<< 中谷・小野寺両元防衛相が講演 | main | 観光立国を支える人たち 蒲島郁夫熊本県知事(かばしま・いくお) >>
2017.05.02 Tuesday

追悼録 元日本政策投資銀行副総裁元藤和不動産会長 寺澤則忠(てらさわ・のりただ)さん 3月1日死去 享年73歳。葬儀は3月7日に都内文京区の護国寺桂昌殿で行われた。

 

 約40年前寺澤さんは日本政策投資銀行の前身である日本開発銀行の広報担当をしていた。当時は総務部の中に広報担当者がおり副長だった。総裁が大蔵省から来ており、吉岡英一氏で、副総裁は日銀から来ており渡辺孝友氏であった。吉岡総裁は体が大きく愛想のない人だった。国税庁長官、中小企業金融金庫を経て総裁になっただけにぎょろりとした目には迫力があった。渡辺副総裁は日銀では筆頭理事を務めてきた。

 池田勇人蔵相が作り、25年たった中で生え抜きの職員が副総裁に、ということが強い願望としてあった。寺澤氏や部下の大岡哲氏(元日大教授)は事あるごとに「阿部さん、何とか生え抜きの副総裁はできませんかね」と言っていた。寺澤氏も大岡氏も東大卒業であり、大蔵省や日銀に行ってもおかしくない人材である。そうした中で彼らの上司である総務部に小宮和彦次長がいた。小宮氏も日比谷高校、東大卒業でたまたま高校のラクビー部の先輩でもあった。何とか副総裁にできないものか、といろいろ情報を集めた。日銀の代わりにはいるか、副総裁を二人にするか、という話があったが日銀は副総裁のポストを離さずに渡辺副総裁の後は多島達夫氏が就任した。我々の願望は実現しなかった。

 しかし、われわれの願望はそれからだいぶたって1999年に梶田邦孝理事が初めて生え抜きで副総裁に就任し、その次に寺澤さんがなった。寺澤さんとしては先輩の小宮氏がなれなかったポストに就いたということで感無量だったに違いない。

 寺澤さんは副総裁を終えた後で藤和不動産の会長になった。藤和不動産はゼネコンのフジタの子会社で業績が悪化して三菱地所に買収された。藤和不動産は大蔵省から天下りした牧野誠一社長時代から取材してきており一時は優良企業だった。しかし、バブルの時代に不動産をたくさん買ったことの負担が裏目に出て、杉浦重厚社長の時に三菱地所に買収された。

 寺澤さんに不動産会社の会長になって大変でしょう、と話したら「不動産の経営にはタッチしませんよ。あてがいぶちをもらうためのポストですよ」と話していた。開銀と三菱地所とは池袋のサンシャインシティの建設などで関係が深い。

 寺澤さんとはいろいろなパティーであつた。財界関係の会合が多かった。そうした時に「阿部さん元気ですか?」と言って「元気ですよ。寺澤さんはどうですか?」と言って別れた。

 告別式にはたくさんの人が来ていた。朝日新聞で論説主幹をしていた大軒由敬氏と会った。「勉強会で一緒で1月の時に会った時には元気だったのにー」と話していた。また、朝日新聞の編集委員を務めた早野透氏も来ていた。東大で同期の新日鉄にいた勝井邦彦氏もいた。「勝井、何でここにいるんだ」というと「大学の法学部で丸山真男ゼミで一緒だった。早野君もゼミで一緒だ。昨年のゼミの会でも元気だったのにー」と話していた。

 寺澤さんはこうした大学時代や社会人になってからもいろいろなグループに入り交遊を深めていた。NTTデータの副社長をしていた大学同期の佐藤誠氏も「海外の視察に一緒に行ってその仲間で会を作っていた。寺澤君も必ず来ていた。こんなに早くなくなるとは」と話していた。

 昨年2月に食道がんが見つかったが放射線で治療していた。

 娘さんの希美(のぞみ)氏はザルスブルグ音楽祭でバイオリンコンチェルト・ソリストコンクールで優勝した。寺澤さんは娘さんのリサイタルなどがあると一生懸命に応援していた。


 

| 追悼録 | 15:23 | - | - | pookmark |
最新記事
カテゴリ
月別記事
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE