朝日新聞の仲間と石巻漁港
2010.07.28 Wednesday
ちょっと一休 朝日新聞の仲間と石巻漁港へ
朝日新聞の経済部で後輩の高成田亨君が60歳で定年になって、宮城県の石巻支局長として08年1月から仕事をしている。3年の契約なので11年1月には東京に帰ってくる。その前に石巻に行きたいと思っていた。というのも高成田君は魚記者になりたいという希望があって日本でも有数の漁港がある石巻を希望した。石巻では魚の記事を定期的に宮城県版に書いたり、全国版に載せたりしていた。時々、そうした記事を見て「元気で仕事をしているなあ」と思っていた。そうしたところ09年4月に「こちら石巻 魚記者奮闘記―アメリカ総局長の定年チェンジ」(時事通信社)という本を出した。関係者が出版祝いをする事になり私も出席した。
その時にもらった本はあっという間に読んで一度は石巻に行かなくてはならないだろうと心に決めた。ところがバタバタしているうちに時間だけが経っていった。そうした時に経済部の先輩の香月さんが「一度、皆で石巻に行かないか?」と誘われた。私もかねてから行きたいと思っていたので「私がみんなに呼びかけて行きましょう」ということになった。早速、高成田君に連絡したところ、こういう列車で来て、この店で食事をしてここで泊まれば良い、という案がメールで流れてきた。行く日は7月9日の夕方で翌日に東京に帰る、ということになった。
この案を高成田君と親しく行きそうな人に連絡したところ代表取締役専務で大阪代表をした浜田さん(元東京経済部長)や県立宮城大の教授だった粟田さんなど7人が行く事になった。朝日以外では朝日生命で広報を長くやり最後は専務で退任して現在は子会社の会長をしている三枝稔さんが一緒に行く事になった。三枝さんは高成田君と同じ小山台高校でラクビー部で一緒に活動して親しい。三菱地所で広報部長をし、現在は三菱地所設計の小田川社長も小山台高校出身で、私が3人に呼びかけて一緒に飲んだこともある。今回も小田川さんにも呼びかけたがあいにく、出張が入ってゆけない、という。14時56分の「はやて23号」で仙台に着きそれから仙石線に乗り換えて石巻に18時13分に到着する。仙台の駅で6人と会い、粟田さんは先に石巻に行くというので全員無事にそろった。石巻駅には高成田君が迎えに来ており、ホテルまで歩いて行った。次号は石巻のおいしい魚の話などを書く。
朝日新聞の経済部で後輩の高成田亨君が60歳で定年になって、宮城県の石巻支局長として08年1月から仕事をしている。3年の契約なので11年1月には東京に帰ってくる。その前に石巻に行きたいと思っていた。というのも高成田君は魚記者になりたいという希望があって日本でも有数の漁港がある石巻を希望した。石巻では魚の記事を定期的に宮城県版に書いたり、全国版に載せたりしていた。時々、そうした記事を見て「元気で仕事をしているなあ」と思っていた。そうしたところ09年4月に「こちら石巻 魚記者奮闘記―アメリカ総局長の定年チェンジ」(時事通信社)という本を出した。関係者が出版祝いをする事になり私も出席した。
その時にもらった本はあっという間に読んで一度は石巻に行かなくてはならないだろうと心に決めた。ところがバタバタしているうちに時間だけが経っていった。そうした時に経済部の先輩の香月さんが「一度、皆で石巻に行かないか?」と誘われた。私もかねてから行きたいと思っていたので「私がみんなに呼びかけて行きましょう」ということになった。早速、高成田君に連絡したところ、こういう列車で来て、この店で食事をしてここで泊まれば良い、という案がメールで流れてきた。行く日は7月9日の夕方で翌日に東京に帰る、ということになった。
この案を高成田君と親しく行きそうな人に連絡したところ代表取締役専務で大阪代表をした浜田さん(元東京経済部長)や県立宮城大の教授だった粟田さんなど7人が行く事になった。朝日以外では朝日生命で広報を長くやり最後は専務で退任して現在は子会社の会長をしている三枝稔さんが一緒に行く事になった。三枝さんは高成田君と同じ小山台高校でラクビー部で一緒に活動して親しい。三菱地所で広報部長をし、現在は三菱地所設計の小田川社長も小山台高校出身で、私が3人に呼びかけて一緒に飲んだこともある。今回も小田川さんにも呼びかけたがあいにく、出張が入ってゆけない、という。14時56分の「はやて23号」で仙台に着きそれから仙石線に乗り換えて石巻に18時13分に到着する。仙台の駅で6人と会い、粟田さんは先に石巻に行くというので全員無事にそろった。石巻駅には高成田君が迎えに来ており、ホテルまで歩いて行った。次号は石巻のおいしい魚の話などを書く。