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    <title>阿部事務所</title>
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    <description>経済ジャーナリスト阿部和義</description>
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    <title>環境問題に本格的に取り組む三井不動産</title>
    <description>　環境問題に本格的に取り組む三井不動産

　不動産業界のトップ企業である三井不動産は国内だけではなく海外での事業にも環境問題を第一にして取り組んでいる。他の不動産業者も環境には力を入れているが、三井不動産ほどではない。岩沙弘道社長が日本経団連の副会長を...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　環境問題に本格的に取り組む三井不動産<br />
<br />
　不動産業界のトップ企業である三井不動産は国内だけではなく海外での事業にも環境問題を第一にして取り組んでいる。他の不動産業者も環境には力を入れているが、三井不動産ほどではない。岩沙弘道社長が日本経団連の副会長を務めていることもあって環境問題には業界の先頭に立ってさまざまな事をやっている。マンションだけではなく戸建て、商業施設などでも環境に配慮した商品を出している。<br />
<br />
　三井不動産は環境コミュニケーションワードとして「＆ＥＡＲＴＨ」（アンド・アース）という言葉を使って環境への取り組みの理解を深めていっている。そのメッセージは<br />
<br />
　「街をつくることは地球の一部をつくること。そして地球の未来をつくること。だから私たちはあなたのことを想いながら地球のことを考える。あなたの明日を想いながら地球の明日を想像する。三井不動産グループはつづけています。その豊かさと潤いが５０年先、１００先の幸福な未来へとつながっていく新しい街づくりを。「共生・共存」という理想のもとで、そこで暮らす人、働く人、そこを訪れる人とともに」<br />
<br />
　さらにアンド・マークの理念として「都市と自然」「経済と文化」「働く事と学ぶ事」という概念を「あれかこれか」という「ＯＲ」ということでなく「あれもこれも」という形で共生・共存させ、価値観の相克を乗り越えて新たな価値観を創出してゆくもの、としている。<br />
<br />
　具体的なものは「二酸化炭素の削減」「水環境の保全」「有害物質削減」「省資源・廃棄物削減」「生物多様性の保全」と５項目を挙げている。<br />
<br />
　具体的な取り組みでは東京ミットタウンで屋上緑化による遮熱、雨水の再利用、複層ガラスによる窓からの熱の削減、太陽光発電、照度センサー付天井照明などを上げている。柏の葉キャンパスシティでは次世代環境都市に向けて先進的な取り組みをしている。<br />
<br />
　「六本木一丁目南地区第一種市街地再開発事業」では都内の超高層マンションとして初めての長期優良住宅の認定を受けている。商業施設では７月８日にグランドオープンした「三井アウトレットパーク滋賀竜王」では環境共生型のアウトレットモールとして評判になっている。「世田谷区中町３丁目計画」（総戸数４３戸）は国土交通省の「住宅・建築物の省ＣＯ２推進モデル事業」として採択されている。<br />
<br />
　海外事業についても中国・天津で行っている３５万人が住む大規模環境都市開発プロジェクト「天津エコシティ」に参画している。このプロジェクトも「環境共生」「省資源・資源環境効率化」をコンセプトにして進めている。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>兼平様論点の原稿</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-28T07:20:37+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
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    <title>くらしのリサーチセンター副会長・専務理事　工藤芳郎（くどう・よしろう）</title>
    <description>観光立国を支える人たち

　沖縄の観光立国を訴える

　沖縄の普天間基地の移設問題で、鳩山首相は名護市の辺野古にする事を沖縄県の仲井真知事に伝えた。沖縄の人たちは公約違反と怒っている。こうした軍事で無く観光で復活させようとしている。

　くらしのリサー...</description>
<content:encoded><![CDATA[
観光立国を支える人たち<br />
<br />
　沖縄の観光立国を訴える<br />
<br />
　沖縄の普天間基地の移設問題で、鳩山首相は名護市の辺野古にする事を沖縄県の仲井真知事に伝えた。沖縄の人たちは公約違反と怒っている。こうした軍事で無く観光で復活させようとしている。<br />
<br />
　くらしのリサーチセンター副会長・専務理事　工藤芳郎（くどう・よしろう）<br />
<br />
　大分県日出町生まれ。５８年中央大学法学部卒業。５９年から日本国際貿易促進地方議員連盟で働く。その間に中国国際貿易促進委員会の招きで北京、上海に行き北京市長とパンダの交換の約束をする。７１年に全国消費者団体連絡会代表幹事。８９年に現職。７５歳。<br />
<br />
　−ＮＰＯの「Ｊａｐａｎ　Ｎｏｗ情報協会」の観光立国セミナーで沖縄の観光振興を話しました。くらしのリサーチセンターとどんな関係があるのでしょうか？<br />
<br />
　くらしのリサーチセンターは企業、行政、国民生活者で構成されており、３社が話し合っていろいろな事を解決しようとしています。そこには和の精神があります。観光は平和だから成り立つ産業であり、沖縄で観光振興を図るという目的でいろいろなところで訴えてきています。沖縄には４回ほど行っており、仲井真知事とは副知事の時から付き合っており話し合っています。沖縄の米国の海兵隊が抑止力になっているといいますが、沖縄を平和な観光地にする事で抑止力になります。<br />
<br />
   ―具体的にはどのようなプランを持っていますか？<br />
<br />
   待ちの観光から攻めの観光にする事を目指します。沖縄は地政学的には西南アジアの中心であり、自然ではきれいな海、亜熱帯林、サンゴ礁、ジュゴンなどがあります。文化では民謡、織物、泡盛、長寿などの特性がある。こうした特性を生かすために具体的な課題として、ハブ空港の設置、国際間鉱泉が接岸できる港湾の整備、鉄道を島に作る、国際会議場の設置などを急がなくてはならないでしょうね。こうしたことが実現するためには沖縄の基地問題を解決しなくてはなりません。私は基地を撤廃して、観光を盛んにして抑止力にすべきだと訴えています。鳩山首相が訴えている「東アジア共同体構想」の中に沖縄地域の観光を位置づければ良いと思います。<br />
<br />
   ―具体的な沖縄観光の話をお願いいたします。<br />
<br />
   私は沖縄の特性を生かしてもらいたいと思います。自然が優れており北部の山林には希少価値のある動物、植物がいます。海はサンゴ礁でジュゴンがいます。道路にはイリオモテヤマネコなどもいます。食べ物は豚肉料理がおいしく、飲み物はなんといっても泡盛でしょう。音楽は三線（さんしん）で踊りもありますね。沖縄の人は長寿で人間的にぬくもりがあります。泣き言は言わずに我慢強いです。人の前ではいつも朗らかで明るい顔をしています。私は沖縄に行くといつもホットします。癒されます。<br />
<br />
   ―カジノを作ったらよいという話しがありますが。<br />
<br />
   私は賛成できません。沖縄に金融街を作ったりカジノを作ったりすれば本来の良さが失われてしまう心配がありますよ。それよりも立派な国際会議場を作って、世界中から人を呼ぶ事でしょうね。 
]]></content:encoded>
    <dc:subject>観光立国</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-28T07:20:03+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
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    <title>朝日新聞の仲間と石巻漁港</title>
    <description>ちょっと一休　朝日新聞の仲間と石巻漁港へ

