2009.04.13 Monday
財界総理の看板が泣きますよ 

御手洗冨士夫・日本経団連会長は09年5月になると3年務めることになる。任期は4年なので後1年余りある。キヤノンという精密工業界の代表だけに、歴代、重厚長大の会社から出ていた会長に軽薄短小の会社の出身が初めてなるだけに期待が大きかった。ところが就任してから自民党政権と景気と同じに評判は落ちるばかりである。私が財界を見守ってきて身近に接触した第4代の土光敏夫会長以来、第11代の御手洗会長まで8人の会長の中で、これだけ評判の悪い会長はいない。第6代の斎藤英四郎会長(新日鉄)も同じ新日鉄の稲山嘉寛会長から引継ぎ、新日鉄の私物化といわれ、石川六郎・日商会頭や石原俊・同友会代表幹事ら仲良しグループで財界をサロン化した、という批判はあったが御手洗会長ほどではない。
 御手洗会長は就任早々にキヤノンの偽装請負問題でマスコミの批判を浴び、道路特定財源問題では二枚舌と書かれ、朝日新聞への広告出稿を止めるなど子供じみた振る舞いが相次いだ。しかし、これまでは許せるとしても09年2月に大分県のキヤノンの工場建設を巡りコンサルタント会社「大光」の大賀規久社長が法人税法で逮捕されたことは、経団連会長として恥ずべきことである。御手洗会長は「私はこの問題に関与していない」「長年の友人だが弁護するつもりは無い」と逮捕された日にコメントしたが、それで済まされる問題ではない。
 大賀被告の兄とは大分県・佐伯鶴城高校で同級生で、同じキヤノンに入社した親しい仲間である。弟の大賀被告とも今まで親しく付き合ってきた。こうした関係があるのに「弁護するつもりは無い」では済まされないであろう。高校時代の友達と親しく付き合うのは許されるだろうが、犯罪人が経団連の会長の身辺で動き回り、ゼネコンや電気工事会社から斡旋料として多額のカネを巻き上げ、それを脱税し、キヤノンの株を買っているなどと嘯(うそぶ)いていることは許されない。この問題は、これから政治家にも波及するという見方が出ている。そのたびにキヤノンの名前と大手ゼネコンの鹿島の名前が出て、御手洗会長との関係の談話も出てくることになる。
 経団連は平岩外四会長の時代に「企業行動憲章」を作り現在までに3回改定している。その中で「経済人は疑惑を招くような行動はしてはいけない」という項目がある。大賀被告は御手洗会長と親しいことを吹聴しキヤノンに入り込み、ゼネコンからカネをとるということはこの倫理憲章に違反しているのではないか?一刻も早く財界総理の名前を汚さないためにも退陣すべきであろう。

 1年前から大賀被告の会社が問題になる 

大賀社長が逮捕される約1年前の07年12月にゼネコンの鹿島が総額約6億円の所得隠しをして東京国税局から指摘された。この時に経理ミスを含めて申告漏れ総額は約30億円と見られた。鹿島はこの使い道は明らかにせずに使途秘匿金として制裁課税は約5億円に上った。この裏金の舞台になったのはキヤノンの大分市内の工場の建設工事である。鹿島はこの秘匿金を工事受注の仲介をした大光に支払っていた。この時すでに大光の名前が出ており、御手洗会長は記者会見で「一言で言えばまったく関係が無い。大変迷惑している」と述べている。この所得隠しが1年後の09年2月に大賀社長が脱税事件の法人税法違反で逮捕されることになった。
 大賀社長が経営する「大光」「ライトブラック」「匠」の3社は「大分キヤノン」工場の造成・建設など4事業(受注総額824億円)を受注した「鹿島」や電気設備工事大手の「九電工」(福岡市)などからコンサルタント料などの名目でカネを受け取った。このカネを隠したことで問題になった。建設業界によるとキヤノンの工事はもともと大林組が請け負ってきた。この工事をひっくり返すために鹿島は大賀被告に取り入るためにこうした裏金を支払った、といえる。
 大賀社長は御手洗会長と同じ高校を中退して、兄と親しくしている御手洗会長に近づいた。御手洗会長は30歳の時に米国のキヤノンの営業網を作るために渡米して23年間いた。帰国してからは日本に親しくしている人も少ないことから故郷の友人の大賀兄弟と親しく付き合うようになった。大賀社長は御手洗会長が大分に来ると車の手配から食事の場所まですべて手配していた、といわれる。御手洗会長のそばを離れなかった。
 鹿島の元幹部はキヤノンの工場の完工式に大賀社長は招かれないにも関わらず、御手洗会長の隣に座っていた、のを見て腹が立った、という。
 「大光はうちから見たら下請けですよ。それなのにお施主のキヤノンの席にちゃっかりいるんだからおかしいと思った」
ゼネコン業界のある幹部は「大賀社長は大分では御手洗さんの特別秘書のように振舞っていた」と怒りをこめて話した。こうしたことを見てキヤノンの関係者は大賀社長を無視できなかった。大賀社長はキヤノンを通して大分県に対して「鹿島に入札できるようにして欲しい」という文章を出した、といわれている。
 大賀社長が逮捕された後、NHKは御手洗会長の所有の大分駅前の駐車場の管理は大光が請け負っている、と報じた。御手洗会長は大賀社長とは関係を持っていない、と言いながらこうした仕事を任せていた。御手洗会長は「死んだ女房の土地を大賀さんに任せていた。すぐに解約する」とテレビニュースでは報道していた。
 御手洗会長の自宅は大賀社長の兄の経営している工務店が作った、といわれている。
 大賀社長が逮捕された日に「大賀さんの行動を私はまったく知らなかった。社内で再調査して、事件にキヤノンと私の関与はまったくないと再確認されている」と述べた。また、キヤノンの広報は、大賀社長の実兄とは同級生で「昔は飯を食べたり、ゴルフもやった」と説明している。
 また、道義的責任について聞かれて「特別に考えてはいない」と答えるだけだった。

