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2011.02.11 Friday
 

エバラ食品工業創業者、名誉会長 森村国夫

 2010年11月15日肺炎のため死去。享年91歳。お別れの会は12月17日に都内の品川プリンスホテルで開かれた

 「焼肉のたれ」で有名になったエバラ食品工業を立ち上げ、優良企業に育てた。群馬県伊勢崎市境町から小学校を卒業して、東京に出てきて身一つで会社を興した。その会社がいまや400億円の売上げをあげる超優良会社になった。それまでになった一つの決断があった。一緒に事業をしてきた次兄の武次郎氏との決別である。

  戦後の何もない中で兄とソース作りを東京都品川区で始め、アスパラベースのフルーツソースやかぼちゃベースのトマトケチャップなど次々に商品として売り出していった。「キンケイミルクカレー」を発売し、これが爆発的に売れて会社の基盤を作った。社名を「キンケイ食品工業」にして社長は武次郎氏で森村さんは工場長という事になった。

 このキンケイ食品工業に対して明治製菓から提携の申し入れがあった。武次郎社長は「大きな企業と組めば金繰りも安心だし、社員も喜ぶ」と前向きになった。それに対して森村さんは「大きな会社と組めば安心かもしれないが、のっとられてしまう。小さいなりで独自の路線を行くべきだ」と反対した。郷土の出身の政治家で総理大臣にもなった福田赳夫氏が顧問をしていたので森村さんは福田さんに「こうした提携は止めさせるように兄の社長に言ってください」と言った。兄は忠告を聞かずに、最終的に明治製菓と折半出資して「新キンケイ食品工業」を作り、東証2部上場した。明治製菓から社長をはじめ役員が来て、兄の武次郎氏は当初、会長だったが相談役になり明治製菓に取られてしまった。新キンケイ食品工業は明治製菓に経営権を委譲して、キンケイのブランドも消えてしまった。

 森村さんは戦友の田中忠一朗氏に任せていた子会社の「荏原食品」(68年にエバラ食品工業に社名変更)の経営が悪くなったのでその建て直しのために社長になった。資金繰りから始めた。それまで付き合ってきた横浜銀行は「昼間から酒のにおいをさせている社長の会社には貸せない」と断られて、伝を頼って東京の信用組合と取引をした。資金が足りないために姉二人に頼んで土地を担保に資金繰りして仕事を始めた。はやり始めていたインスタントラーメンのスープがあたり、次いで業務用の札幌ラーメンの素(ミソ、白ミソ)で基盤を築いていった。1968年春から「焼肉のたれ」を肉屋の店頭に置き、次いでスーパーの店頭に置くようになった。

 テレビの宣伝に力を入れていった。その時にテレビのカメラをスーパーに来てもらいそこで「焼肉のたれ」を写す。「お客さんはテレビ会社が来ていることで人が集まり宣伝になる。テレビ会社は嫌がったがその会社1社しか出さない事でやってもらった」と話していた。「エバラ焼肉のたれ 黄金の味」を78年に売り出した。その当時、NHKテレビで「黄金の日々」というドラマが放送されていた。それまでの商品は1種類であったのを桃、梅、マンゴーなどをベースにしたものを出した。そのネーミングに黄金を入れた。これが当って売上げが116億円と100億円を突破した。

 お別れの会では横浜銀行の小川是頭取が「妙蓮寺支店長だった熊田節郎があなたの創造力、決断力、実行力、忍耐力が必ず成功すると確信して積極的に取引を開始して、友好な関係を築く事ができました」と述べた。支店長が熊田氏の時代に森村さんがたずねて行き取引を開始した。熊田氏は1億円を融資するとともに信用組合の高い金利の資金の返済資金も肩代わりした。熊田氏はその後、副頭取になった。

 お別れの会には大日本印刷の北島社長や味の素の伊藤社長のほか芸能人の橘家円蔵、峰竜太など1500人が参列した。

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