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2010.06.18 Friday


 菅総理誕生で米倉経団連会長との距離はどうなるのか?

 枝野幹事長が日本経団連に最初に挨拶

 民主党の菅直人副総理兼財務相が6月8日に総理になり、組閣を終えた。その前日の7日には民主党の幹事長に枝野幸男・行政刷新担当相が就任した。菅政権の下で米倉弘昌・日本経団連会長との関係はどうなるのか、が注目された。ところが枝野幹事長は8日に日本経団連に乗り込んで、米倉会長や中村芳夫・事務総長に挨拶した。10分間の会談であるが、この会談にほっとしたのは米倉会長だった。米倉会長は5月27日に御手洗冨士夫・キヤノン会長からバトンタッチを受けた時から、最大の課題は民主党政権とどのように意思疎通を図ってゆくかであったからである。

 御手洗会長に時は鳩山由紀夫総理と小沢一郎・民主党幹事長とはまったくといって話し合う余地が無かった。というのも鳩山総理は民主党の幹事長時代に御手洗会長に対して国会の代表質問で「キヤノンの偽装請負の問題で国会に参考人として招致すべきである」と当時の自民党の福田康夫総理に質問した。さらに枝野氏も安倍内閣の予算委員会の野党の筆頭理事の時に、御手洗経団連会長の国会への参考人招致を要求した。さらに民主党など野党4党は福田内閣の時代に御手洗会長の予算委員会への参考人招致を要求している。こうしたいきさつもあって御手洗経団連は民主党とのパイプが無いままに終わってしまった。御手洗会長はいろいろなルートで民主党とのパイプ作りをしたが、キヤノンの偽装請負問題が何かと障害になって実現できなかった。

 こうした中で日本経団連は政治献金について10年3月に中止することを決めた。御手洗経団連は自民党に対して約30億円の資金を出していたのに民主党には7千万円しか出していなかった。経団連の政策評価でこうした献金を決めていたが、民主党政権になってもこうした政策評価は変わらないままだった。経団連が鳩山政権に対して政策評価で問題にしたのは温暖化対策で2020年までに1990年対比で25%二酸化炭素を減らすという目標だった。例年なら9月に政策評価を出して、各企業に献金を勧めるが、09年には政策評価を延ばしてきていた。最終的にはこうした評価も中止して献金を中止せざるを得なくなった。

 奥田碩トヨタ自動車会長が日本経団連の会長時代に復活した政治献金は自民党に偏っている事で御手洗経団連会長の手で中止した。そうした中で誕生した米倉会長だけに民主党政権との対話をどのようにしてゆくのかが注目されてきただけに枝野幹事長の経団連への挨拶周りは注目してよいだろう。しかし、これで民主党との関係がよくなるかどうかは予断は許せない。

 御手洗経団連会長の誤算

 06年5月に奥田会長から経団連会長を引き継いだ御手洗会長は小泉純一郎総理から交代した安倍晋三総理と親密な関係を築いた。06年9月に誕生した安倍内閣は70%の支持率で小泉内閣と同様に国民から歓迎された。御手洗会長は憲法改正や愛国心などを育てる教育改革を進めようとした自民党政権に全面的に協力をした。自ら経済財政諮問会議の民間のメンバーになり自民党政権の政策作りと一体になっていった。安倍首相のべトナム、中近東5カ国訪問、インドへの訪問などには100人以上の経団連のメンバーを引き連れて同行した。中近東には当時サウジアラビアで石油コンビナートを建設していた住友化学の米倉会長も同行している。

 首相の海外訪問に経団連のメンバーがこのように大挙して同行するのは御手洗会長が初めてである。政局は変わりやすいということを忘れて御手洗会長は安倍首相に協力していった。そうした時に御手洗会長の出身会社であるキヤノンで偽装請負の問題が出て、厚生労働省栃木労働局から是正命令が出た。派遣労働者は製造業で3年以上働いたら正社員に昇格させなければならないのを、請負の形に変えてそのまま働かせていた、という。さらに御手洗会長はガソリンの暫定税率廃止の議論で経済財政諮問会議では廃止に賛成し、経団連に帰ってきたら、トヨタ自動車の張富士夫副会長に反対されてそれに同調するという事で朝日新聞に「二枚舌」と書かれた。これに怒った御手洗会長は朝日新聞にキヤノンの広告を1年間ほど停止した。

