2017.05.02 Tuesday

観光立国を支える人たち 蒲島郁夫熊本県知事(かばしま・いくお)

 

熊本県出身。県立鹿本高校卒業後、稲田村農協勤務。68年農業研修生として渡米。74年。ネブラスカ大学農学部卒。79年ハーバード大学大学院修了。91年4月筑波大学教授を経て97年東京大学教授。08年4月に熊本県知事。16年に再選されて現在3期目。70歳。


蒲島知事は熊本地震から1年になる3月23日に外国人記者クラブで営業部長兼しあわせ部長のくまモンと記者会見をした。熊本地震での世界各国からの支援を感謝するとともに熊本の観光問題について語った。蒲島知事は米国の大学を出ているのでスピーチはすべて英語でやり質問にも答えた。


−昨年4月14日と16日のにわたる地震で観光の目玉である熊本城が崩壊する等大変な被害が起きましたが、観光業への影響はいかがでしょうか?

地震が起きるまでは観光や順調でした。宿泊客数は15年は720万人と今までの最高を記録しました。ところが地震で32万人のキャンセルが出て大変でした。県内の主要39のホテルや旅館などに宿泊数の調査していますが、16年4−6月で前年の80%、7−9月で85%、10−12月で88%と地震の前の状態にはまだ届いてはいません。観光の目玉である熊本城も19年には天守閣を復旧して、36年までには元の状態にします。20年かかります。観光業にとっては大変な被害だったのです。

−そうした中で営業部長兼幸せ部長のくまモンは活躍しましたね。

本当に活躍してもらってます。国内よりも海外で有名になりその客引き効果は大きいです。くまモンは県民の幸福度量の最大化に大きく寄与しています。熊本の認知度を上げたり、子供や年寄りに触れあって安心・安全を訴えています。会う人に夢を与えています。経済効果だけで見ても16年の関連商品の売り上げだけでも1280億円に上り、11年に登場してから経済効果は3700億円と推定してます。地震で落ち込んでいる中で頑張ってくれてありがたいことです。

−これから熊本をどのように売りだしてゆきますか?

熊本グルメツーリズム構想を打ち出してゆきます。県内にある食材、食文化、地酒、刃物、陶器など豊富にあります。そのために熊本グルメタクシーを走らせます。食業界をけん引する一流のシェフたちによる食の応援団を結成します。トマト、スイカは全国一の生産量を誇っているほかミカンも生産量は多いです。赤牛の肉や馬刺しも全国一です。焼酎も米焼酎があり、評判が良いです。19年には熊本で女子のハンドボールの世界選手権があり、ラクビーも会場になってます。それまでには地震の被害を回復されたいですね。

 

| 観光立国 | 15:24 | - | - | pookmark |
2017.05.02 Tuesday

追悼録 元日本政策投資銀行副総裁元藤和不動産会長 寺澤則忠(てらさわ・のりただ)さん 3月1日死去 享年73歳。葬儀は3月7日に都内文京区の護国寺桂昌殿で行われた。

 

 約40年前寺澤さんは日本政策投資銀行の前身である日本開発銀行の広報担当をしていた。当時は総務部の中に広報担当者がおり副長だった。総裁が大蔵省から来ており、吉岡英一氏で、副総裁は日銀から来ており渡辺孝友氏であった。吉岡総裁は体が大きく愛想のない人だった。国税庁長官、中小企業金融金庫を経て総裁になっただけにぎょろりとした目には迫力があった。渡辺副総裁は日銀では筆頭理事を務めてきた。

 池田勇人蔵相が作り、25年たった中で生え抜きの職員が副総裁に、ということが強い願望としてあった。寺澤氏や部下の大岡哲氏(元日大教授)は事あるごとに「阿部さん、何とか生え抜きの副総裁はできませんかね」と言っていた。寺澤氏も大岡氏も東大卒業であり、大蔵省や日銀に行ってもおかしくない人材である。そうした中で彼らの上司である総務部に小宮和彦次長がいた。小宮氏も日比谷高校、東大卒業でたまたま高校のラクビー部の先輩でもあった。何とか副総裁にできないものか、といろいろ情報を集めた。日銀の代わりにはいるか、副総裁を二人にするか、という話があったが日銀は副総裁のポストを離さずに渡辺副総裁の後は多島達夫氏が就任した。我々の願望は実現しなかった。

 しかし、われわれの願望はそれからだいぶたって1999年に梶田邦孝理事が初めて生え抜きで副総裁に就任し、その次に寺澤さんがなった。寺澤さんとしては先輩の小宮氏がなれなかったポストに就いたということで感無量だったに違いない。

