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2016.09.26 Monday

追悼の記 小林惣一郎・元不動産流通研究所所長 6月25日多機能不全のため死去。76歳。

 

ああ、悲しいかなコバちゃんの死去

 

小林さんに対して我々は「コバちゃん」と言っていた。コバちゃんとは私が朝日新聞経済部で不動産・建設業を担当した時に知り合ったので36年の付き合いになる。当時、月刊不動産流通の編集長であり取材の場でよく会った。こうした取材の場では発言などはしないが、懇談会やパーティなどではよく会い、当時のトップを紹介してくれた。國學院大學を卒業した後、「週刊住宅」、「不動産経済研究所」などの記者をしていたので、業界のトップはほどんと知っていた。

酒の会だけでなくゴルフなどでも一緒のこともあった。ある時に不動産会社の広報と記者のゴルフの集まりがあるので来ないかと言われ「かすみ会」に入った。半年に一度、三井不動産、住友不動産、三菱地所、東急不動産などが幹事になってプレーする。この会に入って広報の人たちと親しくなった。コバちゃんはこうした会などでは世話役として面倒を見ていた。この会は今でも続いており、「OBかすみ会」と名前を変えている。7月22日にこの会が「川崎国際生田緑地ゴルフ場」で15人が集まった。ところがこの日は台風が来たために雨でプレーは中止になった。全員集まったので朝から酒を飲んでコバちゃんの追悼会になった。不動産協会の専務理事だった松本隆正さんが「小林さんは私より誕生日が10日遅いのに早く逝ってしまい、痛恨の極みです。奥さんの話では病気を発症してから2年半になりますが、最後はみんなに『ありがとう』と言ってました」という話が披露された。そのあとはそれぞれが思い出を話しました。私は「コバちゃんはみんなの面倒を良く見てくれました。ここにいる人たちもお世話になった人も多いと思います。私も朝日新聞を辞めようと思って相談したところ金のことは心配しないでいいよ、と言われ心強く思いました。私は結局辞めずに最後までいましたが」と話した。

蓼科カントリークラブで当時、まだ専務の田中順一郎夫妻と一緒にゴルフをしたり、三菱地所の高木丈太郎社長、東急不動産の安芸哲郎社長などと飲んだりしました。コバちゃんのいつも世話役でした。若手の広報担当者を集めて勉強会も続けていました。

いろいろな会で終わる時は必ずコバちゃんの「フレーフレー」がありました。

忘れられないのは蓼科に行った時に麻雀をしていた時に突然に怒り出した朝、一人で帰ってしまったことがあります。三井不動産の広報部長の永井啓介さんが困ったこともありました。

「怒りやすくなんで怒こっているかわからないことがありました」と尾留川功さん(元住宅新報)も話していた。いろいろな会で終わる時は必ずコバちゃんの「フレーフレー」がありました。

話は尽きませんが最後は伊豆田道雄さん(元高層住宅協会)の「フレーフレー小林」の応援歌で締めました。

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