2008.06.24 Tuesday
旧友が7人来て大宴会

 84歳の恩師との修学旅行について書く。14日の夜は大垣先生の旧友、多川茂雄さんや森善明さんなど7人来て大宴会になった。杖を突いてわざわざ大垣先生に会いに来た人とか、夫婦で来た人もいた。旧友の人たちから刺身の舟盛がデンと正面に飾られて宴会を華やかにした。この舟盛がきれいなので写真に撮る仲間もいた。最初に大垣先生が挨拶して「こうしてわざわざ私のために来ていただきありがとう」と述べた。ついでに中学側の挨拶を「阿部やれ」と言うことで立ってお礼の挨拶を述べた。
 「大垣先生にわれわれが教えてもらい今年で50年になります。本当に長い付き合いです。その先生が修学旅行に行こうと言うので14人が来ました。九州の佐賀県で弁護士をしている河西君や和歌山で先生をしていた広瀬君なども駆けつけました。先生がいかにふるさとを大事にしているかが分かりました」
 その後、大垣先生の友人代表が歓迎の挨拶をした後、乾杯して食事に入った。昼と同じように料理ごとに料理長の俳句が書かれていた。魚がおいしかったことと石川県の地酒「手取川」「菊姫」「天狗舞」などが料理に合っていた。
 しばらく雑談していたら河西弁護士が突然立ち上がって次のような挨拶をした。
 「私は先生の教え子で子分のような者です。先生にはいろいろ教えてもらい今の私があります。今日、先生のふるさとに来た皆さんにお会いしたことは本当に良かったです。先生を大切にしてください」
 女性は酒をあまり飲まないがこの日は魚がおいしかったこともあり飲んでいる人もいた。森さんは夫婦で来ており、先生と楽しそうに話していた。足の悪い夫婦の1組がかえると言うことで、見送った後で、みんなで記念写真を撮った。帰る前にみんなで撮ればよかった、と言う話が出た。先生の友人の話を聞いていると、先生はみんなから頭が良いと言うことで期待されていたことをひしひしと感じた。
15日は朝8時からバスに乗って聖興寺に在る加賀の千代女の「朝顔に つるべとられて もらい水」の句碑を見た。国語の先生の大垣さんは得意満面に解説した。その後、昨日の宴会に出た多川さんのお屋敷に行き見学した。多川邸は大地主であり、見学コースになり料金を取っている。われわれは勿論無料にしてくれ、多川さん本人が説明役になった。その後で先生が好きだった「円八のあんころ餅」を円八本店で食べた。おいしかった。

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2008.03.24 Monday
前回の続きを書く。1月13日の朝に原昭夫君が合流した。沖縄に10年いた原君に今回の旅行の計画を作ってもらったことは前回に書いた。我々6人はガイドさんが来てほっとした。運転手の関君が一番喜んだ。最初に行ったのは名護市役所である。ここは原君が市役所をはじめ道路などの設計をしたところである。東大の都市工学を出ているだけに市役所の設計では風の通りが良いように作った。夏でもクーラーは使わないで済むという。この日は休日であったが、開いている市役所に行っていろいろ説明を受けた。その間にいろいろな人が「原さん,久しぶり」と声をかけてゆく。元市長の人もたまたま来て、挨拶していた。
 名護市の博物館に案内された。この博物館は原君が手作りで作った、というだけに懐かしい沖縄の日用品などが飾られていた。農家の模型があり便所と豚が同じところに生活して、人が出したものを豚が食べる、というのが当時としては当たり前であった、という。今で言う資源のリサイクルである。沖縄の生活をそのまま再現した博物館であった。
 そのあと、世界文化遺産に指定されている今帰仁城(なきじんじょう)に行った。14−15世紀に北山王(ほくざんおう)が住んでいた城跡である。すでに寒緋桜が咲いていた。沖縄が暖かい、ということを実感した。
 その後、沖縄海洋博覧会で作られた「ちゅらさん水族館」に行った。入場料が1500円というのは「たかいなあ」と感じたが中に入ったら値段以上のものが見られた。大きな水槽の中をマッコウクジラやエイなどが目の前で泳いでいるのは壮観である。この水槽は日本でしか作れない、と原君は解説してくれた。休日ということもあって子供連れが多かった。
