<< 日本秘書研究会での質疑応答中 | main | 小泉首相愛読の 『信長の棺』 >>
2005.10.26 Wednesday


10月15日の土曜日に東京・有楽町のマリオンの前にある「ニュートーキョー」で我が日比谷高校1961年卒業の同期会をした。3年振りである。私は35ルームの幹事なので、半年前から打ち合わせをしてきた。31ルームの桧山彰君(元富士銀行)と36ルームの逆瀬川素行君(元三和銀行)が代表幹事で、我々が手伝う形である。
 打合せ会には各クラスから2−3人が日比谷高校にある「如蘭会館」に集まって、ワイワイがやがやして進める。幹事でもないのが来て酒を飲んで話して帰るのもいる。この打合せ会で、当日の役割を決めた。受付から始まり会計幹事までそれぞれ決まった。女の人が受け付けなどをしてくれることになる。司会は逆瀬川君と木村明子さんに決まり、乾杯を誰にするかで、私に決まった。「トヨタモデル」を書いていることや、文芸春秋に「奥田日本経団連会長の猛語録」書いて元気だということからである。
 乾杯の音頭というのはその会の長老で出番の無い人を決めるということが多い。そうした意味からも私が適当だろうということになった。
 当日は暑く蒸している日でのどが渇いた。130人ほど来て、前回より30%ほど増えた。日ごろ会っている嶌信彦君や蕪木寿君などのほか、久しぶりの人もいた。式は進んでいき乾杯の音頭になった。せっかくやるのだから何か話を入れようと考えた。ラグビー部の杉井健二君のことを話そうと思った。たまたま、本棚を整理していたら杉井君の追悼録「悠悠放浪」という本が4冊あった。5年前に13回忌のときに配った本が、あまっていた。この本を持っていき「乾杯の音頭の前に一言話をしたい。既に5%の人が亡くなっているが、杉井君もその一人である。たまたま今日、追悼録を持ってきたが弁護士で活躍して夏休みにトルコに行って賊に襲われて死んだ。この追悼録を今読み返しても、本当にいい友人を早く無くした。本を持ってきたので読んで欲しい。5%にならないように乾杯しましょう」と杯を上げた。
 杉井君はラグビー部で一緒に活動したがレギュラーにならずに辞めていった。東京外国語大、早稲田大の後に東大に入り、弁護士になった。嶌君とは小学校、中学校、高校と一緒である。追悼録も嶌君が中心になって作り、私も一文を書いた。この話を聞いて「杉井の本を見たい」「杉井の話をしてくれて有難う」という人もいて、乾杯の挨拶は無事に終わった。この日は同じニュートキョーの6階で2次会が行われ、6時過ぎまで思い出を話した。
| 本・その他 | 11:03 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://abe.jp-j.com/trackback/24107
トラックバック
乾杯 挨拶
乾杯の挨拶に限らず、多くの人の前で挨拶する、あるいは話をするのが苦手な人にとって、あがり症は厄介者でしかありません。あがり症は単なる恐怖心からきているといいましたが、恐怖心というのは無知から発生するものです。知らないから怖いのです。宴会などでの乾杯の
| 乾杯の挨拶をする人に | 2007/03/16 11:09 PM |
最新記事
カテゴリ
月別記事
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE