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2019.07.05 Friday

「あの頃、ボクらは少年だった」のテーマで書いた文
「点取り虫」だった 阿部和義
今や「点取り虫」という言葉は死語だろう。てんとう虫という言葉と似ているが、テス
トで点を取ることに夢中になる少年や少女だ。今考えるとどうしてあそこまで点数にこだ
わったか。あの頃の思い出が私には強い。
千代田区立・富士見小学校の当時、家族は父の信夫と母のきみ、姉が1人に妹は2人だ
った。父は当時農林省のノンキャリで桑糸局で英語の通訳をしていた。6時過ぎには家に
帰ってきてFEN(英語放送)を聞いていた。一橋大学を卒業したことが自慢だったが、戦争
でそれまで勤めていた証券会社(中原証券今の日興コーディアル証券)を辞めて、軍事会
社の横川橋梁(現横河ブリッジホールディングス)に勤めて徴兵を免れた。戦後、元の会
社には戻らずに得意の英語を使って通訳の仕事をしていた。
こんな環境だったことが私を勉強に向かわせたのだろう。小学校の頃は「ネクタイ豚さ
ん」というあだ名で商店街のガキ大将などにいじめられた。親父がネクタイを締めさせて
小学校に行かせた。どうゆうわけかわからないが、ネクタイなど締めている子供ははいな
かったので太ったこともあって、いじめの標的にされた。だから勉強で見返してやろうと
頑張ったのだろう。
ある時、算数の答案が返ってきたが、伴泰久先生(佐賀県の出身)が明らかに間違えの
点数をつけていたのですぐに「先生、点数が間違えてます」と抗議をした。先生はすぐに
点数を上げたが、それ以外でもおかしい点数があり、再度、文句をいった。先生はさすが
に「それは間違いない」と言ったが私は「おかしい」と粘った。九州男児の伴先生は怒っ
て私を投げつけた。そばにストーブがあり危ない所であった。
テストの点数にこだわり、必ず先生に文句を言った。1点でも多くとろうという気持ち
だった。
両親からは成績では文句を言われたことはなかったが、いい成績を取って喜ばせてやり
たいと思ったのだろう。
「点取り虫」は千代田区立・九段中学校でも続いたが、点数で先生に文句を言ったこと
はない。1,2年ではバスケットボール部や水泳部で活動して、3年になった時は全校の
生徒会長になった。点取り虫が動き回ることはなくなった。都立日比谷高校に入学した時
からは、ラクビーに夢中になり点取り虫は全く活動しなかった。

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