 寺澤さんは副総裁を終えた後で藤和不動産の会長になった。藤和不動産はゼネコンのフジタの子会社で業績が悪化して三菱地所に買収された。藤和不動産は大蔵省から天下りした牧野誠一社長時代から取材してきており一時は優良企業だった。しかし、バブルの時代に不動産をたくさん買ったことの負担が裏目に出て、杉浦重厚社長の時に三菱地所に買収された。

 寺澤さんに不動産会社の会長になって大変でしょう、と話したら「不動産の経営にはタッチしませんよ。あてがいぶちをもらうためのポストですよ」と話していた。開銀と三菱地所とは池袋のサンシャインシティの建設などで関係が深い。

 寺澤さんとはいろいろなパティーであつた。財界関係の会合が多かった。そうした時に「阿部さん元気ですか?」と言って「元気ですよ。寺澤さんはどうですか?」と言って別れた。

 告別式にはたくさんの人が来ていた。朝日新聞で論説主幹をしていた大軒由敬氏と会った。「勉強会で一緒で1月の時に会った時には元気だったのにー」と話していた。また、朝日新聞の編集委員を務めた早野透氏も来ていた。東大で同期の新日鉄にいた勝井邦彦氏もいた。「勝井、何でここにいるんだ」というと「大学の法学部で丸山真男ゼミで一緒だった。早野君もゼミで一緒だ。昨年のゼミの会でも元気だったのにー」と話していた。

 寺澤さんはこうした大学時代や社会人になってからもいろいろなグループに入り交遊を深めていた。NTTデータの副社長をしていた大学同期の佐藤誠氏も「海外の視察に一緒に行ってその仲間で会を作っていた。寺澤君も必ず来ていた。こんなに早くなくなるとは」と話していた。

 昨年2月に食道がんが見つかったが放射線で治療していた。

 娘さんの希美(のぞみ)氏はザルスブルグ音楽祭でバイオリンコンチェルト・ソリストコンクールで優勝した。寺澤さんは娘さんのリサイタルなどがあると一生懸命に応援していた。


 

| 追悼録 | 15:23 | - | - | pookmark |
2017.05.01 Monday

中谷・小野寺両元防衛相が講演

中谷元、小野寺五典元防衛相が3月5日に外国人記者クラブで日本の防衛力強化について講演した。北朝鮮の核実験が迫る中で両氏はコンビよろしく「現情勢における日本の防衛力強化について」講演した。両氏も講演の後も外国人の記者に質問され、丁寧に答えていた。

| その他 | 14:06 | - | - | pookmark |
2017.05.01 Monday

飯島内閣参与が国会に不満

小泉純一郎首相の時代に影の官房長官と言われた飯島勲・安倍内閣参与が3月30日に日本記者クラブで「日本の政治を読み解く」というテーマで講演した。この中で飯島氏は「森友問題も良いが63本出ている法案のうち1本しか通っていないのは異常である。早く法案を通すべきだろう。また、小池・都知事も豊洲移転を早く決めるべきである。どんどん損害額が積みあがる」と注文を付けた。

| その他 | 14:06 | - | - | pookmark |
2017.05.01 Monday

言論NPOが世界に発信

 

東洋経済新報社にいた工藤泰志氏が代表を務めている「言論NPO」(事務所・中央区湊1丁目)が積極的に世界に情報を発信している。3月4日に」国連大学で「東京会議」を開いた。世界10カ国で自由と民主主義と世界の今後を議論する、というテーマで主要10カ国の有力なシンクタンクの代表者が集まった。米国はジェームズ・リンゼイ外交問題評議会シニア・バイス・プレジデント、英国からジョン・ニルソン・ライト王立国際問題研究所アジアプログラムシニアリサーチフェロー、イタリアはエットーレ・グレコ国際問題研究所所長などのほかインド、インドネシア、カナダ、ドイツ、ブラジル、フランス、日本が顔をそろえた。

第一セッションは前駐米大使の藤崎一郎氏が司会をして「ポピュリズムと民主主義の未来」というテーマで議論した。第二セッションは工藤代表が司会をして「グローバリズムと国際システムの今後」で激論を交わした。各国のシンクタンクの代表だけに鋭い意見を述べた。それぞれのセッションには第一では杉山晋輔・外務事務次官第二では浅川雅嗣・財務省財務官が基調講演をした。