 「悪口を書く新聞に広告を出さないのは当然である」という考えだからである。こうした考えは奥田・経団連名誉会長にもあり、年金問題の審議会の後の記者会見で「新聞が悪口をいろいろ書くなら、広告を止める事も考える」と発言している。

 安倍首相は07年7月の参院選で自民党が民主党に大敗して9月に退陣に追い込まれた。次に総理になった福田首相は経団連との関係は安倍首相の時とは違って距離を置いた。余りにも御手洗会長が安倍首相に接近した事から自民党との関係もギクシャクした。御手洗・経団連名誉会長は「安倍さんに期待したんだが。あんなに早く退陣するとは思わなかった」と悔やんでいる。

 米倉会長の誕生と民主党政権との距離

 

キヤノンの工場建設を巡り大手ゼネコンの鹿島からリベートを取って脱税で逮捕された会社社長が御手洗会長の大分県の高校の同級生の後輩だった事などもあり、不祥事が相次いだ。このために1期2年で退任するのではないか、といううわさも出ていた。御手洗会長は09年中に次の会長を決める、と記者会見などで発言していたがなかなか決まらずに10年1月に延びた。経団連の会長は副会長から選び、70歳未満というのが内規や不文律としてある。米倉会長は異例の形で選ばれた。経団連の評議会議長であり、年齢も72歳で、その上住友グループの会社である。経団連の会長は石川一郎・日産化学工業社長から始まり戦後12人いるが、三井、三菱、住友の旧財閥から出るのは初めてである。御手洗会長の苦心の末の選出といえる。

米倉会長は若い時に長谷川周重・経団連副会長について経団連活動や日米財界人会議などの事務方の経験をしている。長谷川副会長は日米財界人会議の日本側代表を務めていたので英語が堪能な米倉氏が選ばれた、といわれる。

米倉会長の最大の課題は民主党政権とどのように付き合ってゆくかである。御手洗会長の時代は鳩山・小沢体制で入り込む余地は無かった。菅・枝野体制で民主党がどのように変わってくるかである。そうした時に枝野幹事長が連合よりも先に挨拶に来た事でほっとしたのは事実だろう。しかし、菅首相は市民運動から政治家になり財界とはほどんと付き合いはない。枝野幹事長も弁護士出身で財界とのパイプは出来ていない。民主党との財界のパイプはまったくないといっても良いだろう。そうした中で京セラの稲盛和夫名誉会長が小沢・前幹事長や前原誠司・国土交通相との関係でJALのCEO会長になっている。稲盛氏は京都商工会議所会頭を義理で勤めたが、経団連活動はまったくしていない。

米倉会長は兵庫県にある甲陽学院から東大法学部を出て、住友化学に入社した。米国デューク大学に留学するなど英語には堪能である。東大のときの同級生の亀井静香・国民新党代表が知り合いという程度で政治家との付き合いは多くない。もともと住友化学は大阪を中心に活動してきた事から東京での知名度は低い。低い知名度を上げようと住友化学では広瀬博社長が広報部の経験を生かして米倉会長の売込みを図っている。しかし、豊田章一郎氏が経団連会長になった時の20人の人員を配置したトヨタ自動車の支援体制には及びもつかない。高尾剛正・取締役専務執行役員が財界活動の面倒を見るというが、積極的に動いているふしは見えない。御手洗名誉会長も「キヤノンとしてもう少し広報活動などをすればよかった。経団連に任せすぎた」と反省している。

民主党の25%削減の温暖化対策や成長戦略に伴う消費税のあり方など経団連としては民主党との話し合いが必要である。民主党も小沢・鳩山時代とは変わるとしても米倉経団連会長としてもいろいろなルートを使ってパイプ作りをしてゆく必要があるだろう。
| 経済・財界 | 15:19 | - | - | pookmark |
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