　朝日新聞の経済部で後輩の高成田亨君が６０歳で定年になって、宮城県の石巻支局長として０８年１月から仕事をしている。３年の契約なので１１年１月には東京に帰ってくる。その前に石巻に行きたいと思っていた。というのも...</description>
<content:encoded><![CDATA[
ちょっと一休　朝日新聞の仲間と石巻漁港へ<br />
<br />
　朝日新聞の経済部で後輩の高成田亨君が６０歳で定年になって、宮城県の石巻支局長として０８年１月から仕事をしている。３年の契約なので１１年１月には東京に帰ってくる。その前に石巻に行きたいと思っていた。というのも高成田君は魚記者になりたいという希望があって日本でも有数の漁港がある石巻を希望した。石巻では魚の記事を定期的に宮城県版に書いたり、全国版に載せたりしていた。時々、そうした記事を見て「元気で仕事をしているなあ」と思っていた。そうしたところ０９年４月に「こちら石巻　魚記者奮闘記―アメリカ総局長の定年チェンジ」（時事通信社）という本を出した。関係者が出版祝いをする事になり私も出席した。<br />
<br />
　その時にもらった本はあっという間に読んで一度は石巻に行かなくてはならないだろうと心に決めた。ところがバタバタしているうちに時間だけが経っていった。そうした時に経済部の先輩の香月さんが「一度、皆で石巻に行かないか？」と誘われた。私もかねてから行きたいと思っていたので「私がみんなに呼びかけて行きましょう」ということになった。早速、高成田君に連絡したところ、こういう列車で来て、この店で食事をしてここで泊まれば良い、という案がメールで流れてきた。行く日は７月９日の夕方で翌日に東京に帰る、ということになった。<br />
<br />
　この案を高成田君と親しく行きそうな人に連絡したところ代表取締役専務で大阪代表をした浜田さん（元東京経済部長）や県立宮城大の教授だった粟田さんなど７人が行く事になった。朝日以外では朝日生命で広報を長くやり最後は専務で退任して現在は子会社の会長をしている三枝稔さんが一緒に行く事になった。三枝さんは高成田君と同じ小山台高校でラクビー部で一緒に活動して親しい。三菱地所で広報部長をし、現在は三菱地所設計の小田川社長も小山台高校出身で、私が３人に呼びかけて一緒に飲んだこともある。今回も小田川さんにも呼びかけたがあいにく、出張が入ってゆけない、という。１４時５６分の「はやて２３号」で仙台に着きそれから仙石線に乗り換えて石巻に１８時１３分に到着する。仙台の駅で６人と会い、粟田さんは先に石巻に行くというので全員無事にそろった。石巻駅には高成田君が迎えに来ており、ホテルまで歩いて行った。次号は石巻のおいしい魚の話などを書く。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-28T07:19:26+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
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    <title>西安で餃子料理を満喫</title>
    <description>ちょっと一休　西安で餃子料理を満喫

西安の研修旅行の最後は食べ物について書く。外国に行って楽しみは素晴らしい観光施設を見る事と３度の食事である。１年半前の９月のウズベキスタンの旅行では焼肉と果物がおいしかった。今回の西安の旅では朝食はホテルのバイキン...</description>
<content:encoded><![CDATA[
ちょっと一休　西安で餃子料理を満喫<br />
<br />
西安の研修旅行の最後は食べ物について書く。外国に行って楽しみは素晴らしい観光施設を見る事と３度の食事である。１年半前の９月のウズベキスタンの旅行では焼肉と果物がおいしかった。今回の西安の旅では朝食はホテルのバイキングで、和食から洋食、中華まであり、苦労しなかった。昼と夜の食事は中華料理である。毎日、中華料理だがいろいろなものがあり、飽きなかった。西安の名物料理は餃子料理である。３０日夜に１２種類の餃子を食べた。<br />
<br />
　餃子というと約２年半前に日本で中国製の餃子を食べて千葉、兵庫の人が中毒を起こした。餃子に毒が入っていた。中国側は日本で入れられたものだ、と主張して解決しないままであった。ところがわれわれが西安に着いた時に、この犯人が中国の行員だったと中国政府が発表した。こうしたことがあってか、なんとなく餃子はおいしいとは感じなかった。食べ物は安心、安全が無ければおいしくない、ということを感じた。<br />
<br />
　西安のお土産は絹製のじゅうたんにした。最後の食事の後に絹からじゅうたんを作っている土産物屋に行った。軽くて肌触りも良いので６畳ぐらいに敷ける大きさのものを買った。日本円で２０万円ほどの買い物だったが、清水の舞台から降りる気分で買った。お店の人が「このじゅうたんは素晴らしい。安くしますから」という誘いに乗った。このじゅうたんのほかに小さなじゅうたんをサービスしてくれ、荷物を引く新しいカートに入れくれた。これもサービスである。それをもって飛行場に行き、上海で乗り換えるときに事件が起きた。<br />
<br />
　３つの荷物になったので、この新しいカーとの中身を別室で調べる事になった。鍵で開けようとしても開かない。お店では鍵が開いておりおかしい、ということになった。氷鉋（ひがの）団長が心配してきて「この鍵ではない」という。仕方がないのでバックをナイフで切ってあけてみたら私のじゅうたんは無くほかの人のものだった。ビックリして付き添いの中国の李楊さんが私のカートを飛行場に手配して持ってきてくれた。このカートにかぎをいれたら開いてじゅうたんが出てきた。上海で２時間待ちだったので、皆に迷惑をかけないで済んだ。私のカートが来て無事だった事がわかると皆が拍手をしてくれた。４泊５日であるが皆が一体感を持った、と感じた。もし、検査が無かったらじゅうたんはどこに行ったのだろうか？旅は怖いと思った。このじゅうたんの生活は快適である。　　<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-05T08:26:22+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
  </item>

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    <title>梅屋庄吉さんの「富貴在心」に感激</title>
    <description>ちょっと一休　梅屋庄吉さんの「富貴在心」に感激

　日本記者クラブでは「著者と語る」という講演会を催している。本の筆者にその本の意図や背景を語ってもらう。６月８日は日比谷松本楼の常務取締役の小坂文乃さんが「革命をプロデュースした日本人」（講談社、税別で...</description>
<content:encoded><![CDATA[
ちょっと一休　梅屋庄吉さんの「富貴在心」に感激<br />
<br />
　日本記者クラブでは「著者と語る」という講演会を催している。本の筆者にその本の意図や背景を語ってもらう。６月８日は日比谷松本楼の常務取締役の小坂文乃さんが「革命をプロデュースした日本人」（講談社、税別で１７００円）という本について話した。記者クラブの前が日比谷公園で日比谷松本楼はその中にあるのでなんとなく親しみを感じている。カレーがおいしくて月に１度サービスデーがあることでも話題になっている。<br />
<br />
　この社長は小坂哲瑯さんで、日本フードサービス協会（ＪＦ）の会長を務めたことがある。ＪＦの会ではたびたび会って顔見知りになっている。０８年５月に日比谷松本楼に中国の胡錦涛・総書記が来た事がある。小坂さんにあるパーティーでこのことを聞いたところ「母の関係に孫文さんを応援した梅屋庄吉さんがいて、そうした関係で胡総書記が来たのですよ」と話してくれた。その時に梅屋庄吉の名前を知ったが、どのように孫文を支援したかは知らなかった。<br />
<br />
　小坂文乃さんは自分の曽祖父である梅屋について書いた。梅屋は長崎県の生まれで香港で写真館を経営して成功する。その店で孫文を紹介されてそれから資金援助を続けた。梅屋氏は活動写真で利益を上げて、現在の日活などの映画会社も作った。資金援助は今の額では２億円ほどになる。孫文からの資金援助の手紙なども小坂家にあり、こうした資料を下に書いた。<br />
<br />
　「中国革命ニ関シテ成セルハ孫文トワレトノ盟約ニテナセルナリ」という書もある。小坂さんによると孫文が最初の奥さんと離婚して有名な宋慶齢と再婚するのをセットしたのも梅屋であった、という。辛亥革命が成功した後で孫文が袁世凱に追い出されて日本に亡命していた時に慰めるとともに宋慶齢との結婚の段取りをした。梅屋はスパイ容疑で憲兵隊に逮捕された事もある。そうした事もあって梅屋は「孫文との関係などは一切口外してはならず」という文も残している。<br />
<br />
　孫文が辛亥革命を起こし中華民国を作ったのは１９１１年１１月１０日である。来年は辛亥革命から１００年になる。そうした事もあって小坂さんは「梅屋と孫文との話を映画にしようとしています。面白いものが出来れば良いと思ってます」と話していた。現在上海で開かれている万博に梅屋と孫文に関する展示会を開いている。梅屋は「富貴在心」というのが座右の銘であり、小坂さんも記者クラブの講演記念帳にこの言葉を書いた。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-05T08:26:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
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    <title>沖縄の観光立国を訴える</title>
    <description>観光立国を支える人たち