 夜は原君の知っている現地の人との交流会である。磯味酒処「するじな」に沖縄県立沖縄工業高校の木下義宣さんなど4人ほどが集まった。この日は成人式なので荒れる成人式で有名な沖縄にはたくさんの報道陣がきた、と木下先生は話していた。基地の街だけに集まった人たちは米軍に対して不満を漏らしていた。沖縄名物の泡盛を飲みながら意見交換をした。次回は基地の街沖縄について書く。
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2008.03.03 Monday
 女房と娘が3年ぐらい前に沖縄に行って明るい空ときれいな海岸の話をしていたので沖縄には行きたいと思っていた。そうした時に九段中学校の同期生である原昭夫君が皆で沖縄旅行をしようという提案をした。それでは同期生で行こうと言う話になったが、原君の奥さんの具合が悪くなってこの話は無くなった。昨年秋に同期生の関光男君が1月12日から14日の3連休に「みんなで沖縄に行かないか?」と呼びかけた。その話に乗った。韓国にも一緒に言った大熊秀治君や小坂信一君などが行くことになった。
 その時に「原君にも声をかけて企画をしてもらおうよ」と言って、原君と連絡した。原君は早速「3年前の時は女房の調子が悪くて申し訳なかった。俺が案内するよ」ということになった。すぐに2泊3日の計画を作ってくれた。打ち合わせの会の時には沖縄の「ちゅらさん言葉」まで解説してくれた。原君は沖縄の名護市に10年ほど勤務していた。知り合いもたくさんおり、名護市では市民との交流をする、という企画まで作ってくれた。単なる観光ではなく沖縄の本当の姿が分かる、ということで楽しみであった。
 私はJALのマイレージがたまっているので、「航空券は自分で買う」ということを旅行会社に伝えた。07年11月にマイレージで申し込んだら、既に一杯で買えない。仕方がないので普通に買った。その後で旅行会社から「残波岬ダイワロイヤルホテルズが取れないので、どうするか?」と言って来た。みんなと一緒のホテルが良いので知り合いの全日空の監査役である大野晃二さんに頼んだところ、取ってもらい一緒に泊まれることになった。
 総計7人での旅になった。ところが案内人になる原君が急に12日は都内で仕事が出来て13日から合流することになった。仕方がないので6人で原君が作った日程で旅することになった。那覇空港に下りてレンタカーを借りて、関君が運転することになった。最初に昼はソーキそばを食べろと言うので、「ひめゆりの塔」に行く途中のそば処「萬謝」でソーキそばとゴーヤチャンプル、生ビールを頼んだ。ソーキそばもゴーヤも期待にたがわずにおいしかった。海べりにあるホテルには夜は食べるところが無いだろうからとホテルに行く途中の一杯飲み屋に入った。庶民的な店で料金も安く家族できていたおじさんが余った料理をくれるなど楽しかった。
 翌日に原君が一緒になり名護市での市民交流などがあった。その話は次回書くことにする。
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2007.11.09 Friday
 埼玉県の奥にある秩父はセメントの原料で有名である。その秩父で明治時代に貧しい人が集まって「秩父困民党」を作ったのは教科書で習った。この秩父困民党の人がロケット花火を上げた。その慣習が「椋神社」への奉納という形で残っている。この花火を見た後、温泉に入って翌日ゴルフをしようという誘いがあった。不動産協会の常務理事であった松本隆正さんと日経OBの四方田武紀さんが幹事である。昨年は10月10日前後の連休だったが、今年は10月14日の日曜日に見学して翌日にゴルフというスケジュールであった。