 3回も国会で参考人招致の要求 

経団連の御手洗会長は就任早々にキヤノン偽装請負の問題で各方面から非難されてきた。派遣労働者については3年までに正社員にしなければ労働者派遣法に違反することになる。このために派遣社員を請負の社員に変えてしまう。請負の労働者については、キヤノンの社員は仕事について指導や指揮はできない。ところがキヤノンでは派遣労働者と同じように使ったために、宇都宮や大分で労働基準監督署から指導されてきた。キヤノンで働く宇都宮の労働者は違反行為を法的に訴えた。
 07年2月に衆院予算委員会で民主党の枝野・筆頭理事が経済財政諮問会議の議員である御手洗会長の参考人招致を要求した。この動きは社民、国民新党、共産党と野党4党の国会対策委員長会議でも同調し参考人招致を要求した。同じ年の福田内閣の初めての代表質問で鳩山由紀夫民主党幹事長が御手洗会長の参考人招致を要求した。いずれも自民党が反対して実現しなかったが、経団連会長が偽装請負の問題で再三、国会に呼ばれるという報道がなされることは前代未聞である。こうした動きにキヤノンは派遣労働者などの非正規社員1000人を正社員にするなどの方針を決め対応をした。
 偽装請負の問題を積極的に報道した朝日新聞社に対して06年11月からほぼ1年間にわたり広告の出稿をストップした。きっかけは御手洗会長が道路特定財源について、経済財政諮問会議では一般財源化に賛成し、経団連に帰えればと特定財源に賛成するということで2枚舌と報じたことである。この問題について07年11月に日本記者クラブで「言論統制ではないか?」という質問に対して「言論統制の問題ではありません。悪口を書かれた新聞社に広告を出しても効果がないということです」と答えた。こうした考え方に同じく偽装請負問題で報道されてきた松下電器産業の中村邦夫会長(経団連副会長)も同調して、朝日新聞社に広告を出していない。
 御手洗会長を選んだ奥田碩・トヨタ自動車相談役も、年金問題の審議会で「あまり悪口を書くなら広告でも止めてしまおうか」と発言して顰蹙を買った。御手洗会長の広告出稿のストップはさまざまな影響を及ぼしている。

 安倍首相との蜜月関係が民主党との関係を悪化 

御手洗会長は06年5月に就任し、翌年の1月にこれからの方針である「希望の国へ」と題した御手洗ビジョンを発表した。前任者の奥田会長も奥田ビジョンを発表しておりこれに習ったものである。御手洗ビジョンでは道州制の導入と労働市場の改革について述べている。労働市場の改革では規制を緩和して派遣労働者など非正規労働者を企業が使いやすいようにすべきである、と述べている。残業代ゼロと評判の悪かったホワイトカラー・エグゼプション(WE)の導入もすべきであるとしている。こうした経済的な課題のほかに愛国心の高揚が必要である、として国歌と国旗についての教育をする必要があると述べている。
 同じ時に成立した安倍晋三首相の「美しい国へ」という戦後の清算を目指し憲法改正をしようとしたことに同調した。朝日新聞はこの御手洗ビジョンに対して批判的に報じたことも広告出稿停止の一因になった。
 歴代の会長は政治に対しては臆病なほど発言を控えてきたし、自民党だけに偏ることを警戒してきた。細川政権になり自民党が政権を失った時の平岩会長時代には政治献金も止めたほどである。ところが御手洗会長は安倍首相と一体となって行動した。
06年11月のベトナム、07年4月の中東、同年8月のインド・インドネシア・マレーシアの安倍首相のミッションに経団連は同行した。中東には180人もの経済人が同行した。こうした首相のミッションに経団連が同行したのは初めてのことである。経団連の月刊誌「経済Trend」の07年1月号で御手洗会長は安倍首相と対談して「美しい国と希望の国とは合い通じるものがありますね」と話している。こうした御手洗経団連に対して品川正治・経済同友会終身幹事は
「私は御手洗ビジョンは認めない。米国崇拝、成長原理主義者が作った傲慢極まりない代物で全否定する。法人税を減らし、消費税でまかなえだの、非正規雇用やホワイトカラー・エグゼプションの実現を急げだの身勝手もいいとこですね」
と月刊誌の対談で語っている。
こうした安倍首相にべったりの御手洗経団連に対して、次の福田首相は批判的であり一歩距離を置いていた。福田首相やそのあとの麻生首相のミッションには経団連は同行していない。
民主党とのパイプはできていないといってよいだろう。労働組合出身者も多い民主党の議員の中には「御手洗会長は労働問題について理解していない。今年の難しい春闘についても経団連はどのように対応するか不安である。昔の日経連があったほうが良かった」と話す人もいる。日経連の事務局が経団連の事務局に押されてしまい、影が薄くなっていることも影響しているのだろう。
経団連の下部組織に東京経営者協会がある。日経連の時には会長は鈴木永二・三菱化成工業会長(現三菱化学)や諸井虔・秩父セメント会長(現太平洋セメント)が勤めるなど重要ポストであった。ところが統合してからは日の当らないポストになってしまった。経団連副会長が付くが、NTTの和田紀夫会長の後に味の素の江頭邦雄会長になったが07年6月に病気で退任した後は新任の氏家純一・野村ホールディングス会長が就任するなどめまぐるしく変わっている。
経団連は自民党と同じように民主党とも定例の話し合いはしている。しかし、政策評価にもとづいての企業の献金は07年は自民党29億1千万円に対して民主党は30分の1以下の8千万円である。06年は自民党は25億3千万円なので4億円ばかり増やしているのに民主党は8千万円で変わりは無い。御手洗会長の参考人招致がこうした政治献金に影響しているものと見られる。08年9月に発表された政策評価では自民がA評価が10個あるのに民主はゼロである。08年の献金も自民党はさらに増え、民主党は減るのではないか。