　沖縄の観光立国を訴える

　沖縄の普天間基地の移設問題で、鳩山首相は名護市の辺野古にする事を沖縄県の仲井真知事に伝えた。沖縄の人たちは公約違反と怒っている。こうした軍事で無く観光で復活させようとしている。

　くらしのリサー...</description>
<content:encoded><![CDATA[
観光立国を支える人たち<br />
<br />
　沖縄の観光立国を訴える<br />
<br />
　沖縄の普天間基地の移設問題で、鳩山首相は名護市の辺野古にする事を沖縄県の仲井真知事に伝えた。沖縄の人たちは公約違反と怒っている。こうした軍事で無く観光で復活させようとしている。<br />
<br />
　くらしのリサーチセンター副会長・専務理事　工藤芳郎（くどう・よしろう）<br />
<br />
　大分県日出町生まれ。５８年中央大学法学部卒業。５９年から日本国際貿易促進地方議員連盟で働く。その間に中国国際貿易促進委員会の招きで北京、上海に行き北京市長とパンダの交換の約束をする。７１年に全国消費者団体連絡会代表幹事。８９年に現職。７５歳。<br />
<br />
　−ＮＰＯの「Ｊａｐａｎ　Ｎｏｗ情報協会」の観光立国セミナーで沖縄の観光振興を話しました。くらしのリサーチセンターとどんな関係があるのでしょうか？<br />
<br />
　くらしのリサーチセンターは企業、行政、国民生活者で構成されており、３社が話し合っていろいろな事を解決しようとしています。そこには和の精神があります。観光は平和だから成り立つ産業であり、沖縄で観光振興を図るという目的でいろいろなところで訴えてきています。沖縄には４回ほど行っており、仲井真知事とは副知事の時から付き合っており話し合っています。沖縄の米国の海兵隊が抑止力になっているといいますが、沖縄を平和な観光地にする事で抑止力になります。<br />
<br />
   ―具体的にはどのようなプランを持っていますか？<br />
<br />
   待ちの観光から攻めの観光にする事を目指します。沖縄は地政学的には西南アジアの中心であり、自然ではきれいな海、亜熱帯林、サンゴ礁、ジュゴンなどがあります。文化では民謡、織物、泡盛、長寿などの特性がある。こうした特性を生かすために具体的な課題として、ハブ空港の設置、国際間鉱泉が接岸できる港湾の整備、鉄道を島に作る、国際会議場の設置などを急がなくてはならないでしょうね。こうしたことが実現するためには沖縄の基地問題を解決しなくてはなりません。私は基地を撤廃して、観光を盛んにして抑止力にすべきだと訴えています。鳩山首相が訴えている「東アジア共同体構想」の中に沖縄地域の観光を位置づければ良いと思います。<br />
<br />
   ―具体的な沖縄観光の話をお願いいたします。<br />
<br />
   私は沖縄の特性を生かしてもらいたいと思います。自然が優れており北部の山林には希少価値のある動物、植物がいます。海はサンゴ礁でジュゴンがいます。道路にはイリオモテヤマネコなどもいます。食べ物は豚肉料理がおいしく、飲み物はなんといっても泡盛でしょう。音楽は三線（さんしん）で踊りもありますね。沖縄の人は長寿で人間的にぬくもりがあります。泣き言は言わずに我慢強いです。人の前ではいつも朗らかで明るい顔をしています。私は沖縄に行くといつもホットします。癒されます。<br />
<br />
   ―カジノを作ったらよいという話しがありますが。<br />
<br />
   私は賛成できません。沖縄に金融街を作ったりカジノを作ったりすれば本来の良さが失われてしまう心配がありますよ。それよりも立派な国際会議場を作って、世界中から人を呼ぶ事でしょうね。 <br />
 
]]></content:encoded>
    <dc:subject>観光立国</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-05T08:25:27+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
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    <title>ちょっと一休　楽しかった西安の旅</title>
    <description>

ちょっと一休　楽しかった西安の旅

　日本不動産学会の三橋博巳会長は、われわれジャーナリストが作っている日本不動産ジャーナリスト会議の２０周年の時に記念講演をしていただいた。「宇宙の不動産はどうなるか？」というテーマであった。三橋会長は南極の越冬隊...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<br />
<br />
ちょっと一休　楽しかった西安の旅<br />
<br />
　日本不動産学会の三橋博巳会長は、われわれジャーナリストが作っている日本不動産ジャーナリスト会議の２０周年の時に記念講演をしていただいた。「宇宙の不動産はどうなるか？」というテーマであった。三橋会長は南極の越冬隊員にもなっている。この学会が中国の西安への視察をする、という。大越武君が「阿部さんこの視察会に行きませんか？」と誘いがあった。大学も春休みでもあり、行くことにした。<br />
<br />
　３月２７日から３１日までの４泊５日である。成田の第二エアーターミナルに午前８時の集合である。そこに行ったら女性の人が「阿部さんですか？」といって西安までのチケットをくれた。１枚の紙である。「大丈夫なんですか」と聞いたら「大丈夫です」という。荷物の検査をしてチケットをもらった。１９人のメンバーだが知っている人は三橋さんと大越君と不動建設にいた富永剛さんだけである。<br />
<br />
　まず、上海まで行き乗り継ぎで西安まで行く。夕方午後５時４０分についた。飛行場には「歓迎、日本不動産学会視察団」という幕があった。ホテルは全日空が経営していた「長安城保大酒店」（Ｊｕｎｌｅ　Ｃａｓｔｌｅ　Ｈｏｔｅｌ　Ｘ‘ｉｍ）である。通訳は旅行会社の李強さんである。李さんは日本語がうまく到着して「おなかがすいたでしょうからこれからレストランに行きましょう」と直ぐにレストランに行った。そこで簡単な自己紹介をした。この視察団の団長は氷鉋（ひがの）揚四郎・筑波大学大学院教授である。学会の事業委員長であり、この視察を企画した。名前が変わっているので「私は初めてですがどこのご出身ですか？」と聞いたところ長野県という。<br />
<br />
　メンバーは学会員だけでなく不動産業者や司法書士や土地家屋調査士などいろいろな業種の人がいた。こうした視察団の参加は初めてでありどんなことになるか、興味があった。<br />
<br />
最初の食事にはビールが出てこないので注文し、その後紹興酒を頼んだ。氷鉋団長は酒を飲まないのでこうしたことには気がつかない。われわれの会合などでは酒がつき物なので先が思いやられた。自己紹介ではいろいろな人が来ていることがわかったが、直ぐには誰がどの人だか、はわからない。夫婦連は三橋さんと山梨で司法書士をしている「竹野総合事務所長」の竹野満さんの二組である。この回を含めて４回にわたり中国の不動産のバブル状況や観光を事情を書いてゆく。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-18T15:21:46+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
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    <link>http://abe.jp-j.com/?eid=1591193</link>
    <title>菅総理誕生で米倉経団連会長との距離はどうなるのか？</title>
    <description>