 14日はたまたま次女が来ており、午前9時過ぎに帰えるというので一緒に出て、西武池袋線の池袋から準急で飯能まで行き乗り換えて西武秩父駅に着いた。そこで松本さんや高層住宅協会の常務理事であった伊豆田道雄さん、西部不動産のOBの森博さん、住宅新報の福士肇さんなどと一緒になった。日刊工業OBの大越武さんは昭島の自宅から歩いてくる、という。バスで500円で約30分で秩父市吉田町の椋神社に着いた。すでに場所は取ってあり四方田さんが座っていた。会場にはいろいろな旗が立ち、弁当を食べたりなべを囲んだりで混雑していた。
 ビールで乾杯をした後は日本酒や焼酎を飲みながら次々に打ち上げられる花火を見た。打ち上げる前に説明がある。ちちぶ農協は「龍昇天分身の術」という花火の説明をやぐらに登ってする。説明の文句が独特であり、数年前に見た新潟・長岡の花火を思い出した。秩父林産会や大亀建業グループなどが花火を上げた。
 花火は高さを競うとともに竹の棒につけられた文句を読むのが面白い。「さわどいとこ会」の花火には花の木小学校の児童の寄せ書きがパラシュートで落ちてきた。ある花火が横の方に飛んでいって、竹の棒が農作業中の農夫に当たり大怪我をして、1時間ほど中断した。午後5時過ぎには33発の花火があげられて、楽しんだ。表彰された花火は午前中に上げられたものばかりで、私たちは見なかったものだった。その後、上吉田にある民宿「かおる鉱泉」で温泉に入り、ゆっくり酒を飲んで寝た。翌日は午前7時に食事して8時過ぎのスタートで廣済堂埼玉ゴルフ倶楽部で回った。102をたたいたが、6人のうちの準優勝だった。「来年も来よう」ということになった。
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2007.08.09 Thursday
 ゴルフは30年近くやっている。朝日新聞経済部に来てから初めて姉ヶ崎ゴルフ倶楽部でハンディ15でプレーしている。歳をとるとともに飛ばなくなり、ハンディ15は維持するのは難しくなっている。しかし、青空の下で白球を思い切って飛ばすのはストレスの解消になる。今年4月29日に経済部の現役とOBで行っている「QKGゴルフ」という会があった。厚木国際カントリークラブで開かれる事が多い。プレーの後で本厚木の居酒屋で10人が集まり反省会をした時に、誰言うと無く「一回名門の川奈でプレーしたい」という話になった。お節介やきの私が「私の知っている人に頼めば何とかなる」と言ってしまった。それではプレーしようという事になった。翌日に西武グループのグランドプリンスホテル赤坂の針木陽介営業部長に連絡したところ1泊で朝食、昼食付いて55000円という。その値段でOKというのが5人いたのでやろうという事になった。私は川奈でプレーするのは4回目である。バブルの時代に3回やり、バブルがはじけてから、初めてである。
 7月29日の日曜日にプレーすることになり、28日に泊まる事になった。伊東の駅からタクシーに乗り川奈に行くのが早い。伊藤暢生・BS朝日取締役、森精一郎・ベルマーク教育助成財団常務理事と踊り子号で午後5時8分に着く事にした。川奈ホテルに着くと既に武内健二・役員待遇(社長室長)と久保田泉・役員待遇(財務担当)が夫妻で来ていた。ホテルで食事をするより外の魚を食べに行こうという事になりタクシーで10分ほどの川奈港のそばの海女小屋という店で食事をした。カニとえびの味噌汁が名物で、大きなおわんに入っていた。焼酎を飲みながらゴルフの組合せを阿弥陀くじで決めた。その時にベストグロスを私が取れば皆から100円で他の人がとれば私が3000円出すという変な掛けをした。それもお座興ということで了解した。
 ホテルに帰って7人で軽く飲んで翌日に備えた。朝8時14分スタートで武内夫妻と森君と第一組である。前半は快調に飛ばし44で回わった。ところが後半に入り最初のショートで重いラフに捕まり6叩いて調子を崩し、その上、次のショートでシャンクしてOBと散々だった。結局54も叩く事になり98だった。武内君の奥さんが97で回ったのでベスグロを取られて3千円を払う事になった。このことをのぞけば、天気も良く気持ち良くプレーをした。皆も、料金が高かったのが、それ以上に名門コースを堪能したようだった。
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