、との意味だそうだ。早い黒字化を念じている豊田社長だが、いつ黒字になるのだろうか? 



 
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2010.04.08 Thursday
日本の自動車メーカーで始めて公聴会に呼び出される



 トヨタ自動車は2月23、24日に米下院、3月2日に米上院の公聴会に呼び出されて、豊田章男社長、佐々木真一副社長と米国トヨタ販売会社のジム・レンツ社長が議員の厳しい質問に答えた。米国でフロアマットがアクセルブレーキに引っかかる事故とプリウスでリコール(改修・無償修理)をしたことが原因である。この米国の公聴会には08年11月にGMのワゴナー会長らビック3のトップが自家用のヘリコプター乗りつけたことで批判を受けたところである。ビック3は米国政府から資金援助を受けることから、公聴会に呼び出されたもの。日本の自動車メーカーのトヨタが世界中のマスコミが集まったところで米国の議員に答えるようになったのはグローバル化の象徴でもあるが、トヨタの品質に対する評価が世界的に落ちたことでもある。

 日本のメーカーではブリジストンがフォード車に載せたタイヤの事故で公聴会に出たことがあった以来のことである。自動車メーカーでは初めて。

 トヨタは04年に熊本県でハイラックスによる5人の負傷事故を起こして、33万台のリコールを届け出た。しかし、熊本県警は06年7月に業務上過失傷害罪で品質保証部長ら3人を書類送検して、問題になった。部品が問題であるにもかかわらず改善をしないで販売したためにこうした事故を起こした、という容疑である。04年には熊本の件を含めてトヨタは9件189万台のリコールをしており、品質については問題になっていた。(表2を参照)

 熊本県警が送検した時にトヨタは「その時点での3人の判断に誤りは無かった」という1枚の紙を記者クラブに配っただけであった。

 この当時、トヨタはGMやフォードを生産量で追い抜き世界一になるという時で、マスコミでは「トヨタのおごりが出た」と言われた。国土交通省は「トヨタ自動車は社内でのトラブル情報の共有などが不十分だった結果、リコールが遅れた」と判断して、当時の岩崎貞二自動車局長がトヨタの滝本正臣副社長(品質担当)を呼んで業務改善命令書を手渡した。滝本副社長は「このことを真摯(しんし)に受け止め、早急に改善策を報告する」と述べて、8月4日に「社内の意思疎通を良くする」という報告をした。

 当時の渡辺社長は「量を追うことにより、質に対する手抜かりがあった」と記者会見で話した。さらに品質の悪化を防ぐために今までの品質担当の滝本副社長に加えた豊田章男副社長(当時)を指名して2人体制にした。さらに品質担当の専務を置きトヨタ・モータ・ヨーロッパの佐々木真一社長を指名した。

 トヨタは05年4月にリコールの増加に対処するために生産・開発などの担当者を集めて品質向上の専門組織を社内で発足させ、改善策の洗い出しを進めた。不具合情報の保存期間を5年から10年に延ばすなどをした。

 豊田副社長は「部品の生産をするうえで問題があれば、言ってきてほしい。無理な納期があれば直ちに報告して欲しい」という文書を出して活動を始めている。

この豊田氏は09年6月に社長になり、佐々木氏は品質担当の副社長になった。品質問題には力を入れてきている2人がいたにもかかわらず、どうして同じ間違いを起こしてしまった。



 米国での生産に問題があったのか?



 今回のアクセルペダルとフロアマットは米国の部品メーカーで生産している。トヨタは海外の部品ケーカーにも日本と同じようにトヨタ生産方式を教え込んでいる。ところがトヨタ式の生産方式を身に着けている外国の社員は少ない。日本の工場に来てもらい研修する余裕がなくなっている。そのために日本で研修した米国の社員を先生役にして、教える制度を作っている。しかし、こうしたやり方ではなかなかトヨタの生産方式について理解が出来ない海外の工員が多い、という。組み立て工場ならまだ目が行き届くが、下請けまでは目が届かない。 

アクセルペダルの問題について部品メーカーにどこが悪いのか、という把握が遅かった、といえる。日本なら直ぐに部品メーカーに飛んでいけるが、米国では生産のやり方の違いもある。  

フロアマットが引っかかるのは、運転者の操作の仕方が悪い、という声が最初にあった。

そうしているうちにレクサスのアクセルが元に戻らないということで4人の死亡事故が起きてしまった。9月になってフロアマットの問題で約380万台のリコールを発表した。



 豊田社長が日本記者クラブで会見

 