　菅総理誕生で米倉経団連会長との距離はどうなるのか？ 

　枝野幹事長が日本経団連に最初に挨拶 

　民主党の菅直人副総理兼財務相が６月８日に総理になり、組閣を終えた。その前日の７日には民主党の幹事長に枝野幸男・行政刷新担当相が就任した。菅政権の下で...</description>
<content:encoded><![CDATA[
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<br />
　菅総理誕生で米倉経団連会長との距離はどうなるのか？ <br />
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　枝野幹事長が日本経団連に最初に挨拶 <br />
<br />
　民主党の菅直人副総理兼財務相が６月８日に総理になり、組閣を終えた。その前日の７日には民主党の幹事長に枝野幸男・行政刷新担当相が就任した。菅政権の下で米倉弘昌・日本経団連会長との関係はどうなるのか、が注目された。ところが枝野幹事長は８日に日本経団連に乗り込んで、米倉会長や中村芳夫・事務総長に挨拶した。１０分間の会談であるが、この会談にほっとしたのは米倉会長だった。米倉会長は５月２７日に御手洗冨士夫・キヤノン会長からバトンタッチを受けた時から、最大の課題は民主党政権とどのように意思疎通を図ってゆくかであったからである。<br />
<br />
　御手洗会長に時は鳩山由紀夫総理と小沢一郎・民主党幹事長とはまったくといって話し合う余地が無かった。というのも鳩山総理は民主党の幹事長時代に御手洗会長に対して国会の代表質問で「キヤノンの偽装請負の問題で国会に参考人として招致すべきである」と当時の自民党の福田康夫総理に質問した。さらに枝野氏も安倍内閣の予算委員会の野党の筆頭理事の時に、御手洗経団連会長の国会への参考人招致を要求した。さらに民主党など野党４党は福田内閣の時代に御手洗会長の予算委員会への参考人招致を要求している。こうしたいきさつもあって御手洗経団連は民主党とのパイプが無いままに終わってしまった。御手洗会長はいろいろなルートで民主党とのパイプ作りをしたが、キヤノンの偽装請負問題が何かと障害になって実現できなかった。<br />
<br />
　こうした中で日本経団連は政治献金について１０年３月に中止することを決めた。御手洗経団連は自民党に対して約３０億円の資金を出していたのに民主党には７千万円しか出していなかった。経団連の政策評価でこうした献金を決めていたが、民主党政権になってもこうした政策評価は変わらないままだった。経団連が鳩山政権に対して政策評価で問題にしたのは温暖化対策で２０２０年までに１９９０年対比で２５％二酸化炭素を減らすという目標だった。例年なら９月に政策評価を出して、各企業に献金を勧めるが、０９年には政策評価を延ばしてきていた。最終的にはこうした評価も中止して献金を中止せざるを得なくなった。<br />
<br />
　奥田碩トヨタ自動車会長が日本経団連の会長時代に復活した政治献金は自民党に偏っている事で御手洗経団連会長の手で中止した。そうした中で誕生した米倉会長だけに民主党政権との対話をどのようにしてゆくのかが注目されてきただけに枝野幹事長の経団連への挨拶周りは注目してよいだろう。しかし、これで民主党との関係がよくなるかどうかは予断は許せない。 <br />
<br />
　御手洗経団連会長の誤算 <br />
<br />
　０６年５月に奥田会長から経団連会長を引き継いだ御手洗会長は小泉純一郎総理から交代した安倍晋三総理と親密な関係を築いた。０６年９月に誕生した安倍内閣は７０％の支持率で小泉内閣と同様に国民から歓迎された。御手洗会長は憲法改正や愛国心などを育てる教育改革を進めようとした自民党政権に全面的に協力をした。自ら経済財政諮問会議の民間のメンバーになり自民党政権の政策作りと一体になっていった。安倍首相のべトナム、中近東５カ国訪問、インドへの訪問などには１００人以上の経団連のメンバーを引き連れて同行した。中近東には当時サウジアラビアで石油コンビナートを建設していた住友化学の米倉会長も同行している。<br />
<br />
　首相の海外訪問に経団連のメンバーがこのように大挙して同行するのは御手洗会長が初めてである。政局は変わりやすいということを忘れて御手洗会長は安倍首相に協力していった。そうした時に御手洗会長の出身会社であるキヤノンで偽装請負の問題が出て、厚生労働省栃木労働局から是正命令が出た。派遣労働者は製造業で３年以上働いたら正社員に昇格させなければならないのを、請負の形に変えてそのまま働かせていた、という。さらに御手洗会長はガソリンの暫定税率廃止の議論で経済財政諮問会議では廃止に賛成し、経団連に帰ってきたら、トヨタ自動車の張富士夫副会長に反対されてそれに同調するという事で朝日新聞に「二枚舌」と書かれた。これに怒った御手洗会長は朝日新聞にキヤノンの広告を１年間ほど停止した。<br />
<br />
　「悪口を書く新聞に広告を出さないのは当然である」という考えだからである。こうした考えは奥田・経団連名誉会長にもあり、年金問題の審議会の後の記者会見で「新聞が悪口をいろいろ書くなら、広告を止める事も考える」と発言している。<br />
<br />
　安倍首相は０７年７月の参院選で自民党が民主党に大敗して９月に退陣に追い込まれた。次に総理になった福田首相は経団連との関係は安倍首相の時とは違って距離を置いた。余りにも御手洗会長が安倍首相に接近した事から自民党との関係もギクシャクした。御手洗・経団連名誉会長は「安倍さんに期待したんだが。あんなに早く退陣するとは思わなかった」と悔やんでいる。 <br />
<br />
　米倉会長の誕生と民主党政権との距離<br />
<br />
　<br />
<br />
   キヤノンの工場建設を巡り大手ゼネコンの鹿島からリベートを取って脱税で逮捕された会社社長が御手洗会長の大分県の高校の同級生の後輩だった事などもあり、不祥事が相次いだ。このために１期２年で退任するのではないか、といううわさも出ていた。御手洗会長は０９年中に次の会長を決める、と記者会見などで発言していたがなかなか決まらずに１０年１月に延びた。経団連の会長は副会長から選び、７０歳未満というのが内規や不文律としてある。米倉会長は異例の形で選ばれた。経団連の評議会議長であり、年齢も７２歳で、その上住友グループの会社である。経団連の会長は石川一郎・日産化学工業社長から始まり戦後１２人いるが、三井、三菱、住友の旧財閥から出るのは初めてである。御手洗会長の苦心の末の選出といえる。<br />
<br />
   米倉会長は若い時に長谷川周重・経団連副会長について経団連活動や日米財界人会議などの事務方の経験をしている。長谷川副会長は日米財界人会議の日本側代表を務めていたので英語が堪能な米倉氏が選ばれた、といわれる。<br />
<br />
   米倉会長の最大の課題は民主党政権とどのように付き合ってゆくかである。御手洗会長の時代は鳩山・小沢体制で入り込む余地は無かった。菅・枝野体制で民主党がどのように変わってくるかである。そうした時に枝野幹事長が連合よりも先に挨拶に来た事でほっとしたのは事実だろう。しかし、菅首相は市民運動から政治家になり財界とはほどんと付き合いはない。枝野幹事長も弁護士出身で財界とのパイプは出来ていない。民主党との財界のパイプはまったくないといっても良いだろう。そうした中で京セラの稲盛和夫名誉会長が小沢・前幹事長や前原誠司・国土交通相との関係でＪＡＬのＣＥＯ会長になっている。稲盛氏は京都商工会議所会頭を義理で勤めたが、経団連活動はまったくしていない。<br />
<br />
   米倉会長は兵庫県にある甲陽学院から東大法学部を出て、住友化学に入社した。米国デューク大学に留学するなど英語には堪能である。東大のときの同級生の亀井静香・国民新党代表が知り合いという程度で政治家との付き合いは多くない。もともと住友化学は大阪を中心に活動してきた事から東京での知名度は低い。低い知名度を上げようと住友化学では広瀬博社長が広報部の経験を生かして米倉会長の売込みを図っている。しかし、豊田章一郎氏が経団連会長になった時の２０人の人員を配置したトヨタ自動車の支援体制には及びもつかない。高尾剛正・取締役専務執行役員が財界活動の面倒を見るというが、積極的に動いているふしは見えない。御手洗名誉会長も「キヤノンとしてもう少し広報活動などをすればよかった。経団連に任せすぎた」と反省している。<br />
<br />
   民主党の２５％削減の温暖化対策や成長戦略に伴う消費税のあり方など経団連としては民主党との話し合いが必要である。民主党も小沢・鳩山時代とは変わるとしても米倉経団連会長としてもいろいろなルートを使ってパイプ作りをしてゆく必要があるだろう。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>経済・財界</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-18T15:19:52+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
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    <title>渡辺さんへ１０年４月１７日のコンフィデンシャル</title>
    <description>　米倉・日本経団連会長に早くも不安の声