 御手洗会長は昨年1月に2年続投を決める

御手洗会長に対してキヤノンの偽装請負問題や民主党など野党からの参考人招致の要求やキヤノンの工場建設をめぐる裏金問題で1期2年で終わるのではないか、といううわさが経済界で流れていた。ところが、08年1月15日の記者会見で5月で任期が切れることについて「これまでは仕入れの期間で後半の2年間で成果を上げて行きたい」と事実上の続投宣言をした。09年1月には副会長を現在の15人から1人ふやして16人にして体制を強化することを決めた。28日には副会長に東芝の西田厚聡社長、トヨタ自動車の渡辺捷昭社長、新日鉄の宗岡正二社長を当てることを内定した。張富士夫・トヨタ自動車会長、三村明夫・新日鉄会長が退任することに伴うものである。09年5月の総会で正式に決める。こうした体制作りを進めている2月に大賀社長が逮捕された。それでも御手洗会長は「退任しない」と強気の発言をしている。
経団連会長は初代の石川一郎氏が8年、2代目の石坂泰三氏は12年のように長く勤めた人を除くと土光氏や稲山氏の時代は3期6年だった。それが2期4年と変わったのは、斉藤氏の時である。この時は斉藤会長が2期4年やり、3期目に入っていた。斎藤氏が就任した時は同じ新日鉄の稲山経団連会長が平岩氏を含めて3人で「1期2年で平岩氏に代わる」という密約をしたといわれる。ところがこの稲山氏が死んでしまい斉藤氏は2期やり、3期目のときに交代説が出た。ある経済誌が斎藤氏を辞めさせようと「斉藤会長は暗愚の帝王」とまで書いた。こうした書き方に斎藤氏は怒って続投を決めた。しかし、経団連の中で不協和音が出てきて、当時の副会長の松沢卓二(富士銀行会長)、佐波正一(東芝相談役)、八尋俊邦(三井物産会長)の各氏と平岩氏で「4人委員会」を作り、会長は2期4年とし、70歳以下の副会長から会長を選ぶという内規を作った。新しく作った内規で斎藤氏は90年12月に退任し、平岩会長になった。
こうしたことを見ても経団連の会長は自ら辞めることをしない限り、外から退陣要求をしても効果はない。御手洗会長がどんなことが起きても2期4年勤めるといえばそれまでである。「辞めるべきである」と御手洗会長に勧告できるのは御手洗会長を選んだ奥田名誉会長であろう。歴代の会長である豊田章一郎氏、今井敬氏なども退任勧告ができる候補者であろう。しかし、各氏ともこうしたややこしい問題には手をつけないであろう。経団連会長の名前を汚さないためには御手洗会長が出処進退を自ら決めるしかないだろう。
| 経済・財界 | 08:14 | comments(0) | - | pookmark |
2009.04.11 Saturday
 建設業界を経済部記者の立場から取材を始めてから約25年ほどたつ。静岡県で談合事件があり、それをきっかけに建設業の談合問題が暴かれ始めて、当時の日本土木工業会(土工協)の正副会長が辞任するという事件もあった。1993年から94年にかけては宮城県知事や仙台市長が逮捕されるという汚職事件があった。こうしたことから脱皮して新しい建設業界を作ろうという動きは昔からあった。私が財界を担当している時にリクルート事件が起きて、建設業界も企業倫理について勉強しようということで日建連の主催で講習会なども開かれた。
 この建設業界が07年12月に「日本建設業団体連合会(日建連)等企業行動規範2007」を作った。ー匆馘使命と役割の遂行公正かつ誠実な企業活動の実践人間の尊重ぜ匆颪箸龍生、である。この取り組みを支援、促進するために毎年10月を「企業行動規範実践推進月間」と定めた。この一環として08年10月に「建設業の企業倫理と今後の企業行動のあり方」と題して、記念のシンポジウムを開いた。最初に谷本寛治・一橋大教授が「建設業と今後の企業行動のあり方」という基調講演をした。その中で谷本教授はCSR(企業の社会的責任)について詳しく述べて、実践してゆく必要があると強調した。その後は大学教授、建設会社の役員、ジャーナリストなどのパネルディスカッションが行われた。