53歳の豊田社長は09年10月2日に日本記者クラブで講演した。私は体育会系で立って挨拶するのは慣れていると、最初に大きな声で「皆さん。こんにちは」と呼びかけた。その後で「経営学者のジェームズ・C・コリンズさんは企業が没落する5段階という説を唱えています。第一段階は成功体験から生まれた自信過剰、第二段階は規律なき規模の追求、第三段階はリスクと危うさの否定、第四段階は救世主にすがる、第五段階は企業の存在価値が消滅です。トヨタは第四の段階にいます。誤解なきように願いますが、私が救世主ではありません。ドン底であることには変わりはありません。復活の鍵を握るのは人材であり、トヨタにはこの人材がおり、誇るべき宝物です」とトヨタの復活に自信を見せた。

米国で販売している車でフロアマットがずれてアクセルペダルが戻らない疑いが発覚したことについてはNHTSA(米道路交通安全局)と協力して解決に取り組んでおり、リコールするかどうかについては明言しなかった。4人が死んだことについては「なくなった方にはお悔やみ申し上げます」と述べた。しかし、その後7車種380万台のリコールを米国で発表した。

トヨタは、11月にレクサスの暴走事故を防ぐために「レクサス」の一部と「カムリ」「プリウス」など8車種を対象に2010年4月から形状を改良したアクセルペダルの交換に応じる、と発表した。表1で見られるようにフロアマットの問題とアクセルペダルの部品の不具合などで米国、欧州、中国などでリコールを発表していった。こうしたリコールを実施するとともにその対象になった8車種の生産と販売を米国で中止した。異例なことである。

 

 新型プリウスでもリコール



2010年2月に入ってトヨタの自慢の環境対応車である「プリウス」(09年5月発売)のブレーキについての苦情が米国で100件超、日本で13件寄せられていることが分かり国土交通省はトヨタに調査を指示した。この問題について2月2日に記者会見した佐々木副社長は「フィーリングの問題であり、欠陥ではないと思う」と発言して、対応がおかしいということになった。プリウスに対する苦情が次々にトヨタに寄せられてくるため4日に開いた緊急記者会見で横山常務役員は「ブレーキが利きにくいという苦情は09年11月に連絡が入り、12月から急増した。このためにトヨタは1月に電子制御プログラムの設定を変えるなどの改善策を打った」と発言した。ブレーキが瞬間的に利かなくなる30万台については無償で改修する、と5日に方針を決めた。こうした利用者の不安を解決するために5日に豊田社長、佐々木副社長は名古屋市内で緊急の記者会見して「多くのお客様にご心配をかけたことを心からお詫び申し上げます」と発言した。09年夏から米国で起きているリコール騒動で初めての記者会見だった。名古屋で行ったことで「何故、東京で行わなかったのか?」という声が出て、9日に豊田社長は東京で記者会見をして、新型のプリウスのブレーキ問題でリコールをすることを発表した。リコールは4車種22万3千台でこのうちプリウスは19万台である。

2月17日には東京で豊田社長と佐々木副社長が記者会見をして「品質関連の取り組み」について公表した。レクサスなどの国内のリコールの進み具合とともに電子スロット制御の安全性について「決して加速の方向に動くものではない」という安全性を訴えた。さらに品質向上の具体的な展開として各地域にお客の声を聞くために品質特別委員を任命して「グローバル品質特別委員会」を作り、第1回を10年3月30日に開く。米国では技術分室の増強により情報収集の網の目を細かくして24時間にない現地に着き一件一件調査できる体制を目指す、という。



 何故、こうした問題が起きたのか?



 2月17日の記者会見でこうした問題が起きたのかを聞かれた豊田社長は「トヨタ生産方式を越えて実需以上のものを作った。在庫を持たないということも守られずにつくりすぎていた。ジャストインタイムというやり方に戻したい」と述べた。世界一を目指して余分なものまで作ってしまった、ということである。米国の公聴会では豊田社長は「生産現場が増えたことで人の育成が間に合わなくなってしまった。トヨタの生産方式についてしらない社員が多くなって、品質についても問題が起きてしまった」と述べている。

また、会社が大きくなったことから組織が縦割りになり、その間の意思疎通が出来なくなってしまった、ということも公聴会では指摘されていた。

GM,クライスラーが09年に相次いで破産したことで、米国人のトヨタに対する反感も出ている。ある自動車メーカーの幹部は「米国の産業の柱である自動車が日本のトヨタやホンダに追い出されてしまったところに今回のフロアマットとアクセルペダルの問題が出て、騒ぎが大きくなった。中間選挙が10年秋にあることも公聴会をにぎやかにした。運が悪いことが重なった」と話していた。

また、あるトヨタ自動車を使っている人は「最近、トヨタの車は故障が多く、販売店に行っても不親切だ。傲慢になっていた」と言っており、こうしたことが今回のリコールの元になっているのかもしれない。



 トヨタはどこに行くのか?



