建設論評
身辺がきれいだった安藤太郎さん
住友不動産の安藤太郎さんのお別れ会が7日正午から都内のホテルオークラ東京で開かれた。不快指数が80を超す気候にも関わらず元総理の森喜朗氏や日本経団連の米倉弘昌会長(住友化学会長)など1500人が参列した。100歳まで生きた安太郎さん(親しい人はこう呼んでいた)だけに様々な人が来ていた。ゼネコンの人たちは会長、社長から幹部までたくさんの人が来ていた。そうした中で人目を引いたのは清水建設の吉野照蔵さんである。92歳になった吉野さんは後任の社長である今村治輔さんと一緒に献花をしていた。吉野さんは安藤さんの旧制水戸高校の後輩であり「安藤さんにはいろいろと世話になった」という。
安藤さんは住友銀行(現三井住友銀行)の副頭取から第一次石油ショックで経営が悪くなった住友不動産の社長に74年5月になり経営を立て直して、今や不動産業界では株価はトップになるほどである。銀行から不動産会社に来て戸惑うことは多かった、と言っていた。安藤さんは住友不動産の関連会社の「泉カントリー倶楽部」の経営をめぐり住友グループから不満が出たり、土地開発事業ではグループ各社と競争するなど評判は必ずしも良くなかった。そうした中で生き残ったのは身辺がきれいだった、ことだろう。
「ゼネコンがうちのビルなど受注するといろいろなものを持ってくるが、絶対に受け取らなかった。デベロッパーの経営者の中ではこうしたゼネコンから家を建ててもらったり修理をしてもらうのがいた。だから私はいろいろな悪口を言われても生き残ったんだ」
と話していた。
安藤さんは銀行時代は本店がある大阪勤務はせずに、東京で働いた。当時の頭取である堀田庄三氏に仕えてマスコミや総会屋などと付き合ってきた。そうした時に金をもらうと弱みになる、ということを強く感じた、という。安藤さんは「わが社でこうしたゼネコンから便宜を受けるようなのがいたら即刻首だ」と言い続けていた。
デベロッパーでは安藤さんだけではなく三井不動産の江戸英雄さんや三菱地所の福沢武・元社長など身辺のきれいな人は多い。特に三菱地所は総会屋事件を契機に、お中元やお歳暮は一切受け取らず、送りもしない。
ゼネコンは公共事業が前年に比べて18%減と厳しい中でトップ営業に力を入れてきている。そうした中でデベロッパーのトップに近づくために様々な手段をとっている。そうした時に安藤さんのように毅然とした態度を取れるトップが何人いるだろうか?誰からも後ろ指をさされないようなことをデベロッパーやゼネコンのトップはしてゆかねばならないだろう。