ちょっと一休 幸子さんの結婚式
2010.05.20 Thursday
OA会という毎月一回の割合で日本プレスセンターの10階にあるアラスカで昼飯を食べる会がある。Oは、西日本新聞社の政治部の記者をしていた大石さんのOであり、Aは私のAである。大石さんは政治部の記者から赤城宗徳・農林大臣の秘書官になった。私が農林省の担当のときから付き合ってきて、自然に昼飯などを食べるようになった。二人の共通の友人である外務省出身でルーマニアやアイルランドの大使を務め、東宮大夫になった古川さんも加わり、その輪が広がった。
三菱商事にいた山崎さんもこのメンバーであり、山崎さんが英国の化粧品チェーンの「ブーツ」を日本で展開しようとした時に知り合ったのが銀座のソニービルの隣のビルである「対鶴館」の持ち主である亀岡幸子さんである。亀岡さんは仕事が忙しいせいでそれほど多くは来ないが、忙しい合間を縫って来ると場が和らぐ。亀岡さんとは一緒に焼肉を食べに行ったり、ゴルフをする付き合いをしていた。そうした時に「亀岡さん、早く結婚をしなさいよ。少子化の日本で貴方のような美人で頭の良い人が子供を作らなければ日本は駄目に成りますよ」と言っていた。そうした時に結婚の案内が届いた。荻野泰平さんと結婚するという。
5月15日に世田谷区北沢の「頌栄教会」で午前11時から式をしてその後立食パーティーをするという。それでは式から参加する、と言ったら、最初から来て欲しいという。教会は日本基督教団の運営で、式は牧師さんの祝福と形どうりの指輪の交換などがあった。ご主人になる荻野泰平さんとは5月12日に友人の蕪木君の息子が経営している船橋更科の店で会った。蕪木君とその大学時代の友人たちがこの結婚を祝って記念品を贈ろうという事で集まった。NHKにいた小宮山君がイタリア製の時計を買ってきて、それを贈る事になった。
その席に荻野さんも亀岡さんと一緒に来た。体は大きく顔も俳優の陣内に似ていると思った。名刺を交換したところ「東京美術倶楽部」に勤めているという。明るいはきはきした青年であり、私は好感を抱いた。式のパーティーでは酒が出ないのがさびしかったが、知り合いの「アルポルト」を経営している片岡護シェフが作ってくれたイタリア料理が出てきた。荻野さんの友人である楽団の「インフィニティ」がいろいろな曲を演奏してくれた。圧巻は結婚式を主宰した牧師がギターでお祝いの歌を歌ったことだった。和やかの式であった。
三菱商事にいた山崎さんもこのメンバーであり、山崎さんが英国の化粧品チェーンの「ブーツ」を日本で展開しようとした時に知り合ったのが銀座のソニービルの隣のビルである「対鶴館」の持ち主である亀岡幸子さんである。亀岡さんは仕事が忙しいせいでそれほど多くは来ないが、忙しい合間を縫って来ると場が和らぐ。亀岡さんとは一緒に焼肉を食べに行ったり、ゴルフをする付き合いをしていた。そうした時に「亀岡さん、早く結婚をしなさいよ。少子化の日本で貴方のような美人で頭の良い人が子供を作らなければ日本は駄目に成りますよ」と言っていた。そうした時に結婚の案内が届いた。荻野泰平さんと結婚するという。
5月15日に世田谷区北沢の「頌栄教会」で午前11時から式をしてその後立食パーティーをするという。それでは式から参加する、と言ったら、最初から来て欲しいという。教会は日本基督教団の運営で、式は牧師さんの祝福と形どうりの指輪の交換などがあった。ご主人になる荻野泰平さんとは5月12日に友人の蕪木君の息子が経営している船橋更科の店で会った。蕪木君とその大学時代の友人たちがこの結婚を祝って記念品を贈ろうという事で集まった。NHKにいた小宮山君がイタリア製の時計を買ってきて、それを贈る事になった。
その席に荻野さんも亀岡さんと一緒に来た。体は大きく顔も俳優の陣内に似ていると思った。名刺を交換したところ「東京美術倶楽部」に勤めているという。明るいはきはきした青年であり、私は好感を抱いた。式のパーティーでは酒が出ないのがさびしかったが、知り合いの「アルポルト」を経営している片岡護シェフが作ってくれたイタリア料理が出てきた。荻野さんの友人である楽団の「インフィニティ」がいろいろな曲を演奏してくれた。圧巻は結婚式を主宰した牧師がギターでお祝いの歌を歌ったことだった。和やかの式であった。