 ところがこうした取り組みに水をさすような事件が11月に起きた。ゼネコンの準大手の「西松建設」で裏ガネ問題が出て、元海外事業部副部長が外為法違反で逮捕された。海外で裏金を作り、受注工作に使っていた、という内容である。このカネが国内に運ばれてどこに配られたか、を捜索するために国沢幹雄社長の家宅捜査も行われた。国沢社長は同社としては初めての事務系の社長であり、その手腕が期待された。事実、同社は前回の汚職事件で副社長が逮捕されたこともあって、リゾート事業などには手を広げなかったことから焦げ付きも少なく業績は良かった。
 国沢社長は管理本部長を務めていたことからこの裏金について、何らかの関与をしていたのではないか、という疑惑も出ている。東京地検はこの裏カネが日本の政治家に流れたのではないか、ということで捜査をしている。
 ゼネコンは50万以上の会社が受注競争をしており、競争が激しい。そうした中で公共事業費は減らされてきており、民間の建築需要も景気の停滞で少なくなってきている。そうした業界では受注を取るためには「何でもあり」という営業方針が社内で認められやすくなっている。社長の家まで家宅捜索されるようではせっかく努力している建設業界の企業倫理が疑われてしまう。業界の「業」の深さを感じる。
| 経済・財界 | 08:07 | comments(0) | - | pookmark |
2009.02.26 Thursday
11月3日心不全のために死去。享年91歳。お別れの会は12月18日に都内のホテルオークラ東京で。
 最初に会ったのは河合さんが経団連の産業政策委員長の時であった。温厚で静かな人というのが最初の印象であった。当時の経団連会長は新日鉄の会長であった稲山嘉寛さんだった。稲山さんは私に対して「河合さんは将来の経団連を担う人ですので、よろしく育ててくださいよ」と洒脱な口調で話していた。稲山さんは通産省の後輩ということからか河合さんをいろいろなところで使っていた。稲山さんは当時、昭和電工の鈴木治雄さん(故人)とともに経団連を背負う人ということで教育をしていた。
 そうした教育が良かったのか、稲山さんの後の斎藤英四郎さん(故人、新日鉄会長)の会長時代に副会長になり6年間努めた。人柄が温厚ということもあって、目立つ存在ではなかった。経団連が行う夏のセミナーでは夫人の淳子さんのほうが活発で、河合さんはそばについて静に見守っているということの方が多かった。河合さんが熱心に財界活動をしたのは「日中経済協会」の会長で1986年から11年かにに亘り勤めて、東芝相談役の渡里杉一郎さんと交代した。お別れの会に来ていた渡里さんは「まじめな人でよく勉強をしていました。中国との関係は必ずしもよくない時代でしたが、粘り強く関係修復に努力をしていました」と河合さんと呉儀国務委員との写真を見ながら話していた。
 河合さんは東京大学経済学部を卒業した後に日産自動車に入社し、その後、通産省(現経済産業省)で通商機械局輸出課長を勤めて父親の良成さんの勧めもありコマツに経理部長として入社した。河合さんは父親の良成さんの後を次いで社長・会長を32年間務めた。会社では財界活動と違ってワンマンであった。私の古ぼけた取材ノートに1987年6月9日の次の記事がある。
 「小松製作所 突然の社長更迭 ワンマン ひと声」という見出しで次の記事が出ている。
 「小松製作所は8日、突然の社長交代人事を発表、波紋を呼んでいる。同社は12月決算でありそれまでに半年余りある。社長が急病といった特別の事情も無い。能川昭二社長から同じ同期の田中正男新社長になる」
 「能川・前社長はいかにも腑に落ちない口ぶりでこう語った。私が河合会長から言い渡されたのは今朝ですよ。米国工場の完工式に出て5日に帰国。今日取締役会だなと思って出勤したらこれですよ。私が理由が分からないから何故ですかと聞いたら『人心一新を図りたい』ということだから、それでは仕方がない、いやだと拒否しても多数決で解任されるだけだと思い、了承しました」
 この日の記者会見には河合会長と田中新社長だけで能川氏は出席しなかった。河合会長は「情勢は厳しく当社の業績は低迷を免れなかった。この際、人心一新が必要と考えた」と語り、この電撃的な人事を自ら決めたことを明らかにした。河合さんの後には河合家からは人は出ていない。
 お別れの会の日は快晴で暖かな日であった。会場には中国の人も多く来ていた。会場で金富信行・日本花の会事務局長とあった。金富さんとは常磐線沿線の記者や広報関係者のゴルフの会で一緒する。河合さんは父親の後をついで日本花の会の会長を70年から務めていた。金富さんは「河合さんは花の会には熱心に活動してくれました。父親が作った組織なので懐かしい気持ちがあったようです」と懐かしんでいた。
 「花の友」という会報では河合会長の追悼記事があり、山崎富治・山種美術館館長は「河合良成様から三代に渡りお付き合いいただいた。花と緑の先駆者であり、上場企業の模範経営者でありました。目黒の河合庭園でのお花見の会も懐かしい思い出にとなっています」と書いている。
| 経済・財界 | 08:54 | comments(0) | - | pookmark |
2009.02.24 Tuesday
 今まで米国の景気に支えられてトヨタは空前の売り上げと利益を上げてきた。ところが昨年夏からサブプライムローン(低所得者への高い金利の住宅ローン)の問題が起きて、米国の金融・経済情勢が悪化して、それが世界中に広がってトヨタにとっても自動車の売り上げが急激に減ってきた。
中国についてみるとまず北京オリッピックが終わってから不動産価格が下がり始めた。国家発展改革委員会が10月22日に発表した9月の主要70都市の不動産販売価格は前月に比べて0・1%下がり、2カ月連続のマイナスになった。昨年春ごろから全国で不動産の価格が急騰してバブルのような様相を見せてきた。ところが中国人民銀行総量規制など実施して金融引き締めを強化したことから不動産価格が下がり始めた。
不動産不況が深刻化してマンションなどは1千万円値引きしても売れない状態になっている。こうした不動産不況が中国経済の足を引っ張って7−9月期の国内総生産(GDP)は前年に比べて9・0%増加した。成長率が1ケタ台に落ち込んだのは05年10−12期以来のことである。2ケタ台での成長してきた中国経済もここに来て足踏み状態になったといえる。
不動産の売れ行きと自動車の販売はかなり似ている。中国の自動車の販売も9月の自動車の販売台数は前年同月比で2・7%減の約75万台で2カ月連続で前年実績を割った。(中国汽車工業会)内訳を見ると乗用車は1・4%減の約55万台、商用車は6・2%減の約20万台であった。不動産などの資産の目減りが消費者の心理を冷やしているのは米国と似ている。
トヨタもこうした米国や中国の経済状況のために08年の世界の販売台数は単体で830万台程度に落ち込み前年実績(843万台)を下回っている。前年割れは98年以来10年ぶりのことである。7月末に下方修正した販売計画(850万台)と比べても20万台も減った。ダイハツ工業と日野自動車を含むトヨタグループの世界での販売台数も前年実績を約7万台下回る930万台程度になり01年に3社合計の販売台数を公表してから初めての前年割れになる。
暗い話が多い中でトヨタは10月27日に吉林省長春市で新工場を建設すると正式に発表した。現地政府の関係者を招いて起工式を行った。中国第一汽車集団との合弁でトヨタとしては中国では7番目の工場になる。投資額は約550億円で年産能力は10万台になる。「四川一機トヨタ自動車」は既に長春市内に「プリウス」など生産する年産1万台の工場を持っている。新工場は別の敷地に作る。生産する車種は「カローラ」の予定である。稼動時期については現在の経済情勢などを見ながら決定する。
トヨタにも逆風が吹いてきたが、倒産寸前の時に社長になった石田退三は「自分の城は自分で守れ」と言って来た。今こそこの言葉をトヨタの社員がかみ締めなければ成らないだろう。
| 経済・財界 | 09:52 | comments(0) | - | pookmark |
2009.02.02 Monday
 朝日新聞社は09年3月期の中間決算で3億円の営業赤字になったが、こうした経営危機を脱するために08年にはライバルの読売新聞社と相互委託印刷を始めることを決めた。さらにジェーティービー(JTB、田川博己社長)と複合的な提携関係を結んだ。まず、旅行部門では朝日旅行の株を09年3月末までに51%譲渡する。朝日新聞社は33・4%の株は持ち続けてイベントやスポーツ事業の情報を提供する。朝日旅行は読売旅行に比べてバス旅行などで水をあけられていたのでJTBとの提携で売上げを増やそうというもので3年後には売上げは1割ほど増える見通しである。
 カルチャー事業では朝日新聞が主導権をとる。全国にある朝日新聞社100%の東京、大阪、西部(福岡)、名古屋の4社を10月に合併する。この新会社にJTBは33・4%を引き受けるとともに、JTBの子会社のジェイコムが運営するJTBカルチャーサロン事業を新会社に譲渡する。
 朝日新聞社としてはJTBと協力して旅行会社の活性化と文化事業の強化と一石二鳥を狙ったものである。こうした秋山社長以下の経営者の努力が実るかどうか?
 朝日新聞社では福岡本部の社員が器物損壊で09年1月に逮捕されたり、大阪では販売所の所員が1月にタクシー強盗をするなど不祥事が続いている。社員のモラルは下がりっぱなしのようだ。