そのあとは岸田文雄・外務大臣が特別講演をして終えた。

こうした招待者の費用は言論NPOが負担している。この東京会議の前には難民問題で議論をしている。このように経費を負担できるのはこのNPOが設立して16年たち財政基盤が確立しているからである。マスコミ出身の工藤理事長がこうした言論NPOを作るのは初めてであり、国際問題が複雑になってい時に貴重な存在だろう。

| その他 | 14:05 | - | - | pookmark |
2017.05.01 Monday

和田・住団連会長がマスコミに不満


和田勇・住宅生産連合会会長(住団連・積水ハウス会長)は住宅業界の業績が良いうえに、自社も増収増益ということでご満悦である。3月21日に開いた理事会後の記者会見でも満面に笑みを浮かべて滑らかにしゃべった。17年度の事業計画では「質の高い住宅ストックの形成」「既存住宅流通市場の活性化」「住生活の工場と強い経済実現に向けた税・財政・金融制度の構築」「諸外国との交流・情報発信」を述べた。その中で今年11月9,10日に東京で開く「国際住宅協会」(IHA)中間総会には米国、カナダなど15カ国が参加して18年に開かれる総会に向けての準備をする。
和田会長は「この中間総会は住宅業界としては1984年以来のことでありマスコミもいろいろ宣伝してほしい」と要望した。そうした時にある記者が「宣伝するにも資料もなく、書きようがない。もし宣伝してほしいならば、この協会についての会長とか何をしている団体なのかを書いてこなくてはやりようがない」という文句が出た。

これには和田会長も「まだ、先があるのでこれからいろいろな資料を出してゆく」と事務局に申し渡した。この協会は各国の住宅情勢などについて意見交換するものであり、ここで何かを決める協会ではない。悪く言えば単なる親睦団体だ。そうした協会に対してマスコミがどんな宣伝ができるか。営業出身の和田会長としてはなんでも大きく書いてくれればよいというセンスでマスコミに対しての感覚ではこれから消費税などいろいろな問題に対処していけるのか、心配である。

 

| その他 | 14:05 | - | - | pookmark |
2017.05.01 Monday

朝日新聞社が社主制度を廃止か?

朝日新聞社は創業者の村山龍平、上野理一の後継者が社主として残っている。上野家の社主だった理一氏の曽孫の尚一氏が16年2月に79歳で死去した。お別れ会は渡辺雅隆社長が最初にあいさつし、そのあと友人代表の渋谷幕張学園の田村哲夫理事長の他に京都博物館の佐々木丞平館長が弔辞を読んだ。朝日新聞社が主催しただけに1000人の人がお別れに来た。

現在は村山家からは美知子さんが社主になっているが、子供がない。 一方、上野家の方は尚一氏の弟の信三氏と甥の貴生氏(克二氏の息子)が大株主に連なっている。尚一氏は村山美知子氏と同じ11・02%になっているが貴生が1・56%、信三が1・54%になっている。

村山美知子氏が90歳を超える高齢なので死去した場合は後継者をどうするかの問題が出てくる。渡辺社長は上野家の関係者に「君は社主にはなれないだろう」と話したと、言う。これに対して村山家は「社主をなくすとは何事か?」と怒っている、という。渡辺社長が上野家の関係者に気楽に話したことは本音だろうが、村山家にとっては社主制度を廃止することには抵抗するだろう。

| その他 | 14:04 | - | - | pookmark |
2017.05.01 Monday

老人の出張歴史教室が人気

 「挑戦するシニア」という会が世の中のためになることをしようと活動している。朝日新聞の編集委員を務めた早房長治氏(80)が代表になって朝日新聞にいた見市元・元東京経済部長、毎日新聞にいた牧野義二氏など70歳以上の500人ほどがメンバーである。この会では毎月都内の事務所に集まり勉強会をしている。2月は米国のトランプ政権についてみんなで議論してその成果をホームページに載せている。このほか若い演奏家を世の中に出そうと毎年2回コンサートをしている。5月25日午後7時からトランペットの高見信行とピアノの鈴村真貴子が千代田区にある「いきいきプラザ」で7回目の演奏会をする。

 そのほか今の若者が歴史について知らないことが多いと「子供と若者のための出張歴史教室」を始めた。メンバーが先生になって中学生を相手に講義する。3月10日に新宿区立・西戸山中学で早房氏が午前中に50分ほど講義をした。戦後の日本についての話をしたところ中学生約30人は知らないことが多いために真剣に話に聞き入っていた。13日、14日と3日間行った。最終日は元ニッカウヰスキー社長の広瀬忠夫氏が講師になって戦後の項目を表にして説明したところ、「非常にためになった」と終わった後もいろいろと聞いてきたという。教師からも老人が経験したことをわかりやすく話してくれたので良かった。これからも続けてゆきたい」と評判は良かった。「挑戦するシニア」は引き続いてこの歴史教室を続けてゆく方針であり、希望する学校を求めている。