トヨタは米国での10年1月の新車の売上げは16%減と全体では増加しているのに対照的な業績になった。内外でプリウスは環境に良いということもあり売れ行きは良かった。プリウスのリコールの影響で10年3月での決算は税引き後利益で赤字になるのではないか、と見られている。豊田社長は10年1月の時点で「嵐は嵐でも暴風雨に近い。それでも11月の時点では2千億円の赤字で8月の予想の4500億円よりよくなってきている。早期の黒字化を目指す」と話していたが、相次ぐリコールで赤字は増えるだろう。

今後の広報や海外戦略を見直すために「BR(ビジネスリフォーム)コミュニケーション改善室」を2月17日に新設した。担当は永田理・常務役員になる。豊田社長に09年6月になって広報や渉外担当を総入れ替えしたことが今回の広報体制などの遅れになった、という反省からである。

豊田社長は09年10月の日本記者クラブの記者会見のときに「心想事成」と記帳した。心に思ったことは必ず実現してゆく、との意味だそうだ。早い黒字化を念じている豊田社長だが、いつ黒字になるのだろうか? 



 
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2010.04.08 Thursday
 損害保険ジャパン理事CSR総括部長 関正雄さん

 (せき・まさお)

 静岡県出身。1976年3月東大法学部卒、安田火災海上(現損保ジャパン)入社。システム企画部、社長室、営業開発第一部、近畿総務管理部などを経験し03年7月コーポレートコミュニケーション企画部社会・環境室長に就任。同年12月にCSR・環境推進室に名称変更。09年7月から理事CSR総括部長。56歳。

 −損保ジャパンはCSRや企業倫理などに対してどのように取り組んでいますか。

 02年7月に安田火災と日産火災が合併して損保ジャパンとしてスタートした時に新しい経営理念と行動指針を作りました。経営理念は個人と企業活動に関するリスクに卓越した「解」を提供することを誇りとします、と最初に謳ってます。次にお客様に期待を絶えず上回るサービスを提供し株主価値を創造し、社員とともに成長します。三番目には先進的な戦略と積極的な行動により日本を代表する高いプレゼンスのある企業グループであり続けます、としてます。行動指針はサービス、、スピリッツ・オブ・フェアネス(公正)など5つのSを実施するようにしています。

 −こうした経営理念や行動指針をどのように実施していますか。

 わが社はCSRをESRと置き換えています。Eは社員のことで企業の社会的責任ではなく社員一人ひとりの責任を求めています。このために認知、理解、共感することから日常生活で行動することが大切だとしています。このために新任の総合職に対して丸一日CSR研修をしています。この研修では車椅子に乗ったり、アイマスクをつけて目が悪い人と同じ状態で歩いたりする経験もします。数年たって研修で何を覚えているか、というとこうした経験を覚えているようです。

 −本業の強みを生かしてCSRを推進するために4つの重点課題を掲げているようですが、具体的にどのようなことをしていますか。

 最初に気候変動における「適応と緩和」をあげています。具体的にはタイ東北部で旱魃で米が取れなくなっています。こうした時に備えて「天候インデックス保険」を発売しました。一定の雨量以下になると保険が出るというものです。1月25日にタイで発売記念式をしたところ財務大臣まで出ていただきました。CSR金融では世界的に問題になっている土壌汚染に対しての保険を作ったりしています。

 −ポイント制度を使って社員が社会貢献したのを合計してNPOなどに寄付しているそうですが。

 社員が社会貢献をしたのを点数にして年2回合計して、会社が寄付する制度です。社員がそれぞれEラーニングで計算して会社に申告します。毎年百万円ほど環境保護団体などに寄付しています。

 −保険金の不払いがあり、社会問題になりました。どうしてこういうことが起きたのでしょうか。対策は売っていますか。

 95年に保険の自由化があって、各社の競争が激化して目線が競争各社に行ってしまい、お客様をないがしろにしていました。06年に問題になりこの教訓を生かすために08年2月に改定した保険商品を出しました。それとともにお客様の声を聞くようにして、そうした声を集めて「お客様の声白書」を07年から出しています。10年3月には日本興亜損保と統合することもあり、こうしたお客様の声を聞いていく必要がますます高まっています。
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