　日本経団連は５月下旬の総会で御手洗冨士夫・キヤノン会長から米倉弘昌・住友化学会長に交代する。御手洗会長は就任早々にキヤノンの偽装請負の問題や経済財政諮問会議の委員として経団連会長の発言と違うことを言って二枚舌...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　米倉・日本経団連会長に早くも不安の声<br />
<br />
　日本経団連は５月下旬の総会で御手洗冨士夫・キヤノン会長から米倉弘昌・住友化学会長に交代する。御手洗会長は就任早々にキヤノンの偽装請負の問題や経済財政諮問会議の委員として経団連会長の発言と違うことを言って二枚舌などの批判を浴びせられた。２期４年は持たないのではないか？という声も出たほどである。しかし、経団連の中村芳夫事務総長の支援で何とか乗り切った。こうした支援に対して御手洗会長は中村事務総長を副会長に昇格させたほどである。花村仁八郎・事務総長以来のことである。<br />
<br />
　この満身創痍であった御手洗会長が選んだのが米倉新会長である。米倉氏が会長になったひとつの理由は中村事務総長と関係が良いということである。米倉氏は長谷川周重・元経団連副会長の秘書を務め海外などを回った。中村事務総長も経団連で国際経済部長など国際畑ということで米倉氏とは親しい。そうしたことも今回の人事に絡んでいる。<br />
<br />
　７２歳という年齢も経団連の内規に違反している。副会長で７０歳以下という内規がある。そうした中で選出されているだけに支援体制がしっかりしなくてはならないが、今のところ見えてきていない。トヨタ自動車の豊田章一郎会長の時は２０人近くの人員を経団連の仕事に当てた、といわれる。住友化学では広瀬博社長（当時は副社長）が米倉副会長の補佐役として務めていた。今回の米倉会長の補佐役は高尾剛正専務が陣頭指揮をとるといわれている。ところがサウジアラビアの石油コンビナートも担当しており、財界関係者には知られていない。御手洗会長は「キヤノンの支援が少なかったことが悔やまれる。経団連の事務局に頼りすぎた」と後悔している、という。<br />
<br />
　鹿島が海外事業で初の営業赤字<br />
<br />
　鹿島建設は２０１０年３月期の連結営業利益が９０億円の赤字に転落する。営業赤字は１９６１年に上場して以来のことである。この赤字の原因は海外での工事である。一番大きいのはアラブ首長国連邦（ＵＡＥ）ドバイ首長国の地下鉄工事「ドバイ・メトロ」の損失である。この工事は国内での公共事業が少なくなった０５年に大林組と総額２２８０億円で共同受注したが建設資材費や労務費の高騰で採算が悪化した。こうした工事の損失が合計で３００億円を超している。このは他、アルジェリアの工事でも工期が大幅に遅れており損失が出るのではないか、といわれている。<br />
<br />
　大林組もドバイの工事で７００億円の営業損失を出している。このために当初は最終利益が７５億円と見ていたのが５４０億円の赤字に転落する。<br />
<br />
　大成建設や清水建設も海外事業では多額の損失を出している。こうしたゼネコンの海外事業は不振を極めているのにもかかわらずに国土交通省は成長戦略の中で、観光振興とともに建設業の海外進出を入れている。ゼネコンのある幹部は「国土省が海外に出てシステムを売り込めといっても今までの惨憺たる赤字ではとても出られない。保険などの手厚い保護が必要ではないか」と反発している。ゼネコンにとっては海外事業は国内の公共事業が少なくなった時に進出するが円高などで再三に亘り痛い思いをしてきている。新しい方策が無ければ成長戦力になるとはいえないのではないか？
]]></content:encoded>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-18T15:16:17+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
  </item>

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    <title>混迷する朝日新聞人事</title>
    <description>　朝日新聞社は６月２４日の総会で秋山社長の留任と池内・代表取締役常務・グループ統括・大阪中之島新ビル建設担当、大狭常務取締役の体制を決めた。５年たった秋山社長は業績の低迷と初めての定期昇給だけの賃上げで辞任するのではないか、と見られていた。労組も秋山社...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　朝日新聞社は６月２４日の総会で秋山社長の留任と池内・代表取締役常務・グループ統括・大阪中之島新ビル建設担当、大狭常務取締役の体制を決めた。５年たった秋山社長は業績の低迷と初めての定期昇給だけの賃上げで辞任するのではないか、と見られていた。労組も秋山社長の経営責任を追及したが、新聞業界は読売新聞社も日経新聞社も最終利益で赤字になった、ということで留任しベア闘争も終わった。今回の人事で編集局が西村ゼネラルエディター兼編成局長と杉浦ゼネラルマネジャー兼報道局長のポストができた事である。朝日新聞社の説明ではゼネラルエディター兼編成局長が紙面の責任を見て、ゼネラルマネジャー兼報道局長は人事などの面を見ると、いう。その下の編集局の組織では今までグループ制で政治、経済、社会部が分割されていたのが、元に戻り政治部、経済部、社会部などになる。特に社会部は労働、生活、文化などに分かれて、どのグループが何を担当するか分からなかったのを、昔のように部制に戻す。新しい試みは数年で元に戻る事になった。<br />
<br />
　ある幹部は「秋山社長が何を考えているのか？分からない事が多い。新聞社機能を通信社機能に変えてニュースを発信する会社にしようとしているが中途半端な感じがする。役員人事も評判の悪い常務もいるのに変えていない。次に誰にするかが見えてきていない。下の幹部は右往左往する事になる」と話している。次の社長は経済部出身の久保田泉常務というのがもっぱらのうわさだが、担当している広告の低迷でどうなるのか。迷走する朝日はどこに行くのか？
]]></content:encoded>
    <dc:subject>経済・財界</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-02T08:29:10+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
  </item>

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    <title>追悼録　佐古一さん　元大成建設社長・元日本建設業団体連合会（日建連）会長</title>
    <description>２０１０年１月１３日肺炎のため死去。享年９４歳。お別れの会は開かれなかった。