 
| 経済・財界 | 08:48 | comments(0) | - | pookmark |
2009.01.31 Saturday
 日本経団連の会長に御手洗キヤノン会長が就任して2年半たつが、評判は下がるばかりである。その理由は御手洗会長の会社が派遣社員を使い、偽装請負をして厚生労働省に指導されている、ということがあるのだろう。今年の経済3団体の新年賀詞交歓会は1月6日に都内のホテルニューオータニで開かれた。今年は日本経団連が幹事役で仕切った。
 08年5月に開かれた日本経団連の総会では、経団連担当のOB記者を締め出した。しかし、今回は3団体が行うことになっているので、こうした締め出しは無いと思った。ところが事前に問い合わせたところ広報グループの担当者は「財界記者クラブと外国人特派員協会の人しか入れません」という。08年は新年会にもその後の記者会見にも出た。「どうしてそんなことをするのか」と聞いても「決まったことなので変えられません」という。そこで広報委員長の東京電力の清水社長の秘書に電話して「他の日商や経済同友会は入っても良いと言ってます。幹事役の経団連がこんな決まりをするのはおかしいですよ。何とか入れるようにしてください」とした。ところが東電の広報部から「事務局は決めたことだから入れられません、というのです。うちも昨年広報委員長になり、それほど活動していませんのでこれ以上は勘弁してください」という。
 仕方がないので、他の団体の人に頼んで記者ではなく来賓として入場した。入ったら日本経団連の中村事務総長がおり、「阿部さんはいれたじゃありませんか?」とニコニコしている。「こんな締め出しをするなどおかしいですよ」と抗議した。その後の記者会見の入口には日本経団連の広報グループが厳重にチェックしていた。私が入ろうとすると顔見知りの広報マンが「阿部さん、絶対、駄目ですよ」と体を張って阻止された。記者会見では御手洗会長にキヤノンの派遣切りの質問が出て「むっとした」という。いやなことを書く記者は締め出そうということなのだろう。

