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2009.04.20 Monday
 私の日本プレスセンターの事務所に白黒の写真がある。埼玉県・飯能の神社の前で、祖母のはなさんと母のきみと姉の恭子、妹の通子と順子と私がいる。たぶん私が小学校の1年ぐらいの時の写真である。夏で半ズボンをはいている。母の故郷が飯能にあるので夏になると西武池袋線に乗って行った。一人で行くときもあったが、そういう時は電車に酔って気持ちが悪くなったことも多かった。
 祖母のはなさんが、面倒を見てくれた。その当時、16人兄弟だった母は長女で一番下は博さんであった。博さんは当時まだ高校生で時々、そばの入間川に遊びに連れて行ってくれた。天覧山にも上った。昔の写真は博さんが撮ってくれたものである。高校生でカメラを買ったので良く山の写真などを撮っていた。
 母の弟の義雄さんが肺炎で83歳で亡くなったという知らせが、奥さんの容子さんから来た。私にとっては叔父でもあり葬儀に行くことにした。9日に通夜で10日に告別式だという。通夜に行くことにした。飯能までは池袋からレッドアロー号に乗り45分である。昔は2時間ぐらいかかっていた。女房と池袋で待ち合わせて行った。
 車窓から見る風景は昔とは大違いでマンションや住宅がびっしり立っている。飯能についてタクシーで10分ほどの広域飯能斎場で行われた。蓉子さんと娘さん2人が迎えてくれた。博さんもご夫婦で来ていた。博さんにとって義雄さんは親しい兄であり父親代わりであったようだ。博さんも高校生の時代とは違い、学校の校長先生を終えて、年金生活である。1人息子が医者になっているので、我が家の娘も2人とも医者なので話が合う。息子さんは現在、群馬県で病院勤務をしており、この日も夜8時過ぎに家族3人で駆けつけた。小さい時に飯能で遊んだことがあるようで懐かしかったのだろう。
 通夜は禅宗の曹洞宗のお坊さんの読経で始まった。すでに義雄さんを知っている同僚も亡くなったりして親類が多かった。娘さんの一人が神奈川県庁に勤めているので神奈川知事の花輪があった。私も女房と連名で花輪を送った。義雄さんの戒名は「空 春契義昌信士霊位」となっていた。帰りは桜の花びらが舞う中を博さんの車で飯能まで送ってもらった。
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