　まだ正月気分の抜けない１月２１日の新聞で佐古さんが死んだ事を知った。たまたま大成建設の社長、会長を務め佐古さんと同じコースを歩んだ元日建連会長の平島治氏に会い「お別れの会...</description>
<content:encoded><![CDATA[
２０１０年１月１３日肺炎のため死去。享年９４歳。お別れの会は開かれなかった。<br />
<br />
　まだ正月気分の抜けない１月２１日の新聞で佐古さんが死んだ事を知った。たまたま大成建設の社長、会長を務め佐古さんと同じコースを歩んだ元日建連会長の平島治氏に会い「お別れの会をしないのですか？」と聞いた。平島さんは「今の山内隆治社長は佐古さんと２０歳以上歳が違い、全然知らないというんだ。お別れ会は開かれないだろうね」とそっけなく話した。山内社長にもこの話しをしたが「こういうご時勢だからお別れの会はしませんよ」という。<br />
<br />
　佐古さんとは私が建設省（現国土交通省）の担当の時代に大成建設の社長を務めていた。当時の広報部長は植松隆澄氏でインタビューなどの時間を作ってくれた。当時は談合問題や汚職事件などがあり、なかなか社長に合わせない時代なのに佐古さんは気楽に会っていろいろな話をしてくれた。体の大きい頑健な人で笑い顔がなんとも言えず愛嬌があった。当時、日建連の会長は鹿島建設の石川六郎会長で、五島昇・東急電鉄会長の後の日商の会頭になる話が出た。佐古氏は建築業協会会長であった。日建連の会長で日商会頭は出来ないというので佐古さんが日建連の会長になった。佐古さんとは会う事も多くなった。東京・目黒区八雲の自宅に夜回りに行く事もあった。そうした時なども気さくに応対しくれた。<br />
<br />
　私が名古屋経済部のデスクになった時に千代田生命の創業者の門野幾之進を記念する「門野幾之進記念館」（現鳥羽市歴史文化ガイドセンター）が鳥羽市に出来た。その披露式に行ったところ佐古さんが来賓として来ていた。「おお、元気かね」と気さくに声をかけてくれた。当時の千代田生命の神崎安太郎社長も接待役で来ており「佐古さんを知っているんですか？」といわれた事を思い出す。<br />
<br />
　いまやこの日建連も建築業協会と日本土木工業協会（土工協）と３団体が２０１１年４月に統合する事になった。大成や鹿島などの大手ゼネコンも「コンクリートから人へ」という民主党政権下でこうした団体へのカネを出す事が出来なくなってきた。そうしたゼネコン冬の時代に佐古さんのお別れ会などは出来ないのだろう。植松さんは「本当に残念だ。佐古さんへのお別れをしたいという人は多い。何故、やらないのか。たいして金がかかるわけでもないのに」と怒っている。<br />
<br />
　佐古さんに長く仕えていた水越正次さんは<br />
<br />
　「とにかく丈夫な人でした。９４歳で病床に着くまで病気をした事が無かった。７４年に専務・営業本部長になってから寝食を忘れて社に貢献した営業屋です。早稲田の建築を出た技術屋ですが、プロの営業屋だと思います。付き合いも広く三菱地所の中田乙一さん、富士銀行（現みずほ銀行）の松沢卓二さん、日銀の三重野康さんなどと親しかったです。花柳界や新橋のおねえさんたちからも慕われて『大成の一、日本一』とか言われていました」<br />
<br />
　と懐かしむ。<br />
<br />
　佐古さんは社長の時代に奥さんを亡くされて、長女の佐々木由美子さんが面倒を見ていた。１年前に故郷の広島にいる妹と一緒に暮らしたい、ということで「やちよクリニック」（広島市）に入った。佐々木さんには「いろいろな人からお別れの会を開くのですか？」という問い合わせはたくさんあった。開いて欲しいという気持ちはあったが会社には一切話していない。佐々木さんは<br />
<br />
　「父と暮らした３０有余年を省みて思いますのは、そこにこそ父の思いやり、優しさを感じずにはいられません。『お疲れ様でした。ありがとう』と感謝をこめた」<br />
<br />
　と話している。<br />
<br />
 
]]></content:encoded>
    <dc:subject>追悼録</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-02T08:26:57+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
  </item>

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    <title>ちょっと一休　日本記者クラブ３健人を囲む会</title>
    <description>　日本記者クラブで活躍している老記者の３人を囲む会が５月２０日に日本プレスセンター１０階で開かれた。「クラブ３健人」というのは産経出身の今井久夫氏、毎日出身の田中洋之助氏、読売の八木恭平氏である。世話人になっているのは読売の秋田博、毎日の玉置和宏、産経...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　日本記者クラブで活躍している老記者の３人を囲む会が５月２０日に日本プレスセンター１０階で開かれた。「クラブ３健人」というのは産経出身の今井久夫氏、毎日出身の田中洋之助氏、読売の八木恭平氏である。世話人になっているのは読売の秋田博、毎日の玉置和宏、産経の渡部行、榊原博行の各氏である。<br />
<br />
案内によると今井氏が卒寿（９０歳）、田中、八木氏が米寿（８０歳）を迎えるという。大変なお歳である。朝日の人はいないのが残念であったが、３健人の人たちとはそれぞれに知っているので出席した。<br />
<br />
　私が一番親しくしているのは田中氏である。「日本経済復興協会」という会の理事をしており、時々会う。田中氏は東洋経済新報社が行っている「東洋経済倶楽部」の会合にも熱心に来ておりそこでもたびたび会う。もともとは毎日の経済部長などをしており、経済畑ということでも話しが合う。日本経済復興協会の理事になったのは日経ＯＢの石埼一二氏が就任して欲しいというのでなった。月に２度ほど発行される協会報には私は時々書く。<br />
<br />
　今井氏とは日経の長谷川洋三氏が開いている勉強会の「幕の会」で紹介してもらった。八木氏は日本記者クラブでの講演などでよく見かけ、しっかりした質問をするので顔は良く見かけた。<br />
<br />
　当日は秋田氏が司会して、会が進んだ。最初に来賓の挨拶に読売ＯＢの氏家齋一郎さんが挨拶する予定だったが、遅れてきたのでその場にいた毎日ＯＢのテレビキャスターの三宅氏が挨拶した。指名された三宅氏は「私のほかに適当な人がいるのに、指名されたので話をします。私も８０歳だがここに並んでいる３人にはまだかないません。これからも頑張ってください」と話した。しばらくして氏家氏が駆けつけて挨拶し、乾杯の音頭をとった。<br />
<br />
　会場に行く時に安田火災海上（現ジャパン損保）の広報をしていた竹野氏に会った。「田中さんにお祝いを言うために来ました」と話していた。八木氏が東京電力の仕事をしていた事から東電の荒木・元社長、塙・元副社長などが来ていた。<br />
<br />
　３人とも奥さんが健在であり氏家氏は「奥さんが主人の健康に気を遣ってここまで来たのではないか？内助の功は大きい」と話していた。昔は新聞記者は生活が不規則で短命といわれていたが、昔話になった。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-02T08:25:25+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
  </item>

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    <title>石埼さんへ経済復興５月上旬号の原稿</title>
    <description>石埼さんへ経済復興５月上旬号の原稿
不動産バブルに踊る中国の古都「西安」


