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2010.08.21 Saturday
住友不動産元会長・住友銀行元副頭取 安藤太郎さん 5月9日老衰で死去。享年100歳。お別れの会は7月7日ホテルオークラ東京で。

 我々新聞記者は安藤さんのことを「安太郎さん」と呼んでいた。住友銀行(現三井住友銀行)時代に東京でマスコミなどの担当をしていた事もあり、新聞記者に知り合いが多く顔見知りの記者が多かった。100歳で死んだのは不動産業界では三菱地所の渡辺武次郎さんの103歳に次ぐ長生きである。銀行から住友不動産に来て36年経った。第一次石油ショックで業績が低迷していた住友不動産に社長として来た。住友不動産を建て直し、いまや業界でナンバー3の位置を占めるようになった。安藤さんは業界では、日本高層住宅協会(現不動産協会)、高層住宅管理業協会の理事長、会長を務めて、江戸英雄・三井不動産会長と並んでドン(首領)であった。

 江戸さんが死んだ時も、三井不動産の坪井東・会長、三菱地所の中田乙一・会長が死んだ時も弔辞を読んだ。ある時、安藤さんに「そんなに長生きをしたらあなたの弔辞は誰が読むのですか?」と失礼な質問をした。安藤さんは「三井不動産の田中順一郎君に頼んでいるから心配すんな」と答えた。その田中さんも安藤さんに先立ち1月10日に80歳で死去した。安藤さんの弔辞を自ら指名した人もいなくなるほど長寿であった。

 「うちは宮城県七ケ宿町にまだ姉が生きており、長寿の家系なんだ」と言っていた。90歳になっても住友不動産が経営している「泉カントリークラブ」でプレーをしていた。98歳ぐらいからゴルフ場に顔を見せることが少なくなり、家で家族の人と生活している、といわれていた。

 安藤さんは新聞記者とゴルフを度々していた。私の手元に1996年12月21日に泉カントリーでプレーした時の写真がある。日経新聞社、日刊工業新聞社、月間不動産流通の編集者や記者である。プレーが終わって食事の時に安藤さんは「この前、オーガスタに言ってマスターズを見てきた。タイガー・ウッドというのが素晴らしいプレーをした。将来、ゴルフ界のチャンピオンになるのではないか?」とウッドの打ち方をまねしていた。私がウッドの名前を聞いたのはこのときが初めてで、その後の活躍は素晴らしいものがあった。

 安藤さんは住友銀行時代は堀田庄三頭取に仕えて、東京でマスコミや総会屋などの渉外担当をしていた。俗に言うと銀行の裏の仕事が多かったようである。その筋には顔が利いていた。されだけに住友不動産が地上げなどで問題になったときには「俺なんかはこんな事で問題になるようなことはしないんだが。もっとうまいやり方があるのに」と言っていたことを思い出す。

 住友銀行から住友不動産に来たある幹部は「プレジデントの1989年12月号で佐高信さんが『磯田一郎と安藤太郎 住友銀行と住友不動産の首領に問題あり』というタイトルで書いたときから、磯田さんと安藤さんの評判が落ちたと思います。それまでは磯田さんも安藤さんも評判が良かったんですがね」と話している。磯田氏は安藤さんより3歳下だが、二人は頭取争いではライバルであった。最終的には安宅産業の処理をした磯田氏が伊部恭之助頭取の後を継いだ。

 安藤さんは住友不動産が苦しい時に大手町にあった本社ビルを住友信託銀行に売った事を死ぬまで悔しがっていた。負けん気の強い、良くも悪くも魅力のある経営者がいなくなった。
| 追悼録 | 13:45 | - | - | pookmark |
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