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2007.05.28 Monday
日本記者クラブでは映写会をしている。平日のときもあれば土曜日のこともある。時間が合う限り出るようにしている。5月19日(土曜日)に新藤兼人さんが原作・脚本・証言という映画「陸に上がった軍艦」(山本保博監督)をやった。このところ土曜日はゴルフのことが多いのだが、この日は空いていたので女房と行った。この映画は新藤さんが33歳で徴兵で海軍に行くったことの経験と敗戦になった前後のことが描かれている。海軍に入っていかに軍人が作られていくか。根性棒というもので殴られて軍人が出来ていくというおかしなことを、訴えている。一緒に入った兵隊はそれぞれが妻と子供を持っていて、休みの時には呼び寄せてわずかの逢瀬を楽しんでいた。そうした時に公園で親子が食事をしている時に上官に挨拶しなかったことで公衆、特に妻と子の面前で殴る蹴るの暴行を働く海軍の軍人。また、鉄兜が3個なくなった容疑で拷問を受けて軍法会議にかけられて無罪で出てきたが腑抜けのようになってしまった男。最後は板の戦車で訓練する海軍の状況までが描かれて、終戦になる。95歳になる新藤さんがこうした場面ごとに思い出を話す。戦争、特に海軍がいかにくだらないことをしていたか、が分かった。
 この日の日経の朝刊で「おつな寿司セミナー」で一緒の浦田憲治・日経編集委員が文化面で「城山三郎さんの遺稿から」ということで戦争体験を克明に書いていることが出ていた。城山さんは07年3月から「私の履歴者」を書くことになっていた。ところが病気で3月22日に死去したために完成しなかった。しかし、2月15日に娘さんの井上紀子さんからは15回分70枚の原稿が送られてきた。それによると「七つボタンの帝国海軍は堕落しきっていた。早朝から夜更けまで、バッターという棍棒を振り回す下士官たちや士官。それも罰するというのでは無く、ただ狂ったようにブカを殴りつけるだけ」という。城山さんは純粋な愛国心から敗戦の3カ月前に17歳で海軍特別幹部練習生として志願入隊した。徴兵で海軍に行った新藤さんとは違っているが、ひどい状態を体験したことでは同じである。
 月刊誌「BOSS」に頼まれて城山さんの作品である五島昇をモデルにした「ビックボーイの生涯 五島昇の生涯」を書いた。城山さんから財界活動の取材を受けただけに懐かしい本である。5月21日に都内のホテルでお別れ会が開かれ献花してきた。750人が参列した。
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