　中国の１−３月の不動産投資は３５％増

　中国の経済成長は止まらない。中国政府が１０年４月１５日に発表した１０年１−３月の実質ＧＤＰ（国内総生産）は前年同月比で１１・９％と２...</description>
<content:encoded><![CDATA[
石埼さんへ経済復興５月上旬号の原稿<br />
不動産バブルに踊る中国の古都「西安」<br />
<br />
<br />
　中国の１−３月の不動産投資は３５％増<br />
<br />
　中国の経済成長は止まらない。中国政府が１０年４月１５日に発表した１０年１−３月の実質ＧＤＰ（国内総生産）は前年同月比で１１・９％と２期連続の２ケタ成長になった。この成長率も０９年１０−１２月の１０・７％に比べても伸びは大きい。０７年１０−１２月期の１２・０％以来である。こうした中国の経済成長の要因は大規模な公共投資と金融緩和の効果が出ている。都市部の公共投資は１−３月で２６・４％の増加となり通年で３０・５％という伸びである。こうした公共投資が鉄鋼、セメントなどの生産を刺激して成長率を上げた。<br />
<br />
　一方、不動産投資は１−３月で３５・１％と大幅に伸びた。こうした不動産の投資ラッシュは「不動産バブルの様相を呈している」との見方が出ている。日本では世界的な金融不安で米国のファンドが引き上げ、不動産投資信託（リート）も減っている中で、不動産投資は減り続けている。金融庁も不動産に対する投資についたは厳しく見ており、ほどんと伸びていない。日本とは対照的な動きをしている中国の不動産投資は地方の不動産投資の受け皿である「地方融資平台」というプラットフォームがあるからだ。この平台は地方政府が全額出資してつくり、事業資金は銀行借り入れや債権を発行して賄う。この平台が道路や鉄道の整備のほかに都市開発を手がけている。<br />
<br />
　地方政府は中国政府からの土地の使用権を得て、その使用権を不動産ブームを利用して不動産業者に売却している。地方政府はこの資金で平台を作り、不動産業者に都市開発などを進めている。<br />
<br />
　こうした仕組みが動き始めて中国人民銀行が４月２０日に発表した３月末の金融機関の不動産向けの融資残高は前年同期に比べて４４・３％増となり０９年末に比べても６・２ポイント増えた。不動産市場に大量の資金が流れ込んでおり中国政府は住宅ローンの規制強化を始めている。そうした中で中国国家統計局が４月１４日に発表した３月の主要７０都市の不動産価格は前年同月比で１１・７％上昇した。こうしたバブル状態になっている中国の古都「西安」の不動産事情を調べるために、日本不動産学会の海外視察団に加わって３月２７日から５日間の日程で調査してきた。<br />
<br />
 <br />
<br />
　西安でも不動産バブルで１２％の上昇<br />
<br />
 <br />
<br />
　日本不動産学会は１９８４年１１月に設立され、現在会員は１０３１人である。会長は三橋博巳・日大建築科教授である。毎年海外の不動産事情を視察しており、昨年は中国の広州に行った。個人的な事情を言うと昨年、私が代表幹事をしている日本不動産ジャーナリスト会議が２０周年になった事から三橋会長に「宇宙の不動産はどうなるのか？」というテーマで講演をしていただいたことから、不動産学会との縁が出来た。<br />
<br />
　西安は昔の長安で、秦の始皇帝が紀元前２世紀に都とし、隋、唐の都でもあり、日本で言えば京都、奈良になろうか。人口は８６０万人でほぼ大阪府と同じである。日本からは上海に行き、そこから西安に行く。朝１０時３０分に成田空港を出発し、上海の浦東空港に１３時に着き、そこから国内便で西安に行く。１５時に上海を出て西安には１７時４０分に着いた。直行便が無いために１日がかりである。時差は１時間で日本時間よりも遅い。<br />
<br />
　西安には０１年７月に友人と来ているが、その発展振りには驚いた。西安の中心街の長安国際プラザには「グッチ」「アルマーニア」などのブランド物の店が出ている。泊まったホテルは「長安城保大酒店」（Ｊｕｎｌｅ　Ｃａｓｔｌｅ　Ｈｏｔｅｌ　Ｘｉａｎ）で、全日空ホテルズが経営していたホテルである。日本語が通じるホテルであり、エレベーターがガラスで外が見えるもので日本的である。<br />
<br />
　最初の日は日曜日という事もあり、市内から西１２０キロを２時間かけて「法門寺」に行った。日本の寺とは大違いでけばけばしい概観である。この寺はお釈迦様の指が出てきたということで有名になった。博物館にこうした遺品があるが、寺院が観光向けになっている。門から寺院まではカートに乗り行くほどの距離である。寺院の塔もとてつもなく大きく金色で覆われている。日本のお寺とは全然違う。<br />
<br />
　「法門寺」に行くまでの途中にマンションが出来ている。ガイドの李強さんに聞くと「このマンションの値段は１平方ｍ当たり６万７５００円で１３０平方ｍのマンションでは８７０万円です。西安の月収は一般企業で３万円から５万円なのでこうしたマンションには手が出ません。買っている人は党の幹部や石炭会社の幹部などです」という。<br />
<br />
　中国の土地は国有地であり、取引されているのは国や地方政府からの与えられた賃借権である。賃借期間は住宅は７０年間、工場は４０年から５０年、商業地は３０年から５０年になっている。<br />
<br />
　住宅地のマンションの値段は年１２％前後上がっている。ガイドの李さんは共働きなので郊外の１６４平方ｍのマンションを２年前に買った。<br />
<br />
　「値段は上がっていますが、住むために買ったので上がってもしょうがないです」と話しているが、自分の資産が増えている事なので嬉しそうである。<br />
<br />
　西安のマンションでは８階以上にならなければエレベーターはない。このために日本と違って下の階のほうが人気がある、という。<br />
<br />
　<br />
<br />
　高新技術特区で日本の企業誘致<br />
<br />
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　２９日に訪問した高新技術特区は西安ハイテク産業開発区とも言われており、北京、上海、武漢などと並んで０５年６月に国から世界一流のサイエンスパークにするという指定を受けた。西安は航空宇宙産業が盛んで有人飛行をした「神舟８号」の打ち上げの時の部品などは西安の工場が作ったと、言われている。日本からも東芝、ＮＥＣ、富士通などが進出している。西安には５万人の学生がいる西安交通大学など大学が多い。開発区の管理委員会の幹部は「ＩＴ産業で北京、上海では<br />
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３０％が職を替わるが、西安では８％の離職率です。人件費も北京、上海に比べて４０％で初任給も安いです。海外からの人が来やすいように２０万人収容できる国際村を５月に着工します。是非日本からの工場誘致を期待します」と話していた。観光客は日本からは年間３０万人西安に来るが、工場の誘致のほうが西安にとっては経済的に効果がある、という。<br />
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　曲江新区では大規模開発<br />
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　３０日に曲江新区の視察に行った。市内から車で３０分ほどのところである。３５歳という管理委員会の宋局長が応対してくれた。それによるとこの地区は国家１級モデル地区として文化産業と観光産業が一体になった開発という事で０２年から始まった。法門寺なども開発の範囲になり１２６キロ平方メートルある。一期工事は０２年から０８年で終わり１３００億元（１億９５００億円）かけた。二期工事は０９年から３年間で終わる。１０年だけで６０億元（９００億円）使う。３年間で９の文化・娯楽エリアを作る。出版・メディア・エリア、国際美術館、国際文化創作エリアなどである。マンガ館なども作りドラえもんなどを展示する。将来はマンガを中心に据えて行き投資金額は１０億元（１５０億円）を見込んでいる。１期工事で娯楽施設として「不夜城」を作ったがこの設計は日建設計がやった、という。<br />
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　１期工事でテーマパークなどのほかにマンションなども作ったので人口は３０万人になった。このマンションは高級なもので一般の人は買えない、といわれている。管理委員会の宋局長によると市内から地下鉄が来るようになる。この曲江新区に０９年末までに来た人は累積で２４００万人と推計している。<br />
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　この曲江新区は観光とミックスしており、西安の名所である大雁塔なども開発区に入る。さらに長安国際美食城、大唐不夜城、大唐芙蓉園などがある。このレストランで食事をしたが池の配置の見事なことと花火が打ち上げられたのにはビックリした。<br />
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　この視察団の団長の筑波大学の氷鉋揚四郎教授は「筑波の新都市は１兆円かけて２５万人なのでこの曲江新区は１億９５００億円で３０万人というのとほぼ同じですね」と話していた。<br />
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　日本人にはなじみのある西安<br />
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　遣隋使や遣唐使が続いてた時代にはこの長安には日本人はたくさん来ていた。「法門寺」の博物館には遣唐使の一覧がありその中には小野のたかむら、の名前があった。唐の役人になった阿倍仲麻呂は日本に帰ることが無く死んだ。このほか高野山に金剛峰寺を開いた空海は清龍寺に記念碑がある。こうした場所は西安以外ではないのではないか？こうした先人の苦労をしのんだ事も今回の視察の意味があった。<br />
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　不動産のバブル退治に中国政府はやっき<br />
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　中国政府は不動産バブルを鎮めようとして不動産取引について今までは短期取引では３年過ぎれば良いのを０９年４月から５年に延ばした。５年立たなくては住宅地は売れない事になった。さらに中国国務院は１０年４月１５日から住宅ローンの規制を強めて、個人が２軒目の住宅を買うためのローンを受ける際の頭金比率を４０％から５０％に引き上げた。１軒目でも住宅購入でも９０?以上の場合は頭金比率を最低３０％にする事を義務付けた。中国人民銀行や銀行業監督管理委員会は新しい規制が厳格に守られているかどうかの監視を強めている。<br />
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　バブルがいつ破裂するかについて、いろいろな人に聞いたが「５月１日から上海万博が始まり、まだ大丈夫なのではないか。中国にはまだ内陸部に貧しい人がおり、そうした人が市場に出てくればそんなに簡単にはじけないのではないか？」という話す人が多い。あと２，３年はこうした不動産バブルが続いてゆくのではないだろうか？<br />
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    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <dc:date>2010-05-20T11:32:05+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
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    <title>民主党の政策で振り回される民都機構</title>
    <description>建設論評　民主党の政策で振り回される民都機構