| 経済・財界 | 08:40 | comments(0) | - | pookmark |
2009.01.26 Monday
追悼録 土方武さん 住友化学工業(現住友化学)元社長
 10月15日に急性腎不全のために死去。享年93歳。
11月26日に帝国ホテルでお別れの会。


 土方さんとは朝日新聞の経済部の記者時代に化学業界を担当した時に初めて挨拶したが、その前に名前は知っていた。大阪経済部から東京経済部に転勤し、しばらくして77年2月に電話があった。大阪経済部の原淳二郎記者からで「住友化学の社長が長谷川周重さんから土方常務に替るらしいので金融機関に確認して欲しい」とのことである。当時、私は日銀の記者クラブで金融を担当していた。すぐに住友化学の大株主の生命保険会社の会長に電話した。
 「昨日、長谷川君が来て土方常務に替わるのでよろしくと言って来たよ」
 原君に連絡した。2月28日の朝日の記事は「住化は常務を抜てき」という特だね記事が出た。長谷川社長は社長を6期12年になり、70歳になるので交代するという記事である。土方さんは副社長3人、専務2人、入社年次の早い4常務を飛び越しての昇格である。この年の1月に松下電器で「山下とび」と言われる山下俊彦取締役が大抜擢されていた。ところがこの記事が出たのを不満として、長谷川社長は土方常務を副社長にする人事に摩り替えた。4月28日の取締役会で長谷川社長の昇格と土方副社長の社長昇格を正式に決めた。この日の朝日新聞の記事で「人事がもれたので、2カ月引き伸ばしたことはワンマン社長の長谷川氏として大人気ない」という趣旨の解説が出ていた。
 お別れ会の時に配られた冊子に「東南アジアの石油化学製品の成長性に注目しシンガポール石油化学コンビナートをナショナルプロジェクトとして実現させた」と功績を称えている。しかし、この事業は一筋縄ではいかなかった。83年6月10日の朝日新聞の一面トップで「シンガポール石油化学事業 中核の住化撤退表明」という記事が出ている。この記事は当時、通産省(現経済産業省)の担当の船橋洋一君(現主筆)と私が協力して書いた。前日の夜に土方さんの家に夜回りした。酒を戸棚から出して盛んに勧める。そうした中で「シンガポールは撤退すると言う情報が流れています。それでよいのですか?」と聞く。土方さんは「阿部ちゃん、もう一杯飲みなさいよ」と顔を寄せてくる。「アルミの事業で赤字になり、撤退したい気持ちはありますよ。だけれども国家プロジェクトでもあり簡単ではありませんよ。通産とも相談しなくてはなりませんからね」と同じことをくどいように言う。土方さんもどんどん酒を飲んでた。こうした話しを談話で送った。
 米倉弘昌社長は「強靭な意志と豊かな情感に恵まれた方でした。熟慮断行 常に凛として筋を通す。天性のリーダーとしての面目躍如です。仕事以外にこれといった趣味はないと苦笑していた故人ですが、百薬の長である明るいお酒を終生の友としていました」と冊子で書いている。
 土方さんが社長から会長になったときに化学担当の記者クラブの有志がお祝いの会を銀座の舞妓がいるクラブでしたときも嬉しそうに舞妓の踊りを見て楽しそうにお酒を飲み「ありがとう」と帰っていった。77歳の喜寿のお祝いを石油化学業界のトップとマスコミ関係者が集まって91年3月に行った。当時の平岩外四・経団連会長は「土方さんと私は愛知県の旧制高校(第8高等学校)出て、現在は経団連でいろいろお手伝いしていただいて、助かっています」と話した。土方さんは経団連の副会長であった。飲み友達の中山善郎コスモ石油会長は「平岩さん、吉田正樹さん(三菱油化社長)、土方さんと飲みますが、土方さんが一番酒が強い。これからは酒を控えて長生きして欲しい」と陳情した。
 私が土方さんとお会いしたのはゴルフ場で息子さん二人と雑誌「財界」の元記者であった大野誠二さんとカートに乗ってゴルフをしていたのが最後であった。ハーフで大野さんと上がり、息子さん二人はそのままプレーを続けていた。
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2009.01.15 Thursday
追悼録 元住友海上保険火災保険(現三井住友海上火災保険)社長 徳増須磨夫さん 