 

 

 

| その他 | 14:03 | - | - | pookmark |
2017.04.01 Saturday

追悼録 ナムコ(現バンダイナムコホールディングス)創業者 中村雅哉(なかむら・まさや) 1月22日死去。享年91歳。お別れの会は3月21日帝国ホテル東京で。

 今やビデオやパソコンを使ったゲームは日本のお家芸であり、各国から注目されているが、こうしたアミューズメント業界を作り上げてきたのが中村さんである。鉄鋼や自動車、家電など物づくりが幅を利かせている日本の経済界では隅のほうにちんまりしてきた。20年以上前になるが、東京商工会議所のパーティーで中村さんを見かけた。誰もそばにいないので当時は財界担当の記者だったので名刺を出してあいさつした。「記者さんですか。何かあれば遠慮なく会社に来てください」と言われたことを覚えている。体が大きく黒っぽいのグラスの眼鏡をかけていた。

東京・神田で生まれた。家は銃砲店をしていた。戦後のものがない時代であり、狩猟用の銃砲の需要は多かった。横浜国立大学工学部の造船科を出た後、忙しかった家の仕事を手伝った。しかし、規制が厳しく販売するのにはいろいろな許可が必要で大変だった。父親に何とかするように言ったことから再三喧嘩になり7年務めた後に独立した資本金300万円で東京・池上に中村製作所を設立した。29歳であった。光子夫人の実家の一室に間借りしてのスタートだった。何をするかも独立してから考えていった。思いついたのが遊戯類を設置する営業である。古い木馬が2台あったのでそれを販売することから始めた。

 当時は人が集まるのはデパートであった。大学の時代に通った横浜市伊勢佐木町のデパート「松屋」に営業に行き木馬2台を設置したのが最初の仕事になった。中村さんは東京のデパートにも売り込みをかけた。トップの三越は岩瀬英一郎社長は「屋上に木馬などはとんでもない」とけんもほろほろである。中村さんは屋上に遊戯類がなければ「百貨店でなく九九貨店ですよ。何とか考えてください」とあの手この手でプッシュした。63年に松田伊三雄社長の時に納入できた。

勝負に出たのは74年である。当時の資本金の2倍を投じて米国アタリの日本事業を買収してビデオゲームに進出した。ビデオ開発では業界では腕利きの石村繁一氏が入社して開発技術を徐々に蓄積していった。80年には「パックマン」が発売され世界でもブームになり業務用ゲーム機でギネスにも登録された。2010年8月には「国際ビデオゲームの殿堂」に基礎を作った先駆者5人の一人としてパックマンとともに選出された。

中村さんは仕事には厳しかった。新製品についてはネーミングからチェックする。部下でバンダイナムコホールディングスの石川祝男会長は「私がモグラ退治の後のワニ退治の危機を作った時、ワニワニパニックというネーミングにしたいと言ったら、チェックが入り認められなかった。何とかパニックという言葉を使いたかったので5回説得をした。それでやっと認められた」と話している。しかし、「若手のやりたいことは積極的に認めてきた」と石川氏。

ワニワニパニックはその後、カニカニパニック、サメサメパニック、タコピカパニックとパニックシリーズに続いた。

胃がんで全摘手術をした後、96年に現役復帰して社長になった。1年の3分の1は海外出張し、国内にいる時には深夜に起きて仕事の構想を練り、早朝の散歩から帰ってひと眠りして出社していた。こうした元気さも90歳を超えると体が思うようにならなくなった、という。

「遊びはオニが作る」ということを新聞のインタビューの表題にしたように、子供のころの鬼ごっこがアミューズメント産業の原点である、と主張していた。

 

| 追悼録 | 06:13 | - | - | pookmark |
2017.04.01 Saturday

独・仏・蘭の駐日大使が共同記者会見

 

 今年は欧州の選挙の年なので、そうした状況についてティエリーダナ・仏大使、ハンス・カール・フライヘア・フォン・ヴェアテルン独大使、アルト・ヤコビ蘭大使の共同会見が3月17日に日本記者クラブで行われた。各大使はそれぞれの国の状況について説明した。ドイツ大使は移民問題で苦労していると述べた。

| その他 | 06:11 | - | - | pookmark |
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