　民間都市開発推進機構（通称民都機構）という財団法人がある。理事長は旧建設省の事務次官を勤めた伴襄氏で副理事長も旧建設省の出身者である。民主党が目の敵にしている官僚の有力な天下り機関である。バブルの華やか...</description>
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建設論評　民主党の政策で振り回される民都機構<br />
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　民間都市開発推進機構（通称民都機構）という財団法人がある。理事長は旧建設省の事務次官を勤めた伴襄氏で副理事長も旧建設省の出身者である。民主党が目の敵にしている官僚の有力な天下り機関である。バブルの華やかりし頃の１９８７年１０月に設立された。その目的は「民間事業者が行う良好な都市開発事業に対して、資金面、情報面から多様な支援業務を行うことにより良好な市街地の形成と都市機能の維持を図り、あわせて地域社会の発展に寄与する」と謳われている。具体的な業務としては参加業務、融通業務、無利子貸し付けなどである。<br />
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　０２年４月には都市再生が当時の大きな政策になっていたことから都市再生支援事業をはじめ、０５年４月にはまち再生出資業務及び住民参加型街づくりファンド支援業務を始めた。こうした業務の拡大でこの２０年間の実績は１１７８件で支援総金額は２億１５００万円に上る。<br />
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　こうした地道な都市づくりをしているところに０９年春の麻生自民党内閣の時に「経済危機対策」として事業規模として４千億円の予算がついた。この事業は「大規模都市再生プロジェクトと地方の優良な都市開発事業に対して、土地取得段階を含めて適切な支援を行う」となっている。担当の松田常務理事によると、従来のもとは違って土地の取得段階から支援することが出来る。土地については３年以内に事業を立ち上げることを条件に２分の１まで融資する。６月末の段階で４１事業者から８５件の引き合いが来ていた。このうち６割が大都市の既成市街地である。久しぶりに大きな事業なので、松田常務らは張り切ってこれに取り組んできた。<br />
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　ところが８月３０日の総選挙で自民党が敗れ民主党になって、この事業も見直しの対象になった。国土交通省との折衝で３割の１２００億円の事業規模に減ってしまった。八ッ場ダムなどのダム建設の見直しなどが大きく報道されているが、こうした都市再生や街づくりなどの予算もけづられて来ている。民都機構のある幹部は「当時の金子大臣は地方の街づくりは喫緊の事業であり、緊急経済対策としてやらなくてはならないものだ。ぜひ、早急に手をつけて欲しいと言っていた。政権が変わったからといって街づくりや地方活性化は必要なことには変わりは無いはずである。猫の目のように国土政策が変わるようでは事業者も困ってしまう。やるべきことはどの政権にかかわらず実行して欲しい」と話している。<br />
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　引き合いに来た事業者の人たちに対しても民都機構の職員は「もうちょっと待ってほしい」というだけで、民主党の前原国土交通大臣がどのようにするかを見守っている段階である。経済危機対策はどうなるのであろうか？（阿）
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    <dc:subject>建設論評</dc:subject>
    <dc:date>2010-05-20T11:30:37+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
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    <title>ちょっと一休　幸子さんの結婚式</title>
    <description>　ＯＡ会という毎月一回の割合で日本プレスセンターの１０階にあるアラスカで昼飯を食べる会がある。Ｏは、西日本新聞社の政治部の記者をしていた大石さんのＯであり、Ａは私のＡである。大石さんは政治部の記者から赤城宗徳・農林大臣の秘書官になった。私が農林省の担当...</description>
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　ＯＡ会という毎月一回の割合で日本プレスセンターの１０階にあるアラスカで昼飯を食べる会がある。Ｏは、西日本新聞社の政治部の記者をしていた大石さんのＯであり、Ａは私のＡである。大石さんは政治部の記者から赤城宗徳・農林大臣の秘書官になった。私が農林省の担当のときから付き合ってきて、自然に昼飯などを食べるようになった。二人の共通の友人である外務省出身でルーマニアやアイルランドの大使を務め、東宮大夫になった古川さんも加わり、その輪が広がった。　　<br />
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三菱商事にいた山崎さんもこのメンバーであり、山崎さんが英国の化粧品チェーンの「ブーツ」を日本で展開しようとした時に知り合ったのが銀座のソニービルの隣のビルである「対鶴館」の持ち主である亀岡幸子さんである。亀岡さんは仕事が忙しいせいでそれほど多くは来ないが、忙しい合間を縫って来ると場が和らぐ。亀岡さんとは一緒に焼肉を食べに行ったり、ゴルフをする付き合いをしていた。そうした時に「亀岡さん、早く結婚をしなさいよ。少子化の日本で貴方のような美人で頭の良い人が子供を作らなければ日本は駄目に成りますよ」と言っていた。そうした時に結婚の案内が届いた。荻野泰平さんと結婚するという。<br />
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５月１５日に世田谷区北沢の「頌栄教会」で午前１１時から式をしてその後立食パーティーをするという。それでは式から参加する、と言ったら、最初から来て欲しいという。教会は日本基督教団の運営で、式は牧師さんの祝福と形どうりの指輪の交換などがあった。ご主人になる荻野泰平さんとは５月１２日に友人の蕪木君の息子が経営している船橋更科の店で会った。蕪木君とその大学時代の友人たちがこの結婚を祝って記念品を贈ろうという事で集まった。ＮＨＫにいた小宮山君がイタリア製の時計を買ってきて、それを贈る事になった。<br />
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その席に荻野さんも亀岡さんと一緒に来た。体は大きく顔も俳優の陣内に似ていると思った。名刺を交換したところ「東京美術倶楽部」に勤めているという。明るいはきはきした青年であり、私は好感を抱いた。式のパーティーでは酒が出ないのがさびしかったが、知り合いの「アルポルト」を経営している片岡護シェフが作ってくれたイタリア料理が出てきた。荻野さんの友人である楽団の「インフィニティ」がいろいろな曲を演奏してくれた。圧巻は結婚式を主宰した牧師がギターでお祝いの歌を歌ったことだった。和やかの式であった。
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    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <dc:date>2010-05-20T11:29:18+09:00</dc:date>
    <dc:creator>阿部和義</dc:creator>
    <dc:rights>阿部和義</dc:rights>
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