9月10日肺炎のため死去。享年85歳。お別れの会は11月25日にホテルオークラ東京で開かれた。



 私の書斎には徳増さんの書いた本が3冊ある。「花と実と香り」(1988年発行)「夢に日付を」(1996年)「人生の隠し味」(01年7月)である。最後になった本には「拙い雑文集ではありますがお贈りさせていただきます」という自筆の文まで添えられていた。徳増さんは社長になったときから、あいさつ文をはじめ雑誌への寄稿文も自ら筆を執った。
 辛口評論家である佐高信さんは「ビジネスマン1日1話」(86年6月)の中で「徳増さんは私の好きな経営者の一人である。青春は戦争にとられて、戦後、東大に入り直して、在学中に一高時代の同級生の妹と結婚した。徳増は子供がいないためか、子供っぽいと思われるほど若々しく変化を恐れない。この間、話している時も『経営に定式はないと思う』と繰り返し語っていた」と書いている。
 佐高さんは住友グループの長老である住友銀行(現三井住友銀行)の磯田一郎頭取(故人)と住友不動産の安藤太郎社長を嫌っていて、ある雑誌に経営姿勢がおかしいと厳しく攻撃していた。安藤氏は私に「どうして佐高さんは私のことを悪く書くんですかね」と聞いてきたほどである。この佐高氏が同じ住友グループである徳増さんについては「逃げない経営者たち」(90年発行)の中で日本のエクセレントリーダー30人の一人として平岩外四・元経団連会長らとともに評価していた。公私にわたっての清潔さと経営に対する前向きな姿勢を評価した。
 79年7月に56歳の若さで社長になった時にイノベーション(刷新)運動を始めた。それまでの紳士的で暖かい家族的な雰囲気では業界のリーディングカンパニーになれないということで思い切った手を打った。その一つが広報担当部長を置いたことである。
 ある時にこの広報担当部長から連絡があり、徳増社長の入社式の挨拶を聞いて欲しいと言って来た。徳増社長の挨拶は一人ひとりの社員に語りかけるように話し、新入社員全員と握手をして激励していた。入社式の司会も、あいさつ文も女性の社員に協力してもらって書いていた。女性の力を活用することに力を入れてきて、女子の柔道部も早くから作り、オリンピックで金メタルをとるようにまでなった。
 徳増さんは神戸一中(現神戸高校)卒業で、同級生の中には鐘紡の伊藤淳二社長や三井物産の田渕守・元副社長がいる。田渕氏の娘婿はトヨタ自動車の次期社長と見られている豊田章男・副社長である。ある時、田渕氏と章男氏と3人で食事をした。田淵氏が徳増さんに息子に経営の話をして欲しい、ということだった。当時、章男氏は販売店の営業推進をしていた。途中入社ということもあって章男氏は「社内の上の人には、私はあまりよく思われていないようです。ずけずけものを言うものですから。でも若い連中には人気があるんですよ」と徳増さんに話した。徳増さんは「チャーリー・チャプリンが今までの作品の中から最高傑作はどれかと問われてチャプリンは『おお良い質問だ。それはネクスト・ワン(よりよい次へ)だよ』と答えた。日本画の奥村土牛画伯も同じ質問に対して「今までのは全部不満なので次に描くものが一番良い」と答えた、という話しをした。章男氏はメモを取っていた。
 それからしばらくして田淵氏から百ページの小冊子が送くられてきた。題は「ネクスト・ワン」である。章男氏が3年余りいた業務改善支援室長から米国に転勤することになった。業務改善室の有志が送別のためにこの本を作ったと言う。徳増さんの話を聞いて章男氏がこの言葉を室員に伝えてきたためにこの題になった。徳増さんは若い人たちに約立ったことを喜んでいた。
 徳増さんは死ぬまでゴルフを続けていた。住友グループが来ることの多い泉カントリー倶楽部(千葉県印旛村)を良く使っていた。倶楽部バスを待っていたら徳増さんが来た。
 「会社の車は休みの時は使えないからね」と話していた。それが会った最後である。
| 経済・財界 | 10:38 | comments(0) | - | pookmark |
2009.01.13 Tuesday
トヨタ自動車は8月28日に都内のホテルで開いた経営説明会では、中国を含むアジアや中南米・オセアニア・アフリカ・中近東など新興国の販売台数については増えるという見通しを発表した。ところがその後、米国ではサブプライムローン(低所得者向けの高い金利の住宅ローン)の証券化化の影響で、証券大手のリーマン・ブラザーズの破綻や保険グループのAIGの経営危機が明るみになり、これが中国にも影響してきた。いまや中国は米国との貿易では日本を抜いてトップになっている。米国には安い中国の食料品や衣料品などが流れ込んでいる。
 こうした関係になっているところに昨年夏からのサブプライムローンの問題で、貿易にもかげりが出てきた。さらに北京オリッピックも終わったことで、自動車などの耐久消費財の売れゆきが落ちてきた。前回のこのコラム(17回)では中国全体の8月の自動車市場の具体的な数字を出した。
 トヨタはこうした経済状況を見て、広州トヨタで9月から減産を始めた。広州トヨタでは06年5月からカムリを年20万台生産体制を敷いてきた。このラインの生産速度を落として1割ほど減産する。創業して2年の工場で減産するのは初めてのことである。トヨタだけでなくマツダも8月から2カ月の減産を始めている。
 米国に次いで1000万台の自動車が販売されている中国市場での減産体制で、世界では石油で潤っている中東しか増産体制をとっているところは無い。特に最大の自動車市場である米国で底なしの金融不安が続いているためにトヨタも3工場の減産を始めているが、この程度では収まらないのではないか、という悲観的な見方が出てきている。9月16日に創業100年を迎えたGMのリチャード・ワゴナー会長はは米国政府に対して経営危機のために業界全体で250億ドル(約2兆7千億円)の低利融資を要請している。
 しかし、米国政府は保険会社のAIGへの支援で精一杯でありGMなどの自動車メーカーへの支援は難しいと見られている。そうした中でGMなど米国メーカーが中国市場でどのような販売政策を取ってくるのかが注目されている。

 トヨタウェイ2001「Respect」
 トヨタの人作りのバイブルであるとトヨタウェイ2001の「Respect」についてみてゆく。
 「他を尊重し、誠実に総合理解に努め、お互いの責任を果たす」
 企業は、付加価値の提供により、お客様やその他のステークホルダーに満足していただき、そのお陰で対価(利益)を得て、存続していることを自覚しなければ成らない。
 「いかなる大企業といえども、社会の好意ある支援が無ければ発展はおろか、存続すら危うくなる」(豊田英二)
 「一にユーザー、二にディーラー、三にメーカー」(神谷正太郎)

 
| 経済・財界 | 09:14 | comments(0) | - | pookmark |
2008.12.04 Thursday
電脳という会社を経営している美安達子(みやす・みちこ)さんが、08年度の日本自動車殿堂に選ばれた。米国自動車殿堂をならって日本で01年から表彰を行っている。芝浦工業大学の名誉学長の小口泰平さんが特定非営利活動法人「日本自動車殿堂」の会長である。こうした制度があるのは知っていたが、美安さんが表彰されるというので11月10日に国立科学博物館に行った。この日は月曜日で科学博物館は休館であり、古めかしい本館会議室で行われた。
 美安さんは交通安全のための「OD式安全テスト」の開発と普及、情報技術を用いた心理学の実践的活用による安全教育の推進が、選ばれた理由である。今回の受賞者は美安さんのほかは、元米国日産社長の片山豊さん、スズキ自動車の稲川誠一・元副社長、田中次郎・日産自動車元専務、景山克三・日本大学名誉教授(故人)の4人である。この殿堂には01年にトヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎氏、ホンダの創業者の本田宗一郎氏などが選ばれている。こうした人たちに混じって美安さんが選ばれたことについて小口会長は「ハードの人たちばかりでは、おかしいと言う声が出てきたので安全というソフト面で活躍している美安さんを初めて選んだ」と話していた。
 5人の人が壇上に並んで表彰を受けたが08年9月に故人になった景山氏の変わりに長男が来た。片山さんは既に98年秋に米国自動車殿堂に選ばれている。片山さんは99歳で白寿の祝いをしたばかりである。車椅子に乗って壇上に上り「自動車産業が危機に見舞われている中で、日産自動車も低迷している。1980年代に日産自動車は自らの手で消えてしまった。ダットサンブランドを復活させようと努力してきたが、成功していない。この表彰を受けるには忸怩たる思いがある」と挨拶した。
 美安さんは「今まで一緒に仕事を続けてきた西島正人副社長と来た。半世紀の間、自動車の安心、安全に努力してきたことが認められたことを感謝します。その間に多胡輝・千葉大名誉教授、詫摩武俊・学習院大名誉教授にお世話になったことをありがたく思っています。これからもこの分野で力を入れていきます」と挨拶した。会場には美安さんを知っている茂木・常務理事など東京商工会議所の関係者がたくさん